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第三十八章その4 残る試合は……

「今の日本代表は歴代でも最強のメンバーと言えるでしょう。それでいて若手が多いのが嬉しいですね、しばらくは安泰です」


 テレビ画面に映し出された報道番組では、コメンテーターの男性が上機嫌に話していた。


 7万以上の観客を動員した昨日のアルゼンチン戦は、日本国内で開催されたテストマッチの最多観客数を塗り替えていた。これまで更新不可能と思われていた2019年11月のラグビーワールドカップ決勝戦、南アフリカ対イングランド戦の70103人という記録を、なんと1000人ほど上回ったらしい。


 試合後、俺のスマホには観戦に来ていた両親や友達からのメッセージが殺到した。ひとつ開いて読む間に3つの新規メッセージが届くほどの勢いだったので、ろくに返信もできなかった。


 それでも南さんについては、電話を通して直接声を聞いている。次の試合も頑張ってね、テレビで中継見てるから、と何度も何度も念押しされ、俺は「任せとけ!」と電話越しに胸を叩いた。


 2年ぶりにアルゼンチンに勝てたことで、日本代表への期待は一気に高まっていた。もちろん9月から始まるワールドカップに向けてだ。


 この十数年間で日本代表は国際的な地位を高めたと言っても、まだ本戦の決勝トーナメントでは1勝も成し遂げていない。強豪の仲間入りは果たしたものの、世界トップレベルの争いでは早々に脱落してしまうというのが世間の評価だった。


 そんな中途半端な立ち位置の日本代表が南半球6か国対抗戦でアルゼンチンとフィジーに勝利できたことは、日本のスポーツファンに明るい希望をもたらしていた。もし次のアウェーでの南アフリカ戦か、ホームでのオーストラリア戦のどちらかで3勝目を挙げられたとしたら、現状の日本代表の実力からすると100点満点中120点と評価してよい。


「南アフリカかオーストラリアに勝てたなら、これはワールドカップにも期待できますよ。ベスト4も十分あり得ます」


 コメンテーターの言葉に、テレビを見ていた俺は無言のままぐっとガッツポーズを作る。隣ではベンチに座った石井君が機内持ち込み用の小型のキャリーケースをころころと前後させながら、「そううまくいくもんやろか?」とテレビに向かって突っ込んでいた。


 ここは成田空港の搭乗ゲート前。周囲には俺たちだけでなく他の日本代表選手たちも互いに話し合ったり、発着する飛行機に見入っている。


「ドバイ便、間もなく搭乗開始となります。ご搭乗のお客様は、搭乗ゲートにお並びください」


「お、そろそろか」


 航空会社の職員の呼びかけに、俺と石井君のデブふたりはよっこいしょと腰を上げる。


 俺たちの次の対戦相手は南アフリカだ。試合のため、これから俺たちはドバイを経由して南アフリカ共和国最大の都市ヨハネスブルグへと向かう。


 日本代表はじめ大勢の搭乗客がゲートの前に一列に並ぶ。べったりと窓に貼りついて飛行機を眺めていた和久田君も慌てて列に加わった。


「アフリカ大陸は初めてだよ」


 俺の背後に並んだ和久田君が、興奮を抑えるように口にする。ずっと一緒にニュージーランドに渡って香港、フランス、英国と世界のあちこちを転戦してきた彼にとっても、アフリカ大陸の土を踏むのは初めてのようだ。


 俺の場合はスーパーラグビーで南アフリカのチームと戦うため、シーズンに2回ほど南アフリカまで渡ることがある。だが和久田君の所属するRリーグのチームが単独で南アフリカに遠征することはまず無い上に、去年出場した6か国対抗戦は日本での試合だったので、日本代表としてアフリカに乗り込んだことも無い。


「南アフリカはすごいよ。ラグビーの熱気はニュージーランド以上かもしれない」


 俺は振り返るとちょっと得意げに、へへんと鼻を鳴らしながら話した。




 2日がかりのフライトを経て、日本代表はヨハネスブルグのO・R・タンボ国際空港に到着した。


「すっごい人多いね」


「アフリカで一番多くの人が使う空港らしいよ、ここ」


 ロビーに降り立って唖然とする和久田君に、俺はここぞとばかりに知識を披露する。だが俺の顔を見た瞬間、和久田君はぎょっと目を剥いて「小森君、大丈夫?」と心配そうに声をかけてきたのだった。


