第三十八章その1 オフ!?
「日本代表、今帰国しました!」
「みんな、おめでとう!」
「亮二くーん、こっち向いてー!」
成田空港に降り立った俺たちを、大勢のファンとテレビカメラが出迎える。南半球6か国対抗戦のシーズンはあっちこっち飛行機で移動しまくるのでなかなかきつい。
ニュージーランド戦で敗れてから1週間後、俺たち日本代表はアウェーでのフィジー戦に12‐37で快勝した。これで1勝1敗、残り3試合の間にさらに2勝を目指したい。
俺たちはすぐにはバスに乗らず、空港内の一室に通される。特設の記者会見場だ。
「皆さんのおかげで1勝を挙げることができました。次の試合も全力で挑みたいです」
カメラのフラッシュを浴びながら、キャプテンのジェローンさんはマイクを握ってにこやかに話す。遠征に参加した日本代表選手たちは、壇上にずらっと並べられたパイプ椅子に腰かけて記者たちと向かい合っていた。
「次はホームで迎えるアルゼンチン戦ですね。どのようなプランを立てていますか?」
飛んできた記者からの質問に答えたのは、ヘッドコーチのケイン・アルバートさんだった。
「今年のアルゼンチンは機動力の高いバックスをそろえています。その対策を立てて、主導権を奪われないようゲームを進めたいです」
「特に注目している選手はいますか?」
「どの選手も優秀で、一筋縄ではいかないでしょう。特にフルバックのリカルド・カルバハルのキック力は脅威です。彼の手にボールが渡れば、それだけで形成が逆転されかねません」
リカルドの名を聞いて、俺の身体がついぴくりと跳ね上がる。
そう、次に戦うアルゼンチン代表には、あのキックの鬼リカルド・カルバハルも選出されていた。彼は現在スーパーラグビーにアルゼンチンから唯一参加するクラブ、アーミーズに所属しており、昨シーズンも俺とはコートの上で相対している。また昨年の6か国対抗では彼のドロップゴールによって、日本代表は15-16の苦杯を嘗めさせられていた。
学生時代から厄介だったキックの精度をさらに高めており、また細めだった身体も当たり負けしない逞しさまで鍛え上げている。俺と同じくワールドカップ初出場を狙う年齢ながら、すでにアルゼンチンの主力としてラグビーファンの間で注目されていた。
「アルゼンチン代表はアルゼンチンで生まれ育った選手が多く、またその多くがアーミーズに所属しています、チームワークは抜群でしょう。日本代表も今まで以上に連携を鍛えていかねばなりません」
監督がコメントする後ろで、俺はややうつむきがちに記者会見の内容を聞いていた。その脳裏に映るのは、ゴールポストの間にドロップキックをバシバシと蹴り込むリカルドの姿。
試合会場は横浜の日産スタジアム。地元だけに負けられない、昨年敗れたあの強敵を、今年こそは倒さないと。
気が付けば俺はぐっと、握り拳に力を込めていた。
記者会見が終了した後、一旦俺は実家に帰った。連戦と長時間のフライトで疲れただろうということで、選手たちに休日が与えられたのだ。
とはいえ休息などほんのつかの間、明日からはまた地獄の合宿が再開される。だから1日くらい、寝られるだけぐっすり寝ていよう……。
しかし身に付いた習慣というのはなかなかに頑固なもので、あんなに寝よう寝ようと思っていたのにいつも早朝ジョギングに赴く朝の5時前にはぱっちりと目が覚めてしまった。そのまま二度寝しようにも落ち着かないので、結局俺はジャージに着替えると、実家近くの海沿いの道路でえっほえっほと汗を流していた。
帰宅した頃にはすでに両親も起きており、父さんはスーツに着替えて出勤の準備を、母さんは朝ごはんの味噌汁を作っていた。
俺は冷蔵庫から麦茶の入った冷水筒を取り出すと、居間のテレビに目を向けた。ちょうど父さんがモーニングコーヒー片手に、ソファに座ってニュースを見ている。
「ラグビーアルゼンチン代表が日本にやってきました!」
そして始まったスポーツニュースに、俺も父さんもぐっと身を乗り出す。
どうやら昨夜、ラグビーアルゼンチン代表が日本に到着したそうだ。テレビ画面にはリカルドはじめ、スーパーラグビーで見知った顔が映し出されている。
「アルゼンチン、やる気満々って感じだな」
画面を見つめたまま父さんが言うと、俺は「だろうね、2連敗しているし」と返す。
アルゼンチンはすでに南アフリカとオーストラリアに黒星を付けられており、いい加減勝利に飢えているはずだ。日本戦は何が何でもと本気で向かってくるだろう。
