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第四十章その1 21歳のワールドカップ

 8月下旬、ラグビー日本代表ブレイブブロッサムズは大勢のファンや記者に見送られながら成田空港を出発した。そしてワールドカップのために新たに就航したダブリン直行便に搭乗し、アイルランドへと降り立ったのだった。


「2年ぶりだな、アイルランド」


 2029年11月の欧州遠征以来のダブリン国際空港に、俺はアイルランドの冷涼な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。うだるような猛暑の日本からは信じられないかもしれないが、ダブリンは9月でも最高気温20度に届かず、はるかに過ごしやすい。


 まさか前の人生ではアイルランドに、それも2回も行くことになるなんて思ってもいなかったよ。


 そこから俺たちはキャンプ地である北アイルランドのベルファストまで移り、最初の試合に備えた。そして開幕前の親善試合でもスコットランド相手に24‐16で勝利を収め、勢いづいたまま開幕の日を迎えたのだった。


 開会式が行われるのはダブリンのクローク・パークだ。スタジアム周辺は開場何時間も前から人でごった返しており、入場開始とともに8万2300人収容の巨大スタジアムはたちまち満員御礼となったのだった。


 1913年開場という長い歴史を誇る国内最大規模のこのスタジアムは、アイルランド伝統のゲーリックフットボールやハーリングといった競技のみでしか使用を許されなかった。しかし2007年にシックスネイションズの一戦が開催されて以降は所有者であるゲーリック体育協会の態度も軟化し、此度のワールドカップでは開会式や決勝戦まで催されるまでになったと思うと、ラグビー関係者としては嬉しい限りだ。


 やがて定刻を迎えると、会場の照明がすべて落とされる。すでに陽も沈んでいるため、あっという間にクローク・パークは夜闇に包まれてしまった。


 そして真っ暗な中フィドルやブズーキを用いたのどかな田園風景を思わせるケルト音楽が聞こえたかと思うと、ばっと照明が点灯すると同時に民族衣装を纏った大勢のダンサーがスタジアムに現れる。この見事な演出に拍手喝采が鳴り渡り、観客のボルテージは最高潮に達した。


 恒例のオープニングセレモニーはおよそ15分間続いた。その間にも民族舞踊の他、プロジェクションマッピングで観客席を照らしたり、巨大なラグビーボールのハリボテが現れるなど見ごたえあるショーが繰り広げられる。


「いやー、やっぱ力入ってんなぁ、開会式の演出は」


 そんな数々のパフォーマンスの生中継を、俺たち日本代表は遠く離れたベルファストのホテルの食堂に設けられた巨大なスクリーンを通して、夕食を摂りながら眺めていた。


 俺たちの初戦は3日後、ここベルファスト市内のラベンヒル・スタジアムで開かれる。


 本音を言えばクローク・パークの観客席でいっしょになって開会式の熱気を楽しみたいところだが、自分たちの調整もしなくてはならないので泣く泣くテレビで見守らざるを得ない。


 そしてショーの最後、スポットライトを浴びて入場ゲートからウェールズ代表キャプテンのフィリップ・ヒューズが現れる。世界最強の司令塔と評される33歳のベテランラガーマンの胸には、金色に輝く優勝杯、ウェブ・エリス・カップがしっかりと抱きかかえられていた。


 ラグビーの発明者ことウィリアム・ウェッブ・エリスの名を冠するこの杯は、大会の優勝者が持ち回りで保管することになっている。前回2027年大会で優勝したウェールズ代表は、この4年間栄光の証を大切に預かり続けていた。


 そして式典の中、フィリップは役員に優勝杯を返還する。これで新たな王者を決定するための準備はすべて整った。


 最後にアイルランド大統領が開会宣言を行い、無事にワールドカップ2031年大会の幕が上がる。憧れに夢見たワールドカップが、ついに始まったのだった。


「さあ、開会式の後はいよいよ開幕戦です。対戦カードは開催国アイルランドとシックスネイションズのライバル、イタリアです!」


 開会式の後は、開幕戦として開催国の試合が行われるのが恒例となっている。これはサッカーでも同じだろう。


 鳴りやまぬ大歓声に包まれながら、開会式で用いられた大道具やマットが急いで撤去される。そして10分もかからない内に、スタジアムにはグリーンの芝のコートが現れたのだった。


