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第三十六章その4 10年越しの夢

 後半、日本はアイルランドにペナルティゴール1本を奪われ、6-3で追いかける展開になっていた。


 緑のシャツを着たアイルランドサポーターは大いに盛り上がり、負けじと日本応援団も声を送る。


 スタンドの応援を受けて、両軍の選手は走ってはぶつかり合い、パスをつなぐ。相変わらずパワーで勝るアイルランドと逃げ回る日本という図式ではあるが、その実力に大きな差はなかった。加えてボールをめぐる激しい追いかけ合いがほぼノンストップで続いていたため、日本もアイルランドも疲労は蓄積される一方だ。


「ここまでしんどいと、緑色が嫌いになりそう……」


 試合の最中、俺はぼそりと呟く。直後、回ってきたボールを受け止めるとすぐに数メートル走り、また別の仲間にパスでつなぐというダッシュ&パスでボールを守り切る。


 そんな日本のスピードにも負けず、アイルランドの選手たちは規律を守り効果的にボールを追いかけ続けていた。その執念は人間離れしており、さながらグリーンモンスター……いや、これじゃボストンレッドソックスだな。


 その後も試合のスコアは動かず、ただただボールがあっちこっちに動き回る。これはラグビーなのに、ポゼッションサッカーをしているようだ。


 やがてどれくらいの時間が過ぎたのか気にする余裕さえ失われた頃、ボールが俺の手元に回される。


 ほぼ同時に、後半40分のホーンが鳴り響いた。前後半80分が経過し、試合は最終局面を迎える。


 だがまだまだ試合は終わらない。俺たちがボールを奪われ、外に蹴り出されてようやく試合終了となるのがラグビーだ。つまり俺たちがボールをキープし続ける限り、この試合はいつまでも続く!


 見ると相手の疲労もピークに達しているようで、アイルランド選手たちも全員足が動いていなかった。ぜえぜえと肩で呼吸を激しく繰り返し、心臓や肺や四肢の関節が悲鳴を上げるのを気合と根性だけで耐えているのが表情から読み取れた。


 辛いのは相手も同じ、今ならいける!


 俺はパスを回すのをやめ、とにかく走って突っ込んだ。相手の守備を一人弾き飛ばし、その後とびかかってきた二人目も片手で押しのける。


 試合終了間際、見計らったかのような強引な突破を仕掛けるプロップに、観客は大歓声を巻き起こした。その声で背中を押されながら、俺はとにかく走ってまっすぐにゴールを目指す。


 だがその時、視界がぐらりと揺れてフラッシュする。そして一瞬世界が白黒になったかと思ったら、一瞬の後に俺の身体は前のめりで地面にたたきつけられていた。


「ハイタックル!」


 レフェリーの声で試合が止められる。観客席からもブーイングが響いた。


 どうやら後ろからふたりがかりで追いかけてきた相手選手が、無理な体勢でタックルを入れてきたらしい。一人目のタックルは腰の高さに入ったのだが、続く二人目の腕が俺の首にひっかかり、危険なタックルであると反則を取られたようだ。


「すまない、怪我は!?」


 タックルを入れた選手が申し訳ないといったように頭を下げる。だが幸いにも怪我はなさそうで、俺は立ち上がるなり「いいよいいよ」と手で制した。疲労がたまったとき、ディフェンスに必死になるあまりラフプレーを犯してしまうのはスポーツでは当たり前のこと、こういう場面もお互い様だ。


 ともかく日本代表は、最高の場面でペナルティキックのチャンスを得ることができた。


「ゴール狙いますか?」


 じっとゴールポストを見据えて口に手を当てるキャプテンのジェローンさんに、和久田君が小さく尋ねる。他の選手たちも無言のまま視線をキャプテンに向けた。


 ここからポストまでの距離は30メートル足らず、俺たちのキッカーならこの距離を決めるのは容易い。このまま確実にドローに持ち込んで、試合を終わらせることができる。


 だがキャプテンは首を横に振り、そして言ったのだった。


「いや、ラインアウトでいこう」


 その言葉を聞くや否や、日本代表選手たちは「いよっしゃあああ!」と両手を打って叫んだ。


 仮にここでドローで終わらせたとしても、日本にとっては初のアウェーでの引き分けを達成することができる。だがそれを選択すれば、今日の勝利は100%得られない。俺たちの目指すものは勝利のみ、引き分け狙いなどハナから選択肢になかった。


