第三十九章その2 日本に来た理由
「へえ、大学の合宿で網走まで」
「ああ、日本代表が来てるってのは噂で聞いてたけど、ばったり出会うとは思ってもいなかったな」
俺とフィアマルはコンビニの駐車場のベンチに並んで座る。135kgと142kgのツーショットだ、傍から見たらデブとデブの密会にしか思えないだろう。
こうやって直接顔を合わせるのは2028年のU20チャンピオンシップ直前に、さいたま明進大と練習試合を行なった時以来だ。
「そうだ、まだ直接言ってなかった。釜石ポセイドンズ内定、おめでとう!」
ぱちぱちと拍手する俺に、フィアマルは「ありがとう」と微笑み返す。彼は大学卒業後、Rリーグの釜石ポセイドンズへの入団が決まっている。大学生の標準をはるかに上回る体格を武器に、1年の頃からずっと強豪大学の背番号1を守り続けてきた男だ、プロクラブが見逃すはずがない。
「みんなプロになっていく中、なんだか俺だけ取り残されていたみたいで居心地悪かったけど、ようやく同じ土俵に立てたって感じだよ」
フィアマルが土俵って言葉使うと、聞く側はまるで相撲部屋からスカウトが来たみたいな勘違いしてしまいそうだ。
「何言ってんだよ、フィアマルの活躍は大学ラグビーのファンならみんな知ってるよ」
「どーもサンキューな。ブレイブブロッサムズのお前から言われると、自信が湧いてくるよ」
「良いばっかりじゃないよ、日本代表も。絶対勝たなきゃってプレッシャーがやばい」
俺は少し俯きながら言う。勝てば大絶賛だが、負けたらネットやテレビで色々と言われるからなぁ。
「この前の南アフリカ戦のことか? あれは相手が悪すぎるだろ、オールブラックスにも勝っちまいそうな勢いだったし、アウェーだったし」
「うん、でもワールドカップ前にあそこまでぼろ負けしちまうとな……今でこそチームは立ち直ってるけど、試合の後はショックでみんな口数少なかったから」
話しながら俺はベンチにもたれかかり、そのまま空を眺める。街灯の下なのに、黒一色の夜空には小さな星があちこちで瞬いていた。
次のオーストラリア戦に向けて全員本気で挑んではいるが、正直なところ相手に勝てる保証はどこにもない。実力で言えば負ける可能性の方が圧倒的に高いのだ。
こんなこと口が裂けても言えるはず無いが、勝算があるわけでもないのにただ悪あがきしているだけじゃないかと思うこともある。
少しの間、フィアマルは口を噤んでいた。だが俺が深く長い溜息を吐き終わったところで、「太一、実はな」と唐突に切り出す。
「俺、日本に留学しようって決めたのはお前のおかげなんだよ」
「へ?」
空を見上げていた俺は、視線を隣の大男に戻す。街灯に照らされるフィアマルの目は、じっとまっすぐこちらに向けられていた。
「俺、大事な時に怪我してニュージーランドの大会ほとんど出られなかっただろ? 卒業したらもう荷物まとめて故郷のサモアに帰ろうかって考えてたんだよ。でもお前や和久田がすっごい活躍してるのを見て、日本にもこんなすごいヤツらがいるんだって初めて思ったんだ。そこからだよ、ニュージーランドで手こずった俺でも日本に行けば必要とされるんじゃないかって。今まで選択肢にすら無かったのに」
「そうだったのか……」
俺よりひとつ年上のフィアマルは15歳つまり2年生の時に試合で大怪我を負い、そこから調子を落としてしまった。4年生になった頃には復調したものの国内クラブから声がかかることは無く、活躍の場を求めて日本留学を決意したことは把握している。
だがその決断の裏でそんなことを考えていたなんて、全く知らなかった。
「俺だけじゃない。クリストファー・モリスやサイモン・ローゼベルトもだ。あいつらもお前がきっかけでRリーグを選んだんだよ。あのふたりは次のワールドカップで桜のジャージを着れることを本気で目指している。ニュージーランドしか知らなかった俺たちに、他にも戦える場所があるってお前は教えてくれたんだよ」
クリストファー・モリスもサイモン・ローゼベルトもフィアマルと同い年で、少し前に日本に来ている。ニュージーランド国内リーグでは今一結果が出なかったものの、現在では日本人だけではどうしても層が薄くなりがちなフォワードの主力選手としてチームを引っ張っている。
