第三十八章その5 これが日本の実力か
ヨハネスブルグ入りした俺たち日本代表は現地で調整を重ね、そしてテストマッチ当日を迎えた。
8万人以上の大歓声とともに、南アフリカのキックオフで試合が始まる。ボールをキャッチした中尾さんは素早く後ろの仲間へとパスを回した。
昨年、南アフリカ代表は6か国対抗戦で日本に乗り込み、ブレイブブロッサムズを大差で下している。昨年に続く快勝をこの目で見届けんと、南アフリカ応援団の熱気はとどまるところを知らなかった。
だがそれは日本とて同じ。この場にはあまりいないものの、テレビやネットでの中継を通じて深夜にもかかわらず大勢のファンがこの試合をリアルタイムで視聴している。その中のひとりには、南さんだっているんだ。
フィジー、アルゼンチンと連勝を重ねているおかげで、日本代表への期待はかつてないほど高まっている。そんなファンの方々の想いを、この試合で挫くことはできない!
その後も俺たちはパスを回しながら、突破の機会を伺う。
そして前半10分。タッチライン近くでボールを持っていた石井君が、相手からタックルを受けた時のことだ。
「こもりん!」
不安定な体勢から、石井君がオフロードパスを俺につなぐ。飛んできた楕円球をキャッチした俺は、飛び掛かってきたバックスのひとりを突き飛ばしドスドスと芝を走り抜ける。
だがその時、低い姿勢のまま高速で突っ込んできた相手フランカーが、俺の身体の真横から強烈なタックルをぶち込んできたのだった。
「ぐわ!」
腰の高さに凄まじい衝撃を食らった俺の手から、ポロリとボールがこぼれ落ちる。さらに不運なことに、落下したボールはタッチラインを越えてバウンドしてしまった。
フランカーの見事なタックルに、会場は大いに沸き立つ。南アフリカがマイボールのラインアウトを獲得したのだ。
いててと腰をさする俺の元に、深緑色のシャツに白パンツの南アフリカ代表選手が続々と集まる。そして形成されたラインは、最低でもフォワードの身長190cmと、まるで聳える壁のようだった。
南アフリカ代表の愛称はスプリングボクス。エンブレムにはアフリカに生息するガゼルの一種、スプリングボックが描かれている。そんな彼ら南アフリカ代表が世界最強フィジカル集団と呼ばれる所以は、その民族の多様性に隠されている。
かつて南アフリカの支配者階層として活躍した白人は、多くがオランダ系の移民だった。世界一背の高いオランダ系がラグビーにのめり込むとどうなるか、想像は容易だろう。南アフリカ代表はフィジカルを活かした堅守と突破力を武器に、たちまち世界のトップに君臨した。
やがて月日が流れ、現地の黒人にもラグビーの文化が浸透した。それによって生来の身体のバネと瞬発力を活かした選手が登場する。
こうした人種ごとの身体的特徴を大いに活かし、スプリングボクスは世界最強オールブラックスに唯一対抗できる軍団としてラグビー史を彩ってきたのである。
日本代表と南アフリカ代表が2列に分かれたところで、タッチラインの外から相手フッカーがボールを投入する。投げ入れたコースは難しいものではない。俺は中尾さんの身体を背後から持ち上げると、中尾さんも空中のボールめがけて腕を伸ばす。
だが対する相手ロックは中尾さんよりはるかに高い位置まで跳び上がると、何の苦労も無くあっさりとボールを確保してしまった。199cmの中尾さんをまるで勝負にならない子供のように扱われ、俺たち日本代表も全員が目を点にする。
この男こそ南アフリカの誇る長身ロック、ヘルハルト・クルーガーだ。
金髪碧眼に甘いマスク、そして身長210cmのNBA選手かと見まごう長身。だがその四肢は逞しい筋肉に覆われており、まさしくラグビー選手そのものだ。
ヘルハルトは確保したボールを自らの胴に引き寄せ、流れるようにライン後ろのスクラムハーフにパスを送る。ボールはスクラムハーフを起点に、南アフリカバックスの連続パスであっという間に逆サイドまで渡されてしまった。