 さっきトイレの鏡で知ったのだが、俺の顔は初対面の人でもわかるほどげっそりとやつれていた。長時間のフライトのせいもあるが、それにしても異様なほど身体がだるい。


 それもそのはず、ここは標高1700メートルの高地に作られた空港、山岳医学では高高度に分類され高山病のリスクも謳われるほどだ。


 そもそもヨハネスブルグ自体が標高1500メートル以上の高地に発達した都市だ、普段からこの環境でラグビーをしているのだから、そりゃ南アフリカ代表はフィジカルも強くなりますわな。


「日本代表の皆さん、ようこそ!」


「こっち向てくれ!」


 日本代表のバスに続く行程も多数動員された警備員によって、大勢のラグビーファンや取材陣による花道が形成されている。


「歓迎がすごいな」


「ラグビー人気すごいからね、ここは」


 かつて南アフリカのラグビー選手はほとんどが白人だったが、アパルトヘイト終了後、1995年のワールドカップ優勝以降は人種を問わず人気を博しており、黒人のキャプテンが選出されることもあった。ゆえにラグビーは南アフリカの人々にとって単なるスポーツの一種ではなく、民族融和の象徴として扱われている。


 俺たちを乗せたバスはホテルに向かう前に、試合会場の下見に向かった。


 それがここFNBスタジアム。2010年サッカーワールドカップ決勝戦や2013年のネルソン・マンデラの追悼式典にも使用されたこの競技場の収容能力は、なんと驚異の9万4700人。世界でもトップクラスの規模を誇る。


 ニュージーランド代表やオーストラリア代表を迎える際には、ほぼ満席の9万人がこの競技場に押し寄せるそうだ。スタジアムにいる人間だけでそれなりの大きさの都市が出来上がるぞ。


「でっか……」


 日本代表選手たちのほとんどが、この規模の競技場に立つのも初めてだ。コートを見下ろしながら壁のようにそびえる無数の座席に、口を開いたまま圧倒されていた。


「また戻ってきちまったな、ここに」


 キャプテンのジェローンさんがしみじみと言う。南アフリカから日本に留学してそのままプロ選手になった彼にとって祖国と戦うことは、俺たちとはまた違った複雑な感情を抱かされることだろう。


「このコートを……ナレディが走ってくるのか」


 若手メンバーの多くが競技場に漂う異様なオーラに気圧される最中、中尾さんは顎に手を当てながらコートの感触を確かめてじっとゴールポストをにらみつける。本番、どういった戦いになるかを思い描いているようだ。


 中尾さんの話すナレディとは、南アフリカ代表で最も注意すべきひとり、ウイングの黒人選手だ。


 スピードが重視されるためスマートな体型の選手が多いウイングでは珍しく、ナレディの体格は195cm95kg。先日、アルゼンチン代表が「ウサイン・ボルトがボールを持って走っている」と表現したまさにその人だ。


 持前の瞬発力と最高速に加え、甘いタックルなら弾き飛ばしてしまうほどに強靭な肉体。がっちりと守備を敷いたエリアでも強引なダッシュで身体をねじ込ませ、そのまま走り抜けてしまうという規格外のプレーをこなす、まさに世界最強フィジカル軍団を体現するポイントゲッターだ。小柄な身体と巧みなフットワークで相手をかわすオールブラックスのエリオット・パルマーとは、同じウイングでも正反対のプレースタイルと言えるだろう。


 標高1700メートルという環境に加え、オールブラックス以上のフィジカル。この戦い、思った以上に大変なものになりそうだ。


「お前ら、いつまでもボケっとしてる場合じゃないぞ。今日は疲れをしっかり取って、明日からの練習でしっかり慣らしていくぞ!」


 自らを奮い立たせるように、キャプテンが言い放つ。相変わらず心ここにあらずだった若手選手たちも現実に引き戻され、「は、はい!」とテンポをずらしながらも威勢良く声を返したのだった。

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