第三十四章その1 待望のオファー
2029年10月。
俺の所属先であるオークランド州代表は今年のMitre10レギュラーシーズンを8勝2敗の1部リーグ2位で終え、あとは上位4チームが参加できるプレーオフを残すのみとなった。
リーグ優勝は逃したものの、まだ優勝のチャンスはある。昨年に続くプレーオフ優勝を目指し、チームの選手たちは日々トレーニングと連携の確認に明け暮れていた。
そんなある日の昼間のこと。チーム所有の屋外練習場にて練習中、帝王スポーツの山倉さんが取材に訪ねてきたのだ。
「小森選手、スーパーラグビー、ユニオンズからのオファーおめでとうございます」
相変わらず分厚い眼鏡を光らせて、山倉さんがメモ片手に俺に話しかける。後ろには立派なカメラを手にした若い男性スタッフが、でっかいレンズをこちらに向けていた。
それ望遠用じゃないかと勘繰りながらも、俺は「はい、ありがとうございます」とにこやかに答える。
今頃日本のラグビーファンの間では、話題になって……たらいいなぁ。なんと世界最高峰のプロリーグ、スーパーラグビーからついにオファーが届いたのだ!
声をかけてきたのは地元オークランドのユニオンズだ。引越しの必要も無い上に、ついに憧れのスーパーラグビーで戦えると思うと断る理由はない。舞い上がった俺はその日の内に入団の意向を伝えていた。
早ければこの12月からチームの練習に合流し、来年2月から公式戦が始まる。南半球各地を飛び回る忙しい日々になるだろうが、このレベルでプレーできると思えばどうってことはない。
「インターナショナルネイションズカップでのMVP獲得に、Mitre10での大活躍と躍進の1年でしたが、小森さんはここまでをどう振り返りますか?」
「A代表でMVPをいただいて、大きく自信をつけた状態でシーズンをスタートできたと思います。プロップとしてどんなプレーが一番求められているのか、自分に何ができるのか考えながらプレーするようになりました」
今シーズンの試合中の様々な出来事を思い出し、俺はうんうんと頷きながら答える。
「来年からユニオンズの所属となりますが、その中で憧れの選手はいらっしゃいますか?」
続けて質問を投げかける山倉さんに、俺は「そりゃもちろん」と前置きして口を開いた。
「ハミッシュ・マクラーセンですね」
俺が迷うこと無くオファーを承諾した最大の理由は、間違いなくこれだ。
ユニオンズにはあの若きナンバーエイト、ハミッシュ・マクラーセンも所属している。学年の違いから同じチームでは公式戦に出場できなかった彼と、ついにいっしょにコートに立てる。まだまだ自分は彼の足元にも及ばないが、世界的スターであり憧れの先輩と共演できる嬉しさは何物にも代えがたい。
当然、ハミッシュ以外にもオールブラックスの名だたるメンバーが多数在籍している。彼らと同じクラブでプレーできることは、他のクラブからより好条件のサラリーや出場機会を提示されても、揺さぶられようが無いほどの魅力があった。
「では、同じくスーパーラグビーからオファーをもらったチームメイトのローレンス・リドリーさんやエリオット・パルマーさんに向けて、メッセージをお願いします」
山倉さんの口の端がにやっと笑った。
そう、スーパーラグビーからのオファーをもらったのは俺だけではない。学生時代からの付き合いのあるローレンス・リドリーとエリオット・パルマーのふたりもまた、それぞれオファーを受け取っていた。
しかしそのチームは全員がバラバラだ。これまで味方同士だったのが、今度からは敵同士として戦うことになる。スポーツの世界はこういうことが当たり前のように起こるので、心境は複雑ではあるが面白くもあるな。
「チームは別になりましたが、コートの上では本気でぶつかっていきます。今までの積年の恨みを込めて」
山倉さんからの質問に、にやついて俺は答える。直後、近くでちょうどドリンクを飲んでいたエリオットが「おい!」と声をあげた。
一通り取材を終えた時のことだ。
「小森、ちょっと来てくれ」
突如監督に呼ばれた俺は、監督の私室に通されたのだった。
「またお前に郵便が届いているぞ」
そう言って監督は執務机の引き出しから一通の封筒を取り出し、俺に手渡した。
日本協会からだ。おそらくはまたA代表かU20に召集するのだろう。
俺は「ありがとうございます」と封を開き、中の手紙に目を通した。
「ええっと……日本代表への招集ですね。試合は11月……うわ、来月とか急だなぁ」
せっかくのオフでゆっくりできると思ったのに。俺は口を尖らせるもすぐに妙な違和感を覚え、「あれ?」と気の抜けたように首を傾けた。
「11月って、大会ありましたっけ?」
A代表にもU20にも、この時期に国際大会は無い。何のために日本協会は俺を呼んだんだ?
「小森、それは何の代表だ?」
監督がぐいっと身を乗り出して尋ねる。その顔は少し紅潮しているようだった。
「はい、日本代表って」
「A代表でもU20でもなくか?」
しばし俺はじっと文面を見つめる。うん、ジュニアジャパンとかユース世代とか別の呼び方も使われていない。単に日本代表とだけ……。
「でえええええ!?」
ようやくその意味に気付いた俺は、これまでの人生で出したことも無い奇声で叫んだ。その傍らで監督がハッハッハと高笑いをあげる。
「おめでとう、これで君も日本代表ブレイブブロッサムズの一員だな」
これはA代表でもU20世代でもない。正真正銘、フル代表の日本代表だ!
毎年7月と11月はウインドウマンスと呼ばれ、ラグビーのフル代表のテストマッチシーズンとして制定されている。テストマッチといえどこれは国同士の威信をかけた戦い、各国代表の最強チームが全力でぶつかり合う上、結果は世界ランキングにも反映される。
この期間は各国のプロリーグはすべて中止され、選手たちは自身の属するナショナルチームに召集されて国際試合に専念する。その際は気候の関係から7月には北半球のチームが南半球に、11月は南半球のチームが北半球に遠征するのが通例だ。
シックスネイションズのような定期開催の対抗戦とは異なり、遠く離れた強豪国と戦えるのは貴重な機会だ。特にティア2のチームとティア1のチームを迎え入れる場合などは、世界最高のプレーをその目で見るため、または逆転の奇跡を期待して超満員のファンがスタジアムに押し掛けることも珍しくない。
今回、日本は3週間をかけて英国各地を転戦するそうだ。そこでイングランド、ウェールズ、アイルランドら3か国の代表と1試合ずつテストマッチを行う。
なんという錚々たる顔ぶれ。もちろん相手はA代表でもU20ではない。各国最強メンバーをそろえたフル代表だ。
「今月のプレーオフが終わったら君、早速日本に帰らないとな。また忙しくなるぞ」
監督は俺の背中をポンと軽く叩いて激励する。だが俺はまだこの状況を呑み込み切れず、「はひ、がんばりまひゅ……」と気の抜けた返事をするしかなかった。