やがて楕円球は南アフリカの最終兵器、ウイングのナレディにまで回される。筋肉質な全身と195cmの長身によって引き出される驚異的なストライド。それらが生み出すトップスピードはもちろん、襲い来るすべてをはじき返してしまう体の強さからメディアでは『ロケット・ナレディ』と呼ばれているツワナ系の選手だ。
ボールを受け取った瞬間、ナレディの脚の回転はすぐさまフルスロットルに達した。身体をぶつけて妨害しようとした日本のウイングをひゅんとすり抜け、置き去りにしてしまったのだ。
「くおらぁ!」
ゴール目前、センターの秦亮二がナレディめがけタックルを入れる。たがナレディは全速力のままその長い腕を突き出すと、亮二の身体を強引に押しのけてしまった。
そして最後はラインに走り込むと、全速力のままH字型のポストの後ろまで移動し、ボールを地面に置いてしまったのだった。試合開始から13分、日本は先制のトライを奪われてしまった。
その後、日本代表はなんとか点を奪い返そうと奮闘するものの、スプリングボクスの圧倒的なパワーとスピードにことごとく打ち負かされる。一方的に押し込まれた俺たちはセンターラインさえ越えることができず、前半だけで3トライを奪われてしまった。
後半に入っても南アフリカの勢いは落ちず、むしろ観客の声援を受けて余計に力を発揮する。
そして後半10分、相手のスクラムから再びパスを回され、ナレディによって本日4本目のトライを決められてしまった。
すでに勝利を確信した観客たちは、手を振ってアピールするグリーンのシャツの選手たちに本日一番の拍手を贈る。
「ま、まだ試合続くのか」
「もう……しんどい……」
一方の日本代表選手たちは全員が息を切らし、激しく肩を上下させていた。標高の高さゆえの薄い酸素、この慣れない環境では選手たちのスタミナが切れるのも早い。
「小森!」
ついにキャプテンが俺に声をかける。だが足元もふらふらして覚束ない俺には、すぐ近くにいるはずのキャプテンの声もどこかはるか遠くから聞こえているように思えた。
「交代だ、もう休め!」
結局、この試合で日本の決めたトライはゼロ。6トライを奪われた末の47‐3という完全なる敗北だった。
「くそ!」
ロッカールームに戻った瞬間、進太郎さんが壁を殴りつけた。他の選手たちもぐったりと項垂れ、ひどく落ち込んでいる。
相手が相手だけに勝てるとまでは思っていなかったが、それでももう少し良い勝負にはなるだろうとは予想していた。それがここまで手も足も出ない結果になってしまうなんて……。
せっかく上り調子だったところを、バットで思いきり頭から殴られた気分だ。史上最強と言われた日本の実力が、まだまだこんなものだと晒してしまったのだから。いや、実際はメディアや関係者のリップサービスに乗せられて、自分たちも気付かないうちに自惚れてしまっていたのかもしれない。
しかも南アフリカとは、ワールドカップのプール戦でもう一度戦うことになっている。今日ぼろ負けしてしまったのだから、本番でも同じ結果になるだろうと落胆してしまった人も少なくないだろう。
こんな有様ではせっかく高まったファンの期待も、反動で一気に転がり落ちてしてしまう……いや、実際もうそうなってしまったかもしれない。
「一戦落としたくらい慌てるな。日本のファンが今日の試合だけで見捨てるとは、俺は思わない」
どんよりと重苦しい空気の漂うロッカールームで、ただひとりキャプテンがパンパンと手を叩きながら他の選手たちに呼びかける。
「みんなが考えていることはよくわかる。今日の負けで嫌な流れに乗ったままワールドカップになったらどうしようってところだろう。ファンから期待されるのとそうでないのとでは、全然違うからな」
高らかに話すジェローンさんに、俺たちはじっと聞き入っていた。俺含め、周りのメンバー全員同じく図星だったのだろう。
「しかしな、この嫌な流れを断ち切ってワールドカップへの希望を取り戻す方法がひとつだけある」
「何ですか、それは?」
メンバーのひとりが顔を上げて訊き返す。キャプテンはふんと強く意気込むと、一呼吸置いて言い放った。
「次のオーストラリア戦に勝てば、これまでの負けもすべてチャラにできる。絶対にここで取り戻そう!」




