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第三十五章その4 猛き赤竜

 試合の疲れを癒した翌朝、俺たちはロンドンからカーディフへと移動した。


 その手段は、なんと鉄道だ。ロンドン・パディントン駅から2時間ちょっと高速鉄道(インターシティー125)に揺られ、俺たちはカーディフ中央駅に到着した。


 ここカーディフはウェールズの首都だ。市の人口は30万強ほどだが、国全体の人口が300万少々のウェールズでは最大の都市であり、その歴史は古代ローマ帝国の時代まで遡る。


 ご存じの通り、イギリスは4つの国が集まった連合王国であり、それぞれの国ごとに首都が設定されている。各国の帰属意識は強く、不用意に「あなたはイギリス人ですか?」と尋ねようものなら、ムッとして「いや、自分はスコットランド人だ」などと返されることだろう。


 改札を抜けた日本代表一行は、スタッフに案内されながら一塊になって移動する。そして趣ある駅舎から外に出るなり、通りがかりの人々が次々とこちらに気付いたのだった。


「おい、あれブレイブブロッサムズだぞ!」


「本当だ、おーい!」


「試合、楽しみにしてるぞー!」


 手を振ったりエールを送るカーディフ市民の皆さん。たちまち周囲の大勢が集まり、敵地にもかかわらず気持ちの良い歓迎を俺たちは受けたのだった。


「俺たち、随分と有名だな」


 まるで日本国内のような扱いに、俺は鼻の下を指でこする。


「あの試合、みんな見てたのかな?」


 声をかける人々に長身の中尾さんが手を振り返すと、群衆からは「きゃー!」と黄色い歓声が聞こえた。どうやら若い女性も相当数混じっているようだ。


「ウェールズじゃラグビー選手は憧れの的だからな。他国のラグビーに詳しいのも当たり前のことだよ」


 先頭を歩いていたキャプテンのジェローンさんが振り返り、諫めるように鋭い視線を送る。直後、得意になっていた選手たちも、上げていた腕を無言のまますごすごと引っ込めたのだった。


 ここウェールズは英国内でも、最もラグビー熱が高い国である。


 世界的に最も人気のあるフットボールはサッカーだ。それは英国でも変わらず、イングランドでもスコットランドでも人気スポーツの筆頭にはサッカーが君臨している。


 だがウェールズは違う。20世紀初頭に欧州他国を圧倒するほどの実力を備え、さらに当時のオールブラックスからも白星を挙げたウェールズでは、以降の時代もラグビーが国民的人気スポーツとして定着しているのだ。


 そして前回ワールドカップ2027年大会で念願の初優勝を果たしたことにより、現在ウェールズ国内のラグビー熱は過去類を見ないほど高まっていた。ウェールズ代表ことレッドドラゴンズは決勝戦で最強フィジカル集団と評される南アフリカを相手に果敢にタックルを繰り返し、6-8のロースコアゲームを制して見事ジャイアントキリングを達成したのだ。


 人口は少ないものの、熱量ならどこにも負けない。ゆえにウェールズは欧州最強国決定戦シックスネイションズでもイングランドを上回って最多優勝数を誇っており、日本代表もアウェーで勝利したことは一度として無い。


 さて、イングランド戦が終わって一休みもできたし、ホテルで荷物を置いた俺たちはすぐにでも練習がしたいとやる気を漲らせていた。


 今度こそ絶対に、この悔しい想いを晴らしてみせる!


 午後からホテル近くの練習グラウンドへ移動し、アップを開始する。


 準備運動を終え、身体を慣らすためにランパスをしている最中のことだった。


「ホテルの最上階から見たんだけどさ」


 ボールを投げた和久田君が不意に話しかけてきたので、俺は「うん?」と返しながらキャッチする。


「この周り、そこら中にラグビーの練習場があるね」


「そういや列車の窓からも、H字型のゴールポストがあちこちで見えてたよな」


 言いながら俺はボールを次の選手に回した。きっと年代問わず広くラグビーが普及しているのだろう。週末の日本代表戦も、きっと多くのウェールズ国民が注目しているはずだ。


「みんなー、集まってくれ」


 練習中、日本代表ヘッドコーチのケイン・アルバートさんが選手たちを呼んだ。俺たちは練習を中断し、ヘッドコーチのいるベンチにわっと集まる。


「前にも話したが、ウェールズは正統派の強いチームだ。でかい体格もさることながら、一番の脅威はその連携だ。パス回しの展開の速さ、セットプレーの一体感はヨーロッパでも最上位だろう」


