第三十七章その4 世界最強の実力
日本代表ブレイブブロッサムズとニュージーランド代表オールブラックスは、観客席を埋め尽くす6万8000人の視線を一身に受けてコートに進み出る。加えて休日の昼間だ、テレビやネットの中継を通じて、日本国内だけでもさらにン千万人がこの試合を視聴していることだろう。
両国の国歌が演奏された後、互いにセンターラインを隔てて陣営ごとに分かれた。
通常ならここでキックオフの準備に入るところだが、今日だけは違う。俺たち日本代表は全員で横一列になると、全員でしっかり肩を組みながら相手陣をじっと睨みつける。
対するニュージーランド代表は魚鱗の陣のごとく、選手たちはひとつの三角形を作って並んでいた。ニカウもハミッシュも例外ではない。そして全員が呼吸を整えたところで、先頭に立っていたマオリ系の選手が一歩前に歩み出る。
「Taringa whakarongo!」
そして一人の選手が大音量の雄叫びをとどろかせると同時に、あんなに沸き立っていた観客席もしんと静まり返った。その号令に合わせて他の選手たちも大きく足を開き、力強く腕を振るう。
オールブラックスの代名詞ハカ、その中でも最も有名な「カ・マテ」だ。
「Ka mate, ka mate! Ka ora, ka ora!」
寸分の狂い無く、全員が膝を叩きながら腹の底から声を出す。力強く、一糸乱れぬ動きを大観衆に見せつけていた。
間近で見ると凄まじい威圧感だ。元々はマオリ族の戦士の舞踊だったと言われるだけある。
やがて1分半ほどの演舞を終えると、大地を揺らさんばかりの拍手と歓声がスタジアムを包み込む。黒一色の世界最強軍団は、スタジアムの観客をすっかり虜にしてしまったようだ。
「やっぱカッコイイよな、オールブラックス」
「せやなぁ、日本も何かした方がええやろか?」
肩を解いた俺と石井君が話していると、キャプテンから「感心してる場合じゃないぞ、ポジションに就け」とどやされる。
そして控え選手がコートの外に出て俺たちが所定の位置に移動したところで、両軍の準備は整った。鳴り渡るホイッスルとともに、日本代表フルバックのキックオフで試合が始まった。
蹴り上げられたボールに長身を活かして飛びついたのは206cmのローレンス・リドリーだ。
すかさず日本代表フランカーの進太郎さんが走り込んで、速攻でタックルを仕掛ける。並みの選手なら彼の爆発的スピードと野獣のような表情に気圧されて、ボールを後ろに回してしまうところだろう。
だがローレンスはキャッチしたボールを抱え込むと一切の躊躇なく、日本のエリアに向けてまっすぐ駆け出してきたのだった。
ローレンスの長身と進太郎さんの鋼の肉体が真っ向から激突する。直後、バシンという接触音とともにローレンスの身体が倒されるものの、すぐに右プロップのニカウが駆け付けて進太郎さんを妨害、ニュージーランドボールのラックが形成された。
ラックの後方に駆け付けた相手スクラムハーフが、目にもとまらぬ手さばきでボールを投げ渡す。受け取ったのはナンバーエイトにして世界のトップスター、ハミッシュ・マクラーセンだった。
ハミッシュがボールを抱えて走り出し、近くにいた日本代表選手が飛び掛かる。だがハミッシュは長く逞しい腕を素早く伸ばし、行く手を阻む選手を強引に押しのけて突破してしまったのだった。
当然ながらスタンドの応援の声も一際大きさを増した。彼がボールを持つと場の空気が一変する。ただそこにいるだけで人を魅了するオーラを放つスター、それがハミッシュ・マクラーセンという男だ。
「させるか!」
そんな中ハミッシュに猛然と立ち向かったのは、我らが右プロップのテビタさんだ。テビタさんは140kgの巨体をハミッシュにぶつけると、その進撃を食い止める。
やがてそこに両軍の選手が集まり、日本代表陣内でニュージーランドボールのモールが出来上がったのだった。
「押せ、負けるな!」
俺や石井君、キャプテンといった日本代表フォワード6人がハミッシュたちを押し返す。だがオールブラックスは5人しかいないにも関わらずその圧力は俺たちを上回っており、人数で優位に立つ日本代表の密集はじりじりと後退させられていた。
「何だよ、この馬鹿力!?」
体勢を立て直そうにも一度後ろに下がってしまうと踏ん張りを利かせる余裕も無い。日本代表は力負けしたまま、なすすべなくじりじりと自軍の奥に追いやられてしまう。
やがて相手は日本ゴールまで残り10メートルといったところで密集からボールを投げ出し、あっという間にウイングのエリオット・パルマーまで回してしまった。
「危ない!」
俺が声をあげるも時すでに遅し、エリオットはボールを抱え込んで一目散に日本ゴールへ向かって走り出していた。
だがその行く手、ゴールラインからほんの3メートル手前に立って待ち構えているのは秦兄弟の弟、日本代表センターの亮二だった。このタイミングでは誰もエリオットへのタックルが間に合わない。彼のトライを止められるのは、秦亮二だけだった。
速度を落とさず、ぎろりと亮二をにらみつけるエリオット。立ちふさがる亮二もぐっと低く腰を落とす。
そしてそのまま全速力で走り込み、このままふたりががぶつかるというその寸前。エリオットの足先がぐいっと妙な方向に折れたと思ったら、彼の進路は右に折れる……と見せかけて左に折れた!
速度の減衰が一切無い、まさに超一流のフェイント。強豪チームの選手でも、彼を目の前にすれば右に動くのか左に動くのかまったく読むことができず、ただ茫然と立ち尽くしてしまう。
だがこの日は違った。なんとゴールを守る亮二はエリオットの動きに対応し、自身も右へとステップを踏んで相手の進路を遮っていたのだ。
「な!?」
直後、エリオットの身体が芝の上に倒れ込む。亮二のタックルが決まり、観客からもどよめきにも似た大歓声があがっていた。
エリオットのフェイントはニュージーランドでも超一流だ。その動きを先読みしてステップを踏んだ秦亮二という男に、最強のバックスは驚嘆の表情を浮かべるしかなかった。
「さすがだ弟よ!」
すぐさま兄の進太郎さんが駆け付け、エリオットの手からボールに手を伸ばす。だがゴール目前という焦りもあったのか、エリオットはボールを抱え込むように守ってしまったために、レフェリーから「ノットリリースザボール!」の反則が宣告される。
「よくやったぞ秦兄弟!」
感激したジェローンさんがだっと駆け寄り、兄弟ふたりとハイタッチを交わす。
絶体絶命のピンチを乗り切り、さらにペナルティキックまで獲得してしまった。その流れを変える大活躍に、キャプテンもご機嫌のようだ。
「ほんま、ふたりには感謝感謝やで」
密集に参加してた上に足も遅いので間に合うこともできなかった俺と石井君のデブ二人組が、ほっと安堵の息を吐く。
「だね、ここで点取られてたら最後まで嫌なムード引きずっちゃうし」
割ともうだめだと思ってたもん。今でも心臓の高鳴りが収まらない。
だが俺が安心していたのは、何もここでトライを奪われなかったからという理由だけではない。たとえ力の差はあろうとも、俺たちでも勝てないわけでは無いという妙な確信を得られたからだ。
世界最強オールブラックスと言えどすべてが完璧というわけではない。日本代表にもつけ入るチャンスは必ず巡ってくるはずだ!




