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第一章その2 世界の歴史が変わった日

「おはよう」


 リビングの食卓には、すでに両親が座っていた。


 父さんは新聞の朝刊を読んでいる。普段この時間ならもう出勤しているはずだが、今日は休日なのだろう。


 席に着いた俺の前に置かれたのは、大人用のどんぶり鉢に山盛りにされたご飯。5歳児に与える量をはるかに上回っているが、俺はこれをさらにおかわりする。というのもそれくらい食べないと身体が持たないのだ。


「いただきます」


 落ち込んでいるとはいえほかほかと湯気を立てる白米を見るとお腹は鳴る。俺は手を合わせて呟くと、プラスチック製の箸をつかんだ。


 そして無心にご飯を口に運んでいると、向かいに座っていた母が「あら、お箸きちんと持ててる!」と驚いて声を上げた。そう言えば俺、小学1年くらいまでちゃんと箸を使いこなせなかったっけ。


「う、うん。幼稚園で覚えたんだ」


 不審がられるのは居心地が悪い。俺は母の気を逸らすため、テレビのリモコンを手に取りスイッチを押した。


 テレビの電源が点くと、ちょうど始まったばかりのニュース番組が映し出される。


「おはようございます。9月20日、日曜日のニュースです。日本の、いや世界の歴史が動きました」


 興奮を抑えきれない様子のアナウンサーの声に、家族全員がテレビに目を向けた。


「イングランドで開かれているラグビーワールドカップ。日本代表が優勝候補の強豪、南アフリカを下しました」


「へえ凄いな、日本も強くなったなぁ」


 父さんが新聞から目を離して漏らした。


「そうなの?」


 母さんが首を傾げる。あまりスポーツに関心が無いのは昔からだったな。


「ラグビーでは格下のチームが格上のチームに勝つことは滅多に無いんだ。日本なんてワールドカップにギリギリ出られるくらいの実力なのに、それが優勝候補を倒したんだから。サッカーで言うと日本がブラジルを……いや、高校生のチームがブラジルのフル代表に勝ったくらいすごい」


「そんなに?」


 そう話し合う両親をよそに、俺は食事中にもかかわらず席を離れてテレビの前に座り込んだ。


 芝生の上で身体をぶつけ合う巨漢の男たち。楕円球を投げ、蹴り、そして奪い合う。特に身体ごとボールを地面に叩き付けるラストワンプレーは、何度も何度も繰り返された。


 その荒々しくも勇ましい姿に、俺はすっかり見入ってしまった。何だろう、この興奮は。肉体だけでなく精神面でも幼さを取り戻したような気分だ。


 そういえばラグビーって俺の世代では野球、サッカーと並ぶ大人気スポーツなのに、まだこの頃はそこまで人気が出てなかったんだな。


 日本のラグビーには長い低迷期があった。かつてはサッカーを凌ぐ人気があったそうだが、Jリーグの創設やニュージーランド戦での大敗を前後に勢力図が一変し、ラグビーは冬の時代を迎えた。


 変わったのは2015年9月、つまり今日だ。ワールドカップという大舞台で日本代表が強豪南アフリカ代表を34-32で破るという大金星を挙げたのだ。これは後にも先にもスポーツ史上最大の番狂わせと呼ばれ、日本スポーツ史に燦然と輝いている。


 さらに2019年のワールドカップ日本大会において、日本代表がグループリーグ全勝で決勝トーナメント初進出を決めたことで、ラグビー人気は決定的になった。ベスト8で敗れはしたものの、日本代表の勇敢な姿は男女問わず多くの世代を刺激し、一気にラグビー人気に火が点いたのだ。この頃小学生だった俺も、同級生で一番スポーツの出来る子がラグビーボールを持ってグランドを走っていたのを覚えている。


 この後さらに日本ラグビーは燃え上がる。2021年には国内初のプロリーグ『Rリーグ』が発足し、さらに2024年からはニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、アルゼンチンの南半球強豪国に、新たに日本とフィジーを加えた6か国対抗戦を毎年行うようになる。


 ワールドカップでも2023年フランス大会で日本代表はまたしてもベスト8に入り、前回大会に続いて健闘した。この頃、日本のラグビーは絶頂期を迎えたと言っていい。


 しかしここから先は伸び悩んだ。2027年大会では出場国が20か国から24か国に増えたこともあってベスト12とギリギリ決勝トーナメントに進出できたものの、2031年大会でもベスト12と決勝トーナメント1勝の壁を破れないでいた。そして2035年大会では他国の強化が進み、ついに再びグループリーグ敗退を喫してしまうのだった。


 南半球6か国対抗戦でもフィジー相手にはなんとか勝ち点をあげているものの2勝目を得るのは難しく、6か国中4位を狙えるかどうかというのが定位置になっている。特に世界最強ニュージーランド相手には10年以上かけても1勝もできていない。


 しかしラグビーは俺にとっては印象の良いスポーツだ。


 学生時代、スポーツは総じてダメダメな俺でも、体育でラグビーの時だけは活躍できた。体重に物を言わせて走り込むだけで得点を稼げたし、クラスで1番足の速い陸上部の男子を弾き飛ばしたこともある。さすがに現役ラグビー部相手には分が悪かったものの、「お前、鍛えたら強いプロップになれるよ」と言われた時は素直に嬉しかった。


 その時、俺の頭にふとある思い付きが浮かぶ。


 生前はスポーツが苦手だからと避けていたが、今からならいくらでも取り返せる。幼い頃からしっかり運動に励めば、少なくとも前のように不健康にブクブクと太ることは避けられるだろう。


「ねえ父さん、母さん」


 不遇な人生を変えるには、何か思い切ったことを実行せねばならない。俺は決心した。


「俺、ラグビーやりたい」

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