「俺はお前がいたから日本に行こうって決心がついた。それはきっとクリストファーたちも同じだ、お前がいないと俺たちどこかで腐っていただろうな。日本代表が勝っても負けても、俺たちはお前を応援し続ける。どんな結果になろうと、心あるファンならきっとお前たちを信じ続けてくれるはずだ」
ははっと笑いながらも真剣なまなざしを向けるフィアマルを見ていると、消沈した俺の心も奥底から癒されていくような心地がする。超強豪にぼこぼこにされてへこんでいたのが、あほらしくなってきたほどだ。
「まあもちろん、俺がサモア代表になったら心へし折るくらいに全力で潰しにかかるけどな」
そして軽口を叩くフィアマルに俺はぷっと吹き出し、「良い性格してるなぁ」とすかさず言い返した。
偶然にもフィアマルと出会ったその翌日から、俺は6か国対抗戦最後の試合に向けてより一層練習に打ち込んだ。
スクラム、ラインアウト、パス回しはもちろん、作戦のパターンもしっかりと頭に叩き込む。寝る時と飯食う時以外はずっとラグビーのことを考えていたんじゃないかと思うくらいだ。
何よりも一番変化したのは試合への心持ちだ。それまでの時間が無いのだから少しでも詰め込まないとという焦燥感ではなく、今の自分たちでも勝てる可能性はあるのだからみっちり最後まで精度を高めようという前向きな感情を抱くようになったおかげで、精神的に余裕を持つことができた。
そしてとうとう、その日がやってきた。
8月の炎天下、札幌ドームの前には数万人規模の行列ができ、ビールやアイス片手に多くの人々が会場を待ちわびていた。
ドームと言えば野球のイメージだが、ここ札幌ドームの場合はすぐ隣にサッカーやラグビーで使える天然芝のコートを備えており、なんとそのコート自身を空気圧で持ち上げる仕掛けが施されている。これによってドームの壁の一部を開け放つことで、屋外にあるコートそのものをドームの中まで移動させることが可能なのだ。
この画期的な構造のおかげで、札幌ドームでは真夏でも空調の効いた屋内で4万人以上の観客がスポーツ観戦を楽しむことができる。これは俺たちラグビー選手にとっても非常にありがたいことだった。
「いよいよ最後の試合だ」
試合前のロッカールームで、キャプテンのジェローンさんが神妙な面持ちのまま話す。他の選手たちは大きな円になって、じっと彼の顔を見つめていた。
「このメンバーで出る試合も今日が最後だ。次からはワールドカップ出場の31人しか残れないからな」
ワールドカップ前の興奮で忘れてしまいそうだが、この場にいる選手たちはまだワールドカップ出場が確定したわけではない。来週、改めて正式な出場メンバーが発表されるまでは開催地アイルランドに行けるかどうか一切わからないのだ。
「最後のアピールチャンスだ、今日こそは活躍したいと思ってる選手もいるだろう。だが今日は選手個人よりも日本代表というチーム全体のため、最後の最後まで勝ち負けにこだわりたい。勝利のためなら得点につながると判断すれば迷わず交代させる。それは俺自身も同じだ……みんなもそれで賛同してくれるか?」
じろりとにらみつけるように、キャプテンが尋ねる。
「そんなもん、最初から分かり切ったことですよ」
真っ先に返したのは、ロックの中尾さんだった。飄々とした性格の彼は、たとえ年上だろうと自分より立場が上だろうと物怖じせず発言できる心臓を備えている。
そんな彼の一言を皮切りに、他の選手たちも続々と口を開いた。
「当たり前ですよ、俺たちも勝ちたいです」
「勝つことが何よりも最良アピールですから」
「オーストラリアに勝てたメンバーに俺の名前が残るって、それ凄くないっすか?」
選手たちからあがる声に、キャプテンも「ありがとう」とゆっくりと頷く。そして一呼吸整えると、「それじゃあ」と隣のメンバーと肩を組む。見ていた選手たちもキャプテンに倣い、互いに肩を組んでひとつの大きな円陣を形成した。
「オーストラリア戦、絶対に勝って終わらせるぞ! 俺たちなら勝てる、絶対にだ!」
「おお!」




