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第三十五章その3 悔しくないわけがない!

 大観衆が見守る中、ロンドンのトゥイッケナム・スタジアムで開催されたイングランド代表とのテストマッチ。そこで俺たち日本代表は、完全に力負けしていた。


「トライ!」


 相手ウイングの突破を許した日本の守備ラインは、振り返って追いかける暇さえ与えられずに得点を奪われてしまう。


 スタンドの大喝采に手を振ってこたえる薔薇の男たち。その姿を前にした日本代表選手たちはがっくしと膝をついた。


「3本目か……」


 和久田君が呟き、進太郎さんがちっと舌打ちする。


 作戦とかそういう次元ではない。単純に力が及んでいないだけだ。


 パスを展開させようが真正面からぶつかろうが、それを上回るスピードとパワーで阻まれる。やがてボールを奪われれば、途切れない攻撃でじりじりと後退させられて、最後に決められてしまう。


 こちらができるのは相手の反則で運良くペナルティキックをもらった時にゴールを決めるだけだ。


 去年、俺たちがU20でイングランドに勝てたのは、言い方は悪いがまぐれだ。あの試合のスコアは12-13。数字だけなら日本がギリギリで勝ったと言えるだろう。


 だがその内訳を見てみると、イングランドの決めたトライは2本。日本がトライを奪えたのは立ち上がりの1本のみで、あとはペナルティゴールによる得点だった。


 内容でも日本は劣勢に立たされる場面がほとんどで、地力ではイングランドの方が上回っているのは素人目にも明らかだった。


 それは今回も同じ。唯一違うのは、日本が試合中トライを奪えていないという点だ。


 日本は終始守勢に立たされたまま、時間だけが経過し、とうとう試合終了のホーンまであと5分を切る。その時点でのスコアは24-6だった。


 これまで日本が奪われたトライは3本で、逆にこちらが奪い返したのは0本。敗北は確定的だった。


「せめてトライ1本は奪い返そう!」


 キャプテンのジェローンさんは若手中心の選手たちを奮い立たせるべく声をかける。だが日本代表選手は全員、普段の試合の倍以上エネルギーを消費しているようで、立っているだけでも辛いのが目に見えてわかるほど足元がフラフラとしていた。


 その直後のこと。ラックから和久田君の飛ばしたパスを受け取った味方バックスが、比較的守りの薄いタッチライン際まで走り込んだ。


 だがいち早く反応した相手選手のタックルを食らい、オフロードパスをするつもりがするりと手からボールをこぼしてしまう。


「ノックオン!」


 レフェリーのコールとともに試合が止まり、サポートに回ろうと走っていた俺たちも落胆する。


 試合も最終盤、俺たちはコートのほぼ中央で、相手ボールのスクラムを奪われてしまった。


 ダメ押しの得点のチャンスに、イングランド代表選手は拍手を起こすほど気分を高揚させていた。ここでトライを決めれば、この試合でイングランドの獲得したトライは4本になる。


 1試合で4トライを獲得した場合、ワールドカップなどのリーグ戦では大量得点と認められ、結果の勝敗にかかわらず勝ち点1が与えられる。そのためウインドウマンスのテストマッチにおいても、1試合トライ4本というのは強さを示す大きな基準とされているのだ。イングランド陣営が沸き立つのは至極当然のことだった。


「まずいな……」


 80分にわたる一方的な展開に、ロックの中尾さんもつい漏らしてしまう。


 この試合、日本のスクラムは負けっぱなしだった。ボールを奪われないことだけに必死で、とても相手を押し返す余裕なんて無い。


 せっかくスクラムの二本柱として俺が指名されたのに、この試合では何も良いところを見せられていなかった。普段ならやってやるぞと燃え上がるスクラムも、今日この試合においては罰ゲームのように思え、俺の気分はすっかり沈んでいた。


「小森」


 だがその時、俺の肩に後ろから誰かの手がポンと置かれる。振り向いた底に立っていたのは、全身汗だくの右プロップ、テビタ・カペリさんだった。


「これまでのことは気にするな、このスクラムで勝つことだけ考えろ」


「ですが、あんな強い相手にどうすれば」


 ネガティブな感情に駆られ、俺はつい反論してしまう。だがテビタさんは「いいや」とはねのけたのだった。


「お前、気づいていないか? 試合が始まってから何回も繰り返すうちに、俺たちのスクラムの息がだんだんと揃ってきていることに」


 俺は「え?」と目を丸くした。これまで目の前の相手に押し返されないことだけに必死になっていてそんなこと考えている場合ではなかったのだが、どうやら彼はその最中にも別のことを考えていたようだ。


