第三十六章その5 2031への決意
欧州遠征の激闘からあっという間に年が明け、気が付けば2030年も4月になっていた。
本来ならばスーパーラグビーのシーズン真っ只中であるのだが、俺はニュージーランドを離れ、またしても日本に一時帰国していた。
そして向かった先は国立スポーツ科学センター。スポーツ医・科学を生理学や心理学など多様な観点から着目し、日本のスポーツ界を先導する研究機関だ。
「こちらです」
スタッフに案内されて屋内の研修室まで通されるとすでに、見知った顔の先客が大勢、互いに談笑したりふざけて組み合っている。
「久しぶり!」
入室した俺に気付いて近づいてきたのは、新品のスーツに身を包んだ和久田君だった。
「和久田君、スーツ似合ってるね」
「この日のためにオーダーメイドしたんだ。僕らの体格じゃ普通の店には置いてないから」
ラグビー選手の中では小柄とはいえ、和久田君も肩幅はかなり広く四肢も太く逞しい。展示販売のスーツではピチピチのスパッツみたいになってしまうだろう。
「俺も新しいスーツ、作ったらよかった」
今更になって後悔する。プロになると同時に横浜で作ってもらったスーツも、すでにサイズが小さくなっていた。
普段スーツを着る機会なんて滅多に無いので、そのことに気付いた時にはもうニュージーランドを発つ直前だった。腹のボタンも何かの拍子でぱちーんと飛んで行ってしまいそうなので、上着の前側は全部外している。
「おう、小森」
やがて進太郎さんと中尾さんがそろって入室する。ふたりとも初めて見せるスーツ姿だ。
「進太郎さんもスーツ似合って……いや、やっぱ違和感ありますね」
「だよな、俺たちの一番の正装は桜のジャージだよ」
開口一番、進太郎さんは俺の肩に腕を回す。
今日は日本代表のキャップ授与式だ。俺や和久田君ら昨年のテストマッチで初めて日本代表に参加した面々が、一堂に会していた。
この1年間で初めて日本代表として試合に出場した選手に、記念の帽子が贈られる。代表選手としてテストマッチに出場した回数のことをキャップ数と呼ぶが、そのキャップの元の意味はこの帽子にある。
元々イングランドではクリケットやラグビーなどの国際試合に出場した選手に対し、その栄誉を称えるため帽子を贈る風習があった。この習わしは日本にも伝わり、1982年以降は協会から実物の帽子が授与されるようになっている。
やがて式典が始まり、俺たちはお偉いさんからひとりひとり帽子を受け取る。
帽子の形状は前側だけにつばの付いたクリケット帽に近いが、サイズはかなり小さく子供用かと思うくらいで、俺たち大男連中からしたら被ろうなんて気すら起こらない。
だがこの帽子に実用性を問うのは野暮だ。これはテストマッチに出場した証、一種のトロフィーであって普段被って使うことは想定されていない。
そして最後に、昨年度初出場を記録した30人ほどの選手たちが受け取ったばかりの帽子を頭の上にのっけて、カメラに向かってにっこりスマイルを決める。全員、頭がでかいので髪の毛のほとんどがはみ出ているのは滑稽だが、この帽子の価値は何物にも代えがたい。
式典も終了したその後、俺と和久田君は中尾さんと進太郎さんに流されるがまま、赤羽駅近くの居酒屋に連れ込まれてしまった。香ばしい匂いが店の外まで漂う焼き鳥屋さんだ。
炭がぱちぱちとはじける音とともに、じゅうじゅうと湯気の立つ店内。隣で進太郎さんたちがビールや日本酒をぐいぐいと飲み干す姿を目にていた俺は、あと1か月の我慢だと自分に言い聞かせながらノンアルコールのドリンクをぐっと傾ける。
「和久田君、俺たちも早く飲みたいな」
「いや、僕はそこまで……パッチテストであまり強くないって出てるし」
苦笑いを浮かべる和久田君。だが目ざとく気付いた中尾さんが、「おいおい」と絡みだす。
「ラガーマンて生き物は試合後の酒のために生きてるんだぜぇ、勿体ないなぁ」
気分が良くてハイペースでいってしまったのか、すっかり出来上がっていた。この人、酔うと絡みだすタイプのようだ。
「いいか、酒飲みながら今期のアニメの最萌ヒロインについて語るのが模範的ラガーマンだ」