 一方、すでに疲労困憊のアイルランド代表の選手たちは「まだ続けるのか?」と辟易した感情を顔に表していた。その表情を見てか、キャプテンはにっと笑みを漏らす。


「この勝負、勝てるぞ」


 そしてすぐ隣の俺だけに聞こえるくらいの小さな声で呟くと、キックティーを持ってくるよう指示を出したのだった。


 その後のキックも綺麗に決まり、相手ゴールライン手前5メートルから日本ボールのラインアウトで試合が再開される。


「1、1、5!」


 ボールを抱え上げて合図を出すフッカーを、二列に分かれた日本とアイルランドの選手たちはじっと睨みつけていた。


 そして投げ入れられたボールは距離が近く、案外低い。確実にボールを受け渡すことを最優先にした軌道だった。


 すかさずテビタさんにリフトされた中尾さんが、長身を活かしてキャッチする。と同時に彼は空中に跳び上がったまま自分の胸でボールを抱え込むと、ゴールに対して背中を向けるように体をひねらせた。


 着地と同時に相手フォワードがわっと群がる。中尾さんからボールを奪うため、必死で手を伸ばしてきたのだ。


「させるか!」


 だが相手がこう動くであろうことは、俺たちも読めていた。日本フォワードも瞬時に中尾さんの後方に集まり、やがてフォワード全員参加のモールが出来上がる。


 さあ、ゴールまでは5メートル。あとは押し込むだけだ!


 ボールはすでに中尾さんの手を離れ、最後尾の和久田君がしっかりと確保している。いつの間にやらバックスも集まり、日本代表はウイングとスタンドオフ以外の12人という大人数で密集を形成していた。


 対するアイルランド代表も、大柄な選手たちが咆哮をあげながら日本代表の前進を食い止める。まるで獣のように、こちらが臨戦態勢でなければ委縮してしまいそうな声だった。


 すでに両チームとも立っているのが不思議なくらいに体力を使い果たしている。互いに自慢のスタミナもとうに底を尽いていた。


 残されているのは気力のみ。ここまできたら、最後まで諦めなかった方が勝ちだ!


 日本がじりじりと足を進め、アイルランドがそれを崩さんと圧力を加える。ゴールまでの5メートルが、こんなにも遠く感じるなんて。


「せーの!」


 その時、密集の中で日本フッカーが声をあげた。イングランドのスクラムを攻略するため、散々練習を積んだあの掛け声だ。


 すぐさま俺たちははっと顔をあげる。そう、スクラムと要領は違えど、モールも力比べであることは同じ。全員が同じタイミングで力を加えることができれば、相手の牙城を崩すこともできるはずだ!


「せー……」


 苦しさに耐え、またしてもフッカーが声を出す。その合図に合わせ、日本代表は全員が相手のプレッシャーに堪えながらすっと呼吸を整えた。


「の!」


 俺たちフォワード……いや、12人全員が進行方向に力を送った。一瞬の狂いもなく同じタイミングで、限界を超えた120%の力を絞り出す。


「うお!?」


 急激な圧力の変化に、なんとか踏ん張っていたアイルランド代表は対応することができなかった。たちまち決壊した堤防のように、選手たちは離散しながら後退する。


 一方、一塊となった日本代代表は勢いに乗ったまま残り4メートル、2メートルと一気に前進し、ついにゴールラインを越えた!


 そして最後尾の和久田君が芝の上の白線を越えた瞬間、彼はそのまま崩れ落ちるように地面にボールをたたきつけたのだった。


「トライ!」


 レフェリーの声。同時にスタジアムを揺らす大喝采。


「いよっしゃあああああああ!」


「やったあああああ!」


 あんなに自分たちを苦しめた疲れなぞどこへやら、日本代表選手たちはとび上がり跳ねまわり、そして互いに抱擁して喜びを分かち合った。


「小森くぅうううん!」


「やったよ、やったよ和久田君!」


 最後のトライを決めることができた喜びか、和久田君は感涙にむせびながら自身の179cmの身体を俺に投げつけてきたので、俺はがっしりと両腕で抱きかかえて何度も何度も背中をバシバシと叩いた。


 この後、日本はコンバージョンキックも見事成功させる。同時にノーサイドの笛が響き、本当に試合が終了したのだった。


 土壇場のトライで日本が7点を得たことにより、この試合は6-10で決着する。同時に2029年11月の欧州遠征もすべての日程が終了し、日本代表は2勝1敗の成績を残すことができたのだった。


 ウェールズに続き、アイルランドも初めてアウェーで撃破。日本代表はまたひとつ、新たな歴史を打ち立てたのだった。

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