 そしてグリーンのジャージのアイルランド代表と、空色のシャツのイタリア代表が大観衆の前に入場し、


 結果はアイルランドがイタリアを26‐20で下しての快勝。開催国の強さと勢いを見せつける結果となった。またこの試合でトライを4本決めたため、アイルランドには勝ち点4に加えてボーナスポイント1の合計5ポイントが与えられる。さらに敗れたイタリアも7点差以内の勝負に持ち込めたために、1のボーナスポイントが付与されたのだった。


「このボーナスポイント、結構でかいんだよね」


 ローストビーフを頬張りながら俺が呟くと、食後のフルーツを口に運んでいた中尾さんが「そうそう」と頷いた。


「この勝ち点差に何度泣かされたことか」


 ワールドカップで決勝トーナメントに進むには当然勝つことが第一だが、加えてその勝ち方も重要だ。


 予選プールにおいて、結果ごとの勝ち点は勝利したチームに4、敗れたチームに0、引き分けの場合は両チームに2ポイントが与えられる。


 だが単なる勝敗でなく、試合内容も評価の対象に入るのがラグビーのおもしろいところだ。結果の勝敗に関わらず4トライ以上を決めたチームには1、また敗れた場合でも7点差以内で抑えられた場合も1のボーナスポイントが加算されることが、規定で定められている。


 つまり両軍引き分けであっても互いに4トライ以上を決めている場合は、なんと両チームに勝ち点3が与えられるのだ。このボーナスポイントの積み重ねが、決勝トーナメント進出を大きく左右する。


 実際に日本が南アフリカを倒した2015年大会では、同じプール内で日本、南アフリカ、スコットランドが3勝1敗で並んでいた。だが大量トライを奪って勝利していた2国に日本は勝ち点で及ばず、3位で予選プール敗退に終わったという苦い経験がある。この時日本は南アフリカに34-32で勝利しているものの、日本の決めたトライ3本に対し南アフリカが決めたトライは4本、さらに点差はわずか2であったため、得られた勝ち点は日本が4、南アフリカが2となってしまったのだ。


「強豪が強豪たるゆえんは単に試合で勝つだけでなく、内容でも常に相手を上回る点にある」


 ショットグラスで食後のウイスキーを楽しんでいたキャプテンのジェローンさんが、しみじみと口にする。


「南アフリカやニュージーランドのような強豪は決勝トーナメント進出がすでに決まっているようなもんだ。だからトーナメント後半で最高の状態を持ってこられるように、予選プールは案外低調でスタートさせることが多い。まあ力加減してもとんでもなく強いことに変わりは無いんだけどな」


 そしてはにかむジェローンさんは、やや頬を紅潮させていた。いつもより酔いが回っているのかな?


「格上相手の時は失点を減らして、格下相手には4トライ以上で大勝するような試合運びを展開する必要がある。そうすればこのプール戦も突破できるだろう」


 いつの間にやら周囲の若手選手たちは、キャプテンの講釈にじっと聞き入っていた。前回大会でもキャプテンとして出場した彼の話すことは実学としても心得としても非常に有用で、チームがまとまるための一つの指針となっている。


「勝ち点か……」


 長い長い食事を終えて、俺はようやく席を立った。これまではとりあえず目の前の相手を倒すことだけに注力していたが、ワールドカップではまた違った戦い方が必要とされるようだ。


 当然、このことはフランスやフィジーといったプール3位以内を狙うライバルも、同じように考えているだろう。決勝トーナメントの椅子をめぐる争いは、想像を上回る激しさになるかもしれない。

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