「練習だけでは間に合わなかったのが、今になって実を結んだみたいだぞ。このスクラム、もしかしたらいけるかもしれない」


 俺は「本当かなぁ」と不安を口にしつつも、仲間たちとスクラムを形成して相手と組み合う。相手スクラムハーフもボールを持ち、準備はすべて済んだ。


「クラウチ、バインド……」


 レフェリーの声。俺たちフロントローが頭と頭を突き合わせ、呼吸も止めて意識を集中させる。


「セット!」


 そして一瞬の後、8人と8人が全身の体重とパワーを前方向にかけて押し合いを開始した。


 さすがはイングランド、フォワードの平均体重も俺たちより3kgほど重いこの集団は、まだ本気を出していないにもかかわらずスクラムは分厚いコンクリート壁のように強固だった。


「せーの!」


 直後、すぐ隣で日本フッカーが声をあげる。どうやら相手スクラムハーフがボールを転がし入れたようだ。


 そしてこの時、相手フッカーはボールを受け止めるために足を前に出さなくてはならない。つまり一時的にスクラムを押しながら片足立ちの体勢になる必要があり、踏ん張りの利かない隙が生まれているのだ。


 よし、今だ!


 俺は足をぐっと伸ばし、さらに前へと全体重をぶち込んだ。


 その時、俺の身体を後ろから押し込んでいるロックやフランカーも、今までより一層強く踏ん張りを利かせる。そしてそれは肩を組むフッカーも、フッカーを挟んだテビタさんも同じだった。日本のスクラム全体が、寸分違わず同じタイミングでプッシュを強めたのだ。


「うわ!?」


 その急激な変化についていけなかったのか、相手フッカーがぐらついた。そしてなんとそのままボールを取り損ね、足元を転がり過ぎた楕円球を日本のフッカーが受け止めたのだった!


 このプレーはすぐに周囲に伝わったのか、観客からどよめきが上がる。だがその直後、割れんばかりの大歓声が俺たちの耳に聞こえた。


 よし、ボールは奪えたぞ!


 そう喜びたいのは山々だが、相手からのプレッシャーでそれどころではない。日本代表は奪ったボールをすぐにナンバーエイトへと回し、スクラムハーフの和久田君が急いでスクラム最後尾へと駆け寄る。


 そしてボールを拾い上げた和久田君は、お得意の流れるような高速パスでコート中央付近のバックスへとボールをつないだのだった。


 まさかの展開に急いで追うイングランド選手たち。スクラムを組んでいたフォワードも急いで散解し、守備位置に戻る。


 だが日本のパススピードにはとても追いつかず、ついに逆サイドに走り込んでいたフィジー出身のウイングまでボールを回すことに成功したのだった。Rリーグを代表するスピードスターの彼にとって、いくらイングランドといえどここまで守りが薄くなってしまえばあとは全力で走るのみだった。すでに走って勢いに乗っていた彼は、ボールを受け取るや否やさらに足の回転を速め、敵も味方も置き去りにしてしまう。


 ゴールライン目前で相手フルバックに飛び掛かられるも、やや後方で並走していたもうひとりの日本人ウイングにパスを回し、最後の番人を突破した。そして受け取ったウイングは全力で走り抜け、ゴールラインを越えたところで地面に楕円球を置いたのだった。


「トライ!」


 白で埋め尽くされた観客席から「ジャパン」のコールが巻き起こる。俺たちはゴールを決めたウイングに駆け寄り、互いに飛び跳ねながら抱き合って得点を喜んだ。その後のコンバージョンゴールも危なげなく決まり、さらに2点が追加される。


 その後、イングランドの蹴り上げたボールを日本はしっかりと受け止めるも、極限まで疲労がたまっていたせいかあっさりと奪い返されてしまった。そして試合終了のホーンとともに相手がボールをタッチラインの外へと蹴り出し、このテストマッチはノーサイドとなったのだった。


 24-13。強敵イングランドとの試合は、日本の敗北で終わり、同時に俺の代表初キャップ試合は黒星として記録されることになった。


 試合後、日本代表選手たちは全員が俯いたまま、重々しい足取りでロッカールームへと向かう。最初から最後まで圧倒され続けたせいで、今日の試合はとんでもなく長く思えた。


 せめて最後のスクラムをもっと早くからできていたら、また違った結果になっていたかもしれないのに。そんな想いに苛まれながらも、俺たちはロッカールームのベンチにどさっと腰を下ろす。


「いや、みんな大健闘だった。本当によくやったよ!」


 メンバーが沈み込む中、ひとり立ち上がったキャプテンが努めて明るく声を上げる。彼も80分間全力疾走とタックル、さらにスクラムを繰り返して疲労困憊のはずなのに、そんな苦痛はまるで感じさせなかった。


