第四章その3 日本初のプロリーグ
「今年9月から開始される、国内初となるラグビープロリーグ『Rリーグ』の記者発表が都内で開かれました」
テレビのニュースでアナウンサーが淡々と話すが、お茶の間の俺と父さんは父子揃って真剣に聞き入っていた。
日本のラグビーはこれまで、企業主体の社会人リーグが主体だった。プロ契約の選手や外国の有名選手を助っ人として呼ぶことはあったものの、基本的に選手は企業に雇用された社員であり、業務の合間に部活としてラグビーを行っているという体裁を取っていた。
しかし2019年のワールドカップ日本大会以降高まったラグビー人気を受けて、2021年秋からいよいよ日本初のラグビープロリーグが本格始動する。
創設と同時に参入するのは全国8チーム、それぞれ拠点はワールドカップ日本大会で試合の開催された都市から札幌、釜石、調布、横浜、静岡、豊田、東大阪、福岡が選ばれている。これら8チームが翌年1月までホーム&アウェーの14試合を行い、順位を決定するのが当初の規定だ。
当時はラグビー熱がすでに冷めてきたのではないかといった声もあり、資金面や日程が不安視されたものの、いざ開幕するとスタジアムは大勢のお客さんで埋め尽くされた。2019の興奮を忘れられない人々が、熱狂を求めて押しかけたのだ。
加えて毎年2月から7月にかけて開催される、南半球最強クラブを決定する『スーパーラグビー』と時期をずらした効果も大きかった。シーズンオフになったニュージーランドや南アフリカ、サモアやフィジーといった海外のスター選手が高額な報酬を求めて続々と来日し、日本の観客にその卓越したプレーを見せつけたのだ。
世界トップクラス選手の活躍はさらなる観客を呼び、2024年にはさいたま、京都、神戸、大分の4チームが追加された。ワールドカップ熱にあてられてラグビーを始めた少年たちにとっても目指すべき理想像がすぐ近くに現れたとあって、将来プロラグビー選手になりたいと努力する子が急増したのもこの時期だ。
プロリーグの創設は日本にラグビー文化が根付きつつある、まさに上り調子の時代を象徴する出来事だろう。
「なんとかスタートは出来そうだけど、本当に大丈夫かなぁ」
ラグビーボールを掲げてポーズを決める往年の名選手の映像を前に、父さんがぼそりと呟く。ちゃんとお客さんが来るのか、今はまだ未知数で心配のようだ。
「大丈夫、きっと満員御礼だよ」
このまま順調にいくことを知っている俺は、ちょっと得意げに言った。
俺たち金沢スクールの子供たちは既に横浜を拠点とする『横浜グレイトシップス』の開幕戦の日程を調べ、観戦に行く予定をすでに立てていた。この日は雨が降ろうが槍が降ろうが、スタジアムには這ってでも行くともう決めている。
「そうだな」
父さんはひとつ息を吐き出すと、しばらくの間何も言わなかった。
そして次のニュースに移った時のことだった。不意に、父さんが俺に尋ねてきたのだ。
「なあ太一、お前は大人になったら何になりたい?」
いきなりのことだったので俺は「え?」と面食らう。
そんなこと言われても何も答えられない。実は今まで、将来については深く考えていなかったのだ。
勉強は今のところ困ってはいないが、前の人生で中学からダメダメになったことを考えれば、今回やり直したところで一流大学に入れるなどとても思えない。それならば下手に背伸びせず、ラグビーを楽しみながら普通に働いて、結婚して家庭を持って平穏な人生を過ごしたいと、なんとなく思い描いている程度にしか思っていなかった。
「ラグビーで食べていこうとは思わないか?」
返事に詰まる俺に、父さんはさらに訊いた。
「うーん、もしできるなら幸せだと思うけど」
そもそもラグビーをやり始めた理由も、前の鬱屈した人生をより充実したものにやり直したいからだ。野球少年全員がプロ野球選手になることはあり得ないように、別にこれを生業にしていこうとは考えていなかった。
だからまさか自分がここまでチームに貢献できる存在になるとは思ってもいなかった。それこそが予想外の展開なのだ。
「太一、お前は賢い子だ。だからちゃんと話しておくべきだと父さんは思う」
父さんはじっと俺の目を見据え、落ち着いた、しかし力強い声で話し始めた。
「ラグビーがプロ化されて人気が出れば、その分競争はより激しくなる。中学も高校も大学も、社会人もレベルは上がるだろう。でもそれはチャンスでもある、選手以外にも、指導者やチームスタッフとしてラグビーに関わる仕事がたくさんあるからな」
父さんは真剣だった。その意図を汲んだ俺は、ただ黙って聞いていた。
「正直なところ父さんはな、お前にはラグビーでできるところまで昇り詰めてほしいと思っている。ただお前の人生を決めるのはお前自身だ。プロラグビー選手を目指すのもいいし、大学に入って一流企業のスカウトを受けてもいい。ラグビーを趣味と割り切って、どこかに勤めたってかまわない。父さんは全力でお前を応援するし、そのためには努力を惜しまないぞ」
「俺が……やりたいこと」
前の人生では俺は自分の体型を悲観して、どうせ何やっても駄目だろうと流されるままに生きてきた。勉強の成績が悪いなら現状努力せずに入れる高校に進学し、就職でもどこに行きたいと明確な目標は無かったので、学校を介して手頃な企業に入社した。そして毎日淡々と、無気力に過ごしていたところで……。
今まで漠然としか考えてこなかったが、俺は急に将来プロ選手になることを意識し始めたのだった。
翌朝、小学校に登校した俺はすでに足元がふらふらだった。
「おはよ……て、どうしたの? ひどいクマ」
教室に入ったばかりの俺を見るなり、南さんが驚いた顔を見せた。
「うん、昨日考え事してて、なんだか寝られなかった」
「お前あれだな、歌舞伎の『ハチドリ』ってやつだな」
それ言うなら隈取だろと、ハルキのしょーもないボケに突っ込んでやる元気も無い。自分の席に座るや否や、ぐでっと机に突っ伏してしまう。
そんな俺を心配してか、南さんは声をかけてきたのだった。
「本当にしんどそう。保健室行こうか?」
「ありがと、でも大丈夫だよ……ねえ、南さんは将来について考えたことある?」
「将来? そりゃ、ないことはないけど……」
突然何を訊いてくるんだ? そんな顔を見せながらも彼女は答えた。
「俺、昨日生まれて初めて本気で考えたかもしれない」
正しくは前の人生の26年間も含めて、という意味だな。
だがそれを聞いて、南さんはぷっと吹き出したのだった。
「本気ってそんな大げさな。そもそも小森君ラグビーばっかしてるから、もう傍から見てる人はみんなラグビー選手になる以外無いと思ってるよ」
「そうなの?」
「そうだよ。ラグビーしてない小森君なんて、小森君じゃないもん」
無邪気に笑う南さん。なんとなく俺は、その笑顔に救われた気がした。変に深く考えすぎていたところで何かが吹っ切れた、そんな気分だった。
「ところで南さんは将来どう考えてるの?」
「えっとね、私は……」
ふと窓の外を見て将来の自分を思い描く彼女。途端、彼女の頬がかっと真っ赤に染まる。
「女子にそういうこと訊くのは反則! 小森君シンビンね!」
そして乱暴に立ち上がると、教室の外に出て行ってしまったのだった。




