第三十八章その3 日亜横浜決戦
7万の観客が見つめる中で始まった試合は、終始拮抗したものだった。
日本がスクラムを押してトライを決めれば、アルゼンチンは以心伝心のパス回しで素早く切り込んでトライを奪い返す。実力が同等のチーム同士、出し惜しみ無しの本気のプレーとあって観客の熱気は常に最高潮だ。
日本がここまで戦えているのは、今日のスクラムが非常に安定しているからだろう。俺、石井君、テビタさんら3人によるフロントローの合計体重は395kgと世界最重量級を誇り、さらに何度も繰り返した合宿で呼吸をぴったりとそろえている。
押し合いで勝ち目はないと踏んだのか、アルゼンチンはスクラム勝負を避け、ボール投入後はすぐさまナンバーエイトまで回していた。
そして前半終了時点でのスコアは14‐17。ペナルティゴール1本分、アルゼンチンがリードしていた。
「くそ、しつこいヤツらだ」
ロッカールームでドリンクを飲み終えた進太郎さんが吐き捨てる。
「アルゼンチンも必死だ、国の威信をかけている」
キャプテンのジェローンさんがぜえぜえと息を切らしながら額の汗をタオルで拭う。
「だが幸いなことに今日はホーム、おまけにこの暑さだ。この環境に慣れ親しんだ俺たちに分がある、このまま力を見せつけろ」
そしてにかっと白い歯を見せるキャプテンに、俺たちは表情を緩めた。
今日は地元横浜での開催とあって、両親や南さん、ハルキに金沢スクールのみんなに中華料理屋の常連さんにと多くの知り合いが見に来ている。応援してくれるみんなのためにも、個人的に勝ちたいという想いはいつも以上に強かった。
「お、こもりんがにやついとる」
みんなのことを考えているのが顔に出てしまったのか、石井君が俺を見て茶化す。
「ああ、後半が楽しみだなって」
俺はわざとカッコつけたが、すぐ隣でベンチに座っていたテビタさんが膝をパシンと叩いたので、俺たちはつい目を向けてしまった。
「フォワード勝負なら問題無い、俺たちがねじ伏せる」
そしてゆっくりと、巨体を立ち上がらせる。その猛々しく勇ましい姿に、俺は完全に出番を失っていた。
そして後半、会場の興奮はますます高まっていた。日本もアルゼンチンも互いに良いところまで攻め込むものの、守備に阻まれて得点に至らないという展開が繰り広げられる。
スコアが動いたのは後半25分だ。
「守れ!」
自陣ゴールライン手前15メートルほどでアルゼンチンフォワードの連続攻撃を受けていたときのことだ。
突っ込んでくる相手の巨体を受け止め、俺も相手選手もいっしょにもつれて芝に倒れこむ。その時、相手陣の奥からリカルド・カルバハルが上がってきている姿が視界に飛び込んだ。
「まずい!」
俺が立ち上がるより先に、ジェローンさんと進太郎さんのふたりが、ほぼ同時に飛び出していた。
拾い上げたボールを素早く回す相手スクラムハーフ。それをキャッチしたリカルドは、すぐに足元にボールを落下させた。
リカルドの振り抜いた脚から、楕円球が弧を描いて飛び上がる。ボールはチャージで妨害せんと飛び込んだキャプテンらの指先をかすめていた。
大歓声の中、ボールはH字型のゴールに吸い込まれる。このプレッシャーのかかる大一番、リカルドはドロップゴールを決めてしまった!