 日本代表の面々はじっと黙ったまま、コーチの言葉に耳を傾けていた。


 ウェールズもイングランドと同じく、まっすぐぶつかったところで勝ち目はまったく無い強豪だ。最後だけイングランドに通用したあのスクラムを、最初から発揮できないと勝つことはできないだろう。


「というわけでこっちはセットプレーでミスしないことが必要だ。特にラインアウトでボールを奪われれば、せっかくのチャンスを失ってしまう」


 前回イングランド戦ではラインアウトで投げ入れたボールを横から奪われてしまう場面があった。しかも奪われた3トライの内1本は、日本ボールのラインアウト失敗からつながった失点だ。


 対するイングランドのラインアウトは確実で、しかも捕球後のパス回しやモール形成といった次への行動も早かった。日本のセットプレーの精度は、まだまだ世界トップレベルには敵わない。


 あれに対応できなければ、次のウェールズ戦でも同じこと。ラインアウトの改善は俺たちに課せられた急務だった。


「ラインアウトでは相手に動きを読まれないことも大事だ。そこで一部の身長の高い選手に偏っていたジャンパーの役割を、他の選手にも分散させたい。というわけで進太郎、お前もジャンパーやってみないか?」


「え、俺ですか?」


 ヘッドコーチからの提案に、進太郎さんがきょとんと眼を丸めて自身を指差す。


 ラインアウトにおいて仲間に支えられながら跳び上がり、ボールをキャッチする役割をジャンパーと呼ぶ。ジャンパーは身長の高い選手ほど有利であり、大概はチームで一番の長身であるロックが務めるのがお決まりだ。


 だがロックの負担を減らしながら相手の意表を突くために、別の選手がサブのジャンパーとして跳び上がることは往々にして見られる。うちでも中尾さんらロックに加え、身長191cmのキャプテンが代わりを務めることもある。


 たしかに進太郎さんの身長は189cmと、ジャンパーでも十分活躍できるだけの高さはある。だが、当の進太郎さんは珍しく自信なさげだ。


「俺、ジャンパーほとんどやったこと無いんですけど……」


 彼の所属する大阪ファイアボールズには、進太郎さん以上の長身選手が多い。そのため進太郎さんにジャンパーが回ってくることは無かったのだ。


 それを一週間足らずで、強豪ウェールズ相手に通用するほどまでレベルを高めるのはさすがに無理があるんじゃないか?


 しかしヘッドコーチは「気にするな」と穏やかに話し続けたのだった。


「実力面では埋めようのない差があることは、悔しいが事実だ。だが相手の意表を突くことはできる。選択のバリエーションがたくさんあると見せかけることは、それだけで脅威になる。実際にキャッチするのは、試合中で1回だけでいい」


 相手は次に日本がどう展開してくるか、様々なパターンを想定して警戒しなくてはならない。ワンプレーならともかく、試合中ずっと頭をフル稼働させるのはかなりの労を伴うし、下手すれば試合後は体よりも脳が疲れているといった場合も起こり得る。


「はあ、では試しに……」


 結局嫌々ながらも、進太郎さんは了承したのだった。


「進太郎さん、ラインアウト頑張りましょう! 俺も下で支えますから」


 ミーティング後、肩を落とす進太郎さんに俺は駆け寄った。


「小森」


 進太郎さんがどんよりと曇った瞳をこちらに向ける。そしてぼそっと、言い放ったのだった。


「俺、高い所得意じゃないんだ」


 俺は「ええ!?」と声に出して驚いた。いや、俺だけではない。周りの選手たちもまさかの衝撃発言に、絶句して固まっていた。


「進太郎、今まで飛行機大丈夫だったのかよ?」


 同学年の中尾さんが進太郎さんの顔を覗き込む。仲間からの問いかけに、進太郎さんはすっと目をそらした。


「いや待て、お前たしか飛行機乗るとき、いつも通路側座ってたよな?」


「進太郎さん、飛行機ではずっとアイマスクして耳栓して眠ってましたよね。1時間くらいの短距離飛行でも」


 飛行機での進太郎さんのふるまいを、メンバーが次々と思い出す。まさかそういうのって全部……?


 口々に列挙される状況証拠に、進太郎さんはいかつい顔をぷるぷると震わせていた。

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