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第四章その4 レッツゴー菅平

「皆さん、今年も夏の菅平合宿がやってまいりました」


 貸切バスに備え付けられたマイクを持って、6年生の鬼頭君が慇懃無礼に言い放つ。わいわいと騒ぎながらトランプやおしゃべりに興じていた5年生も、何事かと注目を向けた。


「お前ら、高学年の合宿を舐めんな。中学年までの合宿なんて所詮お遊びだからな。いいか、菅平って書いて何て読むと思う?」


 熱弁する鬼頭君。俺たちはそろって首を横に振った。


「『じごく』だよ」


 地元の皆様が耳にすると、激怒しそうな講演だなぁ。


 夏休み、俺たち金沢スクールの5、6年生は合宿のため菅平まで来ていた。


 菅平とは長野県の菅平高原のことで、上田市から須坂市にかけての地域を指している。標高1000メートルを超える高原地帯で、夏でも冷涼な気候のおかげでスポーツの合宿所の一大拠点になっている。


 ラグビーは見ての通り消耗の激しいスポーツで、炎天下で試合をやろうものなら本当の意味で死人が出る。そのため試合は秋から冬にかけて行われることが多く、夏は練習や休養にあてられる。


 そんな日本のラガーマンたちは、夏になると菅平で合宿をするのがお決まりになっている。


「おい、あれサンシャイン電機のバスだぞ!」


「今の東京英聖大学のジャージだ!」


 次々と車窓に映る強豪チームの気配に、スクールのメンバーは興奮しっぱなしだった。


 ここはラグビーの聖地。全国各地から世代問わず強豪チームが集まり、ラグビー漬けの生活を送るのだ。


 菅平にはコートが計100面以上あちこちに整備され、民宿やホテルなどの宿泊施設も充実している。冬はスキー客、夏はスポーツ合宿とスタッフも年中大忙しだ。


 俺たちはこれから3泊4日、ここで合宿をする。


 実は3、4年生の時も1泊2日の合宿をしたことがあるが、それは高学年とは別日程だった。内容も親善を目的としたお楽しみ企画に近く、さながら修学旅行のような気分だった。


 だからバスの中で死刑宣告を受けた囚人のような顔になっている6年生の気持ちなど、浮かれてはしゃぐ5年生はまるで気付くこともできなかった。




 合宿所となるのは古くから営業している民宿だった。向かいには芝の整備されたラグビーコートもあり、練習にはもってこいの環境だ。


「いらっしゃいませ」


 経営者の中年夫婦が、バスから降りてくる俺たちを歓迎する。金沢スクールは毎年ここを利用しているそうで、在籍の長いメンバーは「お久しぶりです」と顔馴染みのように振る舞っていた。


「部屋に荷物を置いたら早速練習だ」


 コーチの指示に5年生は「はい!」と元気に答える。一方の6年生は「はーい……」と目の光を失いながら答えていた。


 そして夕方。


「俺、もう食えません……」


「食え、無理してでも食わないと明日を乗りきれないぞ」


 食堂で夕食を目の前にしながら、メンバーは軒並み沈んでいた。


 いきなりコートを10周走らされた後、筋トレ、走り込み、ランパスとこれでもかと身体をいじめ続ける。


 すぐ近くに宿があるのを良いことに、体力の限界まで、いやそれをはるかに超えてラグビーに専念するのだ。


 ここまで過酷なのは5年生にとって初めての経験。あまりに疲れてしまい、美味しそうなメンチカツを見てもまったく箸が動かなかった。


 そんな中でも俺はがつがつと料理を掻き込み、さらにおかわりをしていた。


「おばさん、もう一杯!」


 3杯目を平らげ、空っぽになったご飯茶碗を俺は経営者のおばさんに突き出した。


「あんたよく食べるわね」


 おばさんも感心したようすで白ご飯をよそう。


「疲れたときほど食欲出るタイプなんです」


「よく食べる子は好きよ。ラグビー選手は動いて食べてこそだからね」


 疲れてもちゃんと食べられる。これもある種の才能なのだろうか。


 そしてもうひとり、地獄のハードワークをものともせずぱくぱくと食事をいただく5年生がいた。


「俺も、おかわり」


 西川君だ。あんなに走って全員がへとへとになっても、彼は依然けろっとしていた。


 そういえば今の細目の姿からは予想もつかないが、前の人生で西川君は野球選手になってから、結構ずんぐりと丸い体型に変わっていった。


 野球選手として適した体型に変化していったこともあるだろうが、彼自身も元々身体の大きくなりやすい素質を備えていたのかもしれない。


 食後しばらくしてから、1日のシメとなるミーティングが食堂にて開かれる。すでに食器は下げられ、炊事場に通じる小窓からは明日の仕込みをしている経営者夫婦の姿が見え隠れしていた。


「明日は練習試合だ」


 コーチの声を聞くなり、子供たちの間に緊張が漂う。


 わざわざ菅平まで多くのチームが合宿に来る理由、そのひとつがこれだ。全国各地からチームが一ヶ所に集まるため、普段なかなかできない他地域との練習試合を組めるのだ。


 当然、練習試合とはいえ手は抜かない。特に強豪同士の練習試合なら秋のシーズンの前哨戦にもなるため、マスコミからも注目される。


「相手は大阪天王寺スクール。全国大会にも出たことのある強豪だぞ」


 誰かがごくっと唾を飲み込む音が聞こえた。


 大学ラグビーは関東に名門が集中しているが、それ以下の世代では大阪はじめ関西の方が強い。大阪代表に選ばれるなら、それは関東大会で優勝したのと同等の重みを持つと言ってもよい。


 俺も西川君も、これまで戦ったことのないレベルの強敵だ。果たして今の俺たちで、どれほど通用するだろう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 太るにも才能がいるとは聞くけど、実際疲れていてもなお食えるってのも才能ないとできんよなぁ。
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