第四十章その2 波乱のプールD
「日本代表、初戦勝利おめでとう!」
試合後のスタジアムの芝の上、俺たちはパシャパシャと焚かれるカメラのフラッシュを全身に浴びていた。
朝から行われた予選プール第一試合、俺たち日本代表はウルグアイに49-6で快勝した。
「ワールドカップで勝利できて……嬉しいです」
「和久田君、泣くのは早いよ」
マイクを向けられるなり両目を手で押さえつける同い年のスクラムハーフの背中を、俺は優しく叩く。
思えば俺たちの代表初キャップ試合はイングランド相手に敗れてしまったからなぁ。記念すべき一戦で白星発進できて本当に良かったよ。
「6トライを決められたことは大きな自信につながりました。特に21歳の秦亮二が3トライのハットトリックを決められたのは、若手選手がよく育ってくれていることの表れだと思います」
場慣れした様子でキャプテンのジェローンさんがインタビューに答える。彼にとってもワールドカップでの勝利は格別なのだろう、いつもより饒舌で試合の疲れも感じさせない話しぶりだった。
決勝トーナメント進出の鍵、それはいかに勝ち点を稼げるかだ。後々の展開を考えると、勝てる相手には4トライ以上での勝利を決めて、しっかりとボーナスポイントをもらっておく必要がある。
初戦で日本が得られた勝ち点は5。ひとつの試合で手に入れることのできる最多ポイントであり、幸先の良いスタートと言って構わないだろう。
試合を終えたその日の夜、ホテルに戻った俺たちはバイキング形式の夕食をいただいていた。
「今日でこのホテルともお別れか」
バットに盛られたローストビーフを、自分の取り皿に一枚一枚丁寧によそう。ここのディナー、とても美味しくて気に入ってたのに……名残惜しい。
一都市開催のオリンピックや世界陸上とは異なり、ラグビーワールドカップは国内各地で開催される。そのため選手たちは試合ごとにあっちこっちに移動しなくてはならず、なかなか気の休まるタイミングが取りづらいのだ。日本代表も次戦に備えるべく、明日にはダブリンに向けて出発する。
「こもりん、そろそろ時間やで。こっち来ぃな」
山盛りの生牡蠣を手にした石井君に呼ばれ、俺は自分の席に着く。そして壁にかけられた大型スクリーンの画面が切り替わった途端、室内の日本代表選手たちは画面に向かって拍手を贈ったのだった。
映し出されたのは今まさに始まらんとするフランスとフィジーの一戦、その生中継の映像だ。
日本と同じプールDに属する他のチーム同士の試合も、本日の内に時間をずらして行われる。このフィジー対フランスという日本のライバル同士の対決は夕食時とかぶっていたため、俺たちは開幕戦と同様、みんなで食堂から観戦することにしたのだった。
フランス代表のブルーのジャージを身に包む屈強な男たち。その中にひとり、頭ひとつ以上離れた小ささにもかかわらず彼らと肩を並べる背番号9の選手が俺の目に留まる。
「あ、ティエリーだ!」
すかさず画面を指さすと、近くに座っていた和久田君も「本当だ!」と目を光らせた。
そう、U15のワールドツアーで対戦した元トゥールーズ代表のティエリー・ダマルタンも、フランス代表スクラムハーフとしてこのワールドカップに出場していた。
現在、彼はフランス国内プロリーグTOP14のクラブに所属している。身長168㎝と小柄ながら無尽蔵の持久力で常にボールを追いかけ回し、そして正確かつ高速なパスで一気に戦局を変えてしまう。シャンパンラグビーを率いる彼の予測もつかないパス回しは、この大舞台でも見物だろう。
だが試合が始まるや否や、俺たちは誰しもが予想だにしていなかった展開に目が点になってしまった。映像の中の出来事が、リアルで行われている試合の中継であるとはとても信じられなかった。
「おいおい、なんだかおかしくないか?」
皿の上の料理がすっかり冷めきっているのも忘れ、中尾さんがフォークを握ったまま唖然とした表情を浮かべた。
なんとフィジーの選手たちはフランスの変幻自在の素早いパス回しを、先読みするように対応していたのだ。まるで次どこにパスを送るのかを見越しているかのように、スペースを作らせないよう先に走り込む。
大柄なフォワードを多数輩出するポリネシア系のサモアやトンガとはまた異なり、メラネシア系のフィジーには細身でランニング能力に優れた選手が多い。そのスピードとスタミナを活かしたフィジーは、フランスお得意の戦法を完全に封じ込めていたのだった。
「なんてことだ……徹底的に研究してるな」
テビタさんも顎に手を当てたままじっと画面を見つめる。