これで14‐20。ペナルティキックのチャンスをもらっても、1回だけでは逆転できなくなってしまった。
やがて試合も終わりが近付いた後半32分。
俺たち日本代表はまたしても自陣内まで攻め込まれていたものの、進太郎さんのタックルがうまく決まって相手の手から楕円球がすっぽ抜ける。これでノックオンの反則が言い渡され、日本ボールのスクラムで再開されることになった。
「セット!」
もう1分1秒とて無駄にはできない。スクラムを組んだ俺たちは相手の体勢を崩さんと渾身のパワーで押し込んだ。だしかし対するアルゼンチンもここは踏ん張りどころと耐える。
このまま反則を誘うのは無理そうだ。拮抗するスクラムを見てそう判断したのか、和久田君はジェローンさんの足元のボールを拾い上げると、すぐさまスタンドオフへと回した。
ボールを受け取ったスタンドオフが相手陣内まで素早く走り込む。だがセンターラインを少し越えたところでバックスのタックルを受けて倒されてしまい、その間にもアルゼンチン選手たちは自陣まで戻り、守備ラインを形成した。
そこからは日本のフォワードがボールを抱え、次々とぶつかって強行突破を図る。俺やテビタさん、石井君といった大柄な選手でボールを回し、じりじりと陣地を回復するが、アルゼンチンの巧みな守備相手では思ったほど順調にはいかない。
刻一刻と、試合時間が無くなっていく。アルゼンチンのラインには全員が加わり、徹底した守備に尽力していた。このままきつい攻撃を続けていれば、日本が先に根負けしてしまう。
もう何フェーズ目かも数え忘れた頃、ボールを抱えた石井君が120㎏の身体を低く屈めて相手に突っ込んだ。だがアルゼンチン選手の素早いダブルタックルで倒されてしまい、そこに集まった選手達によってラックが出来上がる。
プロップやロックが広く散らばる。次、誰にボールが渡されるのか、密集の後方で中腰のままボールに手をかける和久田君の動きを俺たちはじっと注視していた。
やがて和久田君の手からボールが放たれる。回ってきたのは、俺だった。
俺がボールを受け取った瞬間、守備に徹するアルゼンチンの選手たちは低く身構えた。俺の体格で突っ込んでくると睨んだのだろう、下手に飛び出さず突進を迎え撃つつもりのようだ。
相手がそう思ったおかげか、俺とアルゼンチン守備ラインの間には大きなスペースが生まれていた。
この好機を逃してなるものか!
俺はそのまま突っ込む、と見せかけて、まっすぐ地面にボールを落とした。
アルゼンチン選手たちが「しまった」と目を開く。だが俺はおかまいなしに右足を振り抜いた。
守備ラインを飛び越える大きなパントキック、守りの薄い逆サイド方向へのキックパスだ。
意表を突かれたアルゼンチン選手たちは方向転換してボールを追いかける。だが楕円球が芝の上に落ちた頃には、全速力まで加速した日本代表ウイングが走り込んでいた。
不規則にバウンドするボールを抱き寄せると、ウイングは勢いそのままにゴールラインまで走る。
「させるか!」
そこに追い付いてタックルを食らわせたのは、フルバックのリカルドだった。
キックの名手である彼は、守りでも最後の砦を任されている。この数年で大柄な選手にも当たり負けしないほど逞しくなった彼のタックルに、ウイングはふらついた。
だが直後、日本代表センターの秦亮二も駆け寄り、倒れそうなウイングを後ろから支える。モールが形成され、日本もアルゼンチンも両軍の選手がわっと群がることになった。
アルゼンチンのゴールラインまではあと5メートル足らず。
「いけるぞ!」
密集の中でキャプテンがにやりと笑みを漏らす。
「フォワード全員集まれ! このモールでトライを奪う!」
「うおおおおお!」
俺、石井君、テビタさん、中尾さん、進太郎さん。日本代表の誇る肉体自慢が一斉に咆哮をあげる。
フォワード勝負なら負けない。その言葉は本物で、一塊になった俺たちは一歩一歩、アルゼンチンを押し退けて進む。
そしてついにゴールラインを越えると、ずっとボールを守っていた亮二は足元から崩れ、楕円球を芝の上にグラウンディングさせたのだった。
「やったぞ亮二!」
「小森、ナイスアシシト!」
へろへろになりながらも、俺と亮二はハイタッチを交わす。日本応援団の歓声はずっと最高潮だった今日一日でも、飛び抜けて盛大なものになっていた。
その後のコンバージョンゴールも成功し、スコア21‐20と逆転する。
再開後はアルゼンチンが反撃をしかけるもなんとか逃げ切り、俺たちは薄氷の勝利を手にしたのだった。