「そりゃお前だけだ!」
すかさず進太郎さんがツッコミを入れ、和久田君と中尾さんの間に割り込む。遮られた中尾さんは「トイレー」と言いながら席を立ち、ふらふらと店の奥に向かった。
「それにしてもふたりとも、テストマッチじゃ本当に大活躍だったな。お前たちのおかげで昨季は他の若手選手もやる気マシマシだったぞ」
進太郎さんも少し酒が回っているようで上機嫌に話すので、俺は「はい、同世代を代表できて嬉しいです」と頷き返す。だが悲しいかな、どれだけ頑張っても視線は進太郎さんの手にした日本酒のコップをロックオンしてしまう。
昨年11月の欧州遠征が終わり、世界ランキングは最終的に以下のように変動した。
世界ランキングTOP10(2029年11月第3戦終了時点。カッコ内は10月の順位)
1.ニュージーランド(1)
2.南アフリカ(2)
3.イングランド(3)
4.オーストラリア(5)
5.日本(10)
6.ウェールズ(4)
7.アイルランド(6)
8.フランス(9)
9.スコットランド(8)
10.アルゼンチン(7)
ウェールズ、アイルランドに連勝した結果、日本はなんと世界ランキング5位と過去最高順位を記録してしまったのだ。北半球に限ってもイングランドに次ぐ2位と、こちらも過去最高位である。格上の2国に勝てたということは、ランキングポイントという数字の上でも過去最大級のインパクトを残したのだった。
この後、欧州でシックスネイションズが行われたのでウェールズが順位を元に戻したものの、それでもなお日本は6位を維持している。つい1年前までは1桁台に乗れるかどうかと悶々としていたのがウソのようだ。
「お前たちのおかげで協会も思い切って期待の若手をじゃんじゃん呼ぶようになったからな。うちの弟も次のテストマッチに招集されるみたいだぞ」
「え、亮二君もですか?」
驚いて尋ね返した。
進太郎さんの弟といえば秦亮二のことだ。俺と同い年の彼は現在、京都バーミリオンズでセンターを務めている。
日本代表は7月にもテストマッチを控えている。その際には北半球の強豪が日本まで遠征に来るのだが、今度ばかりは負けるわけにはいかないと本気で叩きのめしにくるはずだ。もしそこで亮二が出場するとなれば、秦兄弟が日本代表として同時に桜のジャージに袖を通すことになる。
「あ、小森君は知らなかったか。石井君も選ばれてるみたいだよ」
横からしれっと加わる和久田君に、俺は「マジで!?」と危うく口の中の物を吹きかけそうになってしまった。
小学校時代から何度も戦ってきた大阪の石井君、現在彼は神戸ミリオンダラーズのフッカーを任されている。前の人生でも日本代表フォワードの要だったので、いつか抜擢されるだろうとは思っていたが……確か前は2035年大会がワールドカップ初出場と報じられていた気がする。どうも少し早くなってないか?
欧州遠征で俺と和久田君が思わぬ成果を上げたことの影響だろう。次から日本代表は、若手中心のメンバーを多数そろえた思い切った顔ぶれになりそうだ。
これは2031年のワールドカップも期待できそうだ!
「俺たちの本番は次のワールドカップだ。それまで気を抜かずにいこうぜ!」
進太郎さんがそう言って肩を置く。同時に、昔は夢でしかなかったワールドカップ出場が、一気にこの手元まで引き寄せられた気がした。
「はい!」
決意も新たに俺が強く答えた、まさにその時だった。
「ふぃー、アルコールも全部出ちまったぜ。さ、ヒドロキシ基の補給補給ー、と」
出すもの出し切った中尾さんが、口笛を吹きながらトイレから戻ってきたのだった。そして席に着き、焼き鳥を火にくべる店長に「おっちゃん、高清水1合!」と威勢よく注文した。
ああもう、せっかくイイ場面だったのに、全部無茶苦茶だよ!
これにて第六部は終了となります。
ここまでお読みになられている皆様、いつも応援ありがとうございます。
次回、ふりかえり登場人物紹介を挟んだ後、いよいよ第七部ワールドカップ2031編が始まります。
世界最高レベルの戦いに、ついに太一も加わっていくことになるでしょう。
今後ともよろしくお願いします。