フィジーはまさにこの試合で全力を出せるようにコンディションを整えてきていた。一方のフランスはピークを決勝トーナメントに合わせているためか主力メンバーが何名か外され、自慢の攻撃展開も本調子とは言えない。
彼らフィジー代表は格上フランス相手に本気で勝ちに来ている。その気概はプレーのひとつでも見れば明らかだった。
そしてあっという間に試合が終わる。スコアは10‐10、フランスとフィジーの一戦は史上初の引き分けという驚きの結果で幕を閉じたのだった。
好不調の波が激しいとはいえ、大方はフランスがフィジーをはねのけて勝利するだろうと思い込んでいた。それがフィジーの大健闘でドローで終わってしまったのだから、一気に先が読めなくなってしまった。
両チームに与えられる勝ち点は2。勝利を見込んでいたフランス代表にとっては、痛い結果になってしまったことだろう。
「好都合じゃん、互いにつぶし合ってくれたと思えばさ」
秦亮二が自信満々に言いながらアフタヌーンティーをすする。確かに強敵フランスが勝たねばならない試合を取りこぼしたと思うと、追いかける日本は有利になるかもしれない。
だが一方で、俺はどうも嫌な予感を拭えないでいた。
たしか前世の記憶が正しければ、フランスはフィジーに勝っていたはず。だから日本が南アフリカとフランスに敗れても、プール3位で決勝トーナメント進出が実現したのだ。
以前から薄々感づいてはいたが、やはりこの時間軸では俺が直接かかわらずとも、勝敗の結果も以前とは別物になってしまうのではないか?
そうなると日本が3位で予選プールを突破したという出来事も、最早信用ならないのではないか?
ワールドカップ最初の試合から2週間後、試合を終えて戻る俺たち日本代表は、全員がどんよりと沈み込んだ表情を貼り付けていた。そしてずるずると足を引きずったまま、ロッカールームに続々と入室する。
「くそ、なんてこった!」
やがて沈黙を破って亮二が悪態交じりに室内のベンチを蹴りつけると、「亮二、モノに当たり散らすな!」と進太郎さんが弟を叱りつける。
先週、南アフリカに35―11の力負けを喫した俺たちは、今日の試合で何としてもスペインから4トライ以上を挙げようと一丸となって奮闘した。
だがスペインの思わぬ守備の堅さ、そして絶対にトライを決めなくてはという変なプレッシャーに苛まれてミスを連発してしまい、結局トライ3本のみの24-6で試合は終了してしまったのだった。
スペインはプールDでランキング最下位のチーム。決勝トーナメント進出を狙う日本にとって、ここで勝ち点を稼いでおくことは至上命題だったのに。
さらに本日、南アフリカと対戦したフランスが予想以上の大接戦を繰り広げたことも間違いなく俺たちを揺さぶっていた。トライ5本を決めた南アフリカに対し、なんとフランスは4本を奪い返して39‐34という僅差の勝負にまで持ち込んだのだ。
敗れはしたものの、フランスはこの試合でボーナスポイント2を獲得していた。超強豪南アフリカ相手にこの結果は十分な快挙だろう。
「残るはフィジーとフランスか……」
ベンチに腰掛けながら、キャプテンのジェローンさんは頭を抱え込んだ。両国とも日本とはライバル関係で、確実な勝ちが見込める相手ではない。特にフランスは10回対戦したとして、俺たちが勝てるのは3回くらいだろうか。
現在プールD各国の3試合を終えた時点での順位は以下の通りだ。カッコ内は勝敗と勝ち点を表している。
1.南アフリカ(3勝・15)
2.フィジー(2勝1分・12)
3.フランス(1勝1敗1分・9)
4.日本(2勝1敗・9)
5.ウルグアイ(3敗・0)
6.スペイン(3敗・0)
まだ途中とはいえ、日本は予選突破ラインである3位にすら入れていない。一方着実に勝ち点を稼いでいるフランスは日本とスペイン戦を、フィジーは南アフリカと日本戦を残すのみ。
現在1位の南アフリカの突破は堅いとして、フランスも実力を発揮できればスペイン戦は大勝できるだろう。またフィジーも結果次第ではさらに勝ち点を上乗せできる。
このままでは俺たち日本代表は、フランスはおろかフィジーを下回る可能性さえある。予選プール4位で敗退なんて、冗談にもならないぞ。
史上最強の日本代表とあんなにもてはやされたのに……日本に戻ったときどんな反応が待っているやら、今から恐ろしい。
「みんな、腹くくってけよ、もう後がない」
重々しく放たれたキャプテンの声を、俺たちは無言のまま聞き入れる。
このままではダメだ。ロッカールームにいる日本代表選手たちは、同じ意識を共有していた。
「ここから先は1戦も落とすことができない。フィジーもフランスも、どっちにも勝って文句のつけられない結果で予選突破するぞ!」