「あのイングランドからトライ奪ったんだぞ、まだ若いメンバーの大活躍で。みんな誇ってくれ、これは一生ものの自慢になるぞ」


 キャプテンの励ましに、選手たちの表情も緩む。


「へへ、日本も強くなったもんだな」


「そうだよ、俺たちイングランドにここまで粘れたんだよ」


 たしかに超強豪イングランド相手に24‐13というのはかつての日本と比べれば、信じられないレベルで成長したといえるだろう。強豪同士でも50‐10といった大差が頻繁に発生するラグビーにおいて、11点差など僅差も僅差だ。


 日本代表のロッカールームに和やかな空気が戻る。俺たちも頑張ったんだ、よくやったよ、と。


「お前ら、何ヘラヘラしやがんだ!」


 しかしそんな中で響き渡る突然の怒号に、選手たちはびくっと体を震わせた。一喝したのは、右プロップのテビタさんだった。見ると顔を赤くした彼の白い目には、こぼれ落ちる寸前まで涙が蓄えられていた。


「相手が誰であっても勝つ、それが俺たちの目指してきた日本代表だろうが!」


 最後のスクラムで誰よりも冷静だったテビタさんは、ここにきて押し殺していた感情を爆発させていた。イングランド代表でも付け入る隙が全く無いわけではなかった。それを活かせなかったのは日本のミスだ。


 彼の言いたいことを重々承知していた日本代表メンバーは、みんなしんと黙り込んでいた。その様子にさらに腹が立ったのか、テビタさんはなおも続ける。


「格上相手なら負けても仕方ないの一言で片付けちまうのか!? そんなの情けねえって思わないのかよ!?」


「んなこと言われなくても全員わかってますよ!」


 黙り込んでいたメンバーが、またしても跳ね上がった。感情を露わにするテビタさんに先陣を切って反論したのは、メンバー最年少の俺だったのだ。


 テビタさんがぎろりとにらみ返す。だが俺は負けじと続けた。


「悔しくないわけないじゃないですか! 100%力を出せれば、今日の試合も勝てたはずだってみんな思ってます!」


 そう俺が言い終わると同時に、テビタさんは無言のまま140kgの巨体を揺らしてずんずんとこちらへと近付く。そして最後に「小森」と呼び、俺のすぐ目の前で腹を突き合わせるようにして立ち止まったのだった。


「お前と俺、相性は最悪だが思っていることは気味悪いほどマッチしてるみたいだな」


 にっと笑うテビタさんに、「それはお互い様ですよ」と俺も同じ顔で返した。


 そんなプロップ同士のやり取りを見ていたキャプテンは腕を組んでゆっくりと大きく頷く。そして改めて選手たちを向き直ると、「みんな」と切り出したのだった。


「俺たちの実力はこんなもんじゃない。修正の時間はある、次の2戦で見せつけてやろう!」




 翌日、試合の疲れを癒す目的も兼ねて、日本代表一同はロンドン観光を楽しんでいた。


「これがビッグベンか」


 テムズ川沿いに聳えるウェストミンスター宮殿。その象徴ともいえる時計塔の荘厳な姿を見上げ、俺は唖然と固まってしまう。


「正式名称はエリザベス・タワーて言うんだね。中は英国議会の議場になってるらしいよ」


 ガイドブックを広げた和久田君が解説する。俺はあまり名所の由来とかは調べないタイプだが、彼は予習をしっかりしたうえで観光を楽しむタイプだ。


 これは撮影しなくては。俺たちは二人肩並べ、時計塔を背景に突き出したデジカメのシャッターを切る。


「あ!」


 その時、すぐ近くで甲高い声があがる。ふと見ると、有名スポーツメーカーの帽子をかぶった8歳くらいの小さな男の子がこちらを指さし、目をキラキラと輝かせていたのだ。


「ブレイブブロッサムズだ!」


「お、未来のラガーマンかな?」


 つい俺はしゃがみ込み、子供と目の高さを合わせる。ジャージも着ていないのに、まさか速攻で身バレするなんてな。


 だがその子の顔を近くで見た瞬間、俺は驚いて言葉を失った。なんと男の子のかぶっている帽子の側面には、日本代表の桜のエンブレムを象ったピンバッジが光っていたのだ。


「昨日の試合、スタジアムで見てたよ! 最後のスクラム、すっごいカッコ良かった!」


 男の子が嬉しそうに話す。そして「ウェールズ戦もテレビで応援してるね!」と満面の笑みを見せた瞬間、たちまち俺は胸の奥底からぶわっと熱い何かがこみ上げてくるのを感じた。


「うん、ありがとうね! これからも日本代表をよろしくね!」


 嬉しさのあまり泣き出したい気持ちを必死で堪え、俺はその子の身体を包み込むようにして腕を回す。そして帽子の上から何度も何度も、頭を撫でたのだった。


 テストマッチに敗れはしたものの、俺たちもこのイングランドで一定の成果は残せたようだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 日本代表の方も完全であったとしても勝てた可能性はひくそうですね。 さすがラグビー発祥の国の代表選手たちというしかないのでしょう。
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