だがそれは俺たちにとっても同じ、アルゼンチン戦を落とすことはできない。明日からの練習、今まで以上に本腰を入れないとな。
ひとり静かに気合を入れなおした時だった。テーブルに置いた俺のスマホが、突如ブブブと震える。メッセージが届いたようだ。
俺はスマホに手を伸ばし、文面を開く。そして今しがたの闘志はどこへやら、3秒後には「ひゃっほう!」と声を裏返して飛び跳ねていた。
「ごめんね急に」
親父から借りたアルファードを運転する俺の隣、助手席に座った南さんがいたずらっぽく笑みを浮かべる。
「全然、これが一番の過ごし方。それにしても大学はいいの?」
「うん、2回生までに必修単位ほとんど取ってるから時間割スカスカなんだ。今日はラグビー部も休みだしね」
うちの父さんは大学時代、サークル活動にのめり込みすぎて4回生の後期まで単位取得に終われていたと話していたな。その時の辛さは半端なく、今でも時々教授から「不可」をもらう夢を見るそうだ。
朝食前、メッセージを送ってきたのは南さんだった。今日予定されていた講義が教授の都合で急遽中止になったそうで、せっかくだから会えないかと連絡を入れてきたのだ。
南さんの誘いを断る理由などあろうか、いや無い。というわけで俺たちは三浦半島某所の海水浴場に向かった。
まだ夏休み前の平日のためか、白い波が打ち寄せる広大な砂浜には子供の姿は見えない。水泳よりもサーフィンやサップボードに興じている人数の方が多いくらいだ。
海岸沿いの駐車場に車を止め、俺たちはそれぞれ併設された更衣室に向かう。
普段トレーニングで使っているフィットネス水着ではなく、遊泳用のぶかっとした膝丈の海パンを履いた俺は、南さんが着替え終わるのを砂の上で待っていた。
「お待たせ!」
やがて更衣室から出てきた彼女を見て、俺は「おお!」と思わず漏らす。
現れた南さんは、大きな麦わら帽子に黒のビキニスタイル。だが上半身には白のパーカーを羽織っており、そのボディラインを露わにしているようでうまく隠していた。
「じゃあいこっか」
そして俺たちは並んで波打ち際まで歩き始めた。照り付ける太陽の下、穏やかで人も少ないビーチ、そして隣で歩く南さん。人生始まって以来、これ以上無いという休日だった。
この幸せがいつまでも続くのなら、いっそ今このまま死んでもいい……いや、ワールドカップ出られなくなるのは嫌だけど。
「ねえ、あれ何だろう?」
だがそんな感慨に耽っていた俺は、遠くを指さす南さんによって正気を取り戻す。
彼女の指し示す先を見てみると、少し離れたところで外国人の集団がビーチに集まっていた。白人系が多いようだが、見た目は俺のようなずんぐり体型の者や細身の者など様々だ。
そして何より……全員、男ばっかりだった。しかもいずれも四肢が筋肉に覆われていてガタイが良い。
「アメリカ兵が遊びに来てるのかな?」
俺はぽりぽりと頭を掻く。神奈川県内には横須賀や厚木など米軍関連施設が多いので、そこの人々が休暇を満喫しているのかもしれない。
「でもあれスペイン語じゃない? さっき『オラー』て聞こえたし」
「じゃあどこの国だろう?」
俺たちはふたりしてうーんと考え込む。
メキシコ? コロンビア? チリ?
「あ」
もしかして……アルゼンチン?
今朝、アルゼンチン関連のニュースを見たばっかりのような気がするが……まさかね。
俺はにへへと苦笑いを浮かべる。
「ちょっと、見てあれ!」
しかし直後、南さんがぎょっと目を剥いた。なんと件の外国人たち、砂浜の上で仲間同士タックルをし始めたのだ!
その動きはレスリングでも相撲でもなく、まさしくラグビーの動きだった。
その時、タックルに参加していた一人とつい目が合ってしまった。相手も俺に気付いたのか、「あ!」と口を開いてこちらを注視する。
「ちょ、ちょっと離れようか」
俺は慌ててくるりと踵を返す。だがその男は砂の上をだっと走り出し、こちらに手を振ってきたのだった。
「おい小森、小森だろ!?」
英語だった。男はまっすぐ俺に駆け寄る。
「ひ、人違いでは……」
「何言ってんだよ小森。お前ユニオンズの小森だろ?」
「なにぃ、小森ぃ!?」
他の男たちもわっと駆け寄る。突然の事態に南さんはついていけず「え? え?」と戸惑っていた。
やがてひとりの男が回り込み、サングラス越しに俺の顔を覗き込む。
「あ、マジで小森だ!」
男は大きく口を開かせながら、勢いよくサングラスを外した。ラテン系らしく浅黒い肌に艶のある黒髪……俺の目の前に現れたのは、アルゼンチン代表リカルド・カルバハルのにやけ顔だった。




