第三十三章その6 最高の終わり
俺がジェイソンをコートの外に押し出したことで、日本ボールのラインアウトから試合が再開される。
このラインアウトでボールを確保した日本は素早くウイングへとパスを回し、走り抜けて一気に自陣を回復させた。途中で追いついたジェイソンのタックルに止められはしたものの、気が付けばカナダがラインを形成して日本が強引に攻め込むというさっきとは真逆の図式が出来上がっていた。
大柄なフォワード中心に身を屈めて相手にぶつかり、じりじりと相手ラインを後退させる。
とうとうゴールラインまで5メートル。ここまで詰めれば、あとはなんとか行ける!
「ボールをこっちに!」
ラックを形成する日本選手たちに、キャプテン中尾さんが呼びかけた。彼が何をしたいのか、勘付いた俺たちフォワードは確実にオフサイドを取られない距離まで一旦後退する。
直後、ラックから飛び出した楕円球がキャプテンへと渡された。
ボールを抱えた中尾さんは、ゴールラインめがけて走る。それを屈強なカナダのフランカーは、真正面から受け止めた。しかしうタックルを喰らう直前、中尾さんは身体の向きをうまく反転させており、ボールを相手の手が触れない位置で守り抜いたのだった。
間髪入れず、俺や進太郎さんといった日本フォワード陣もボールを守るため飛びかかる。俺が相手フランカーと組み合った時、中尾さんはまだ倒されておらず、しっかりとボールを抱え込んでいた。よし、モールの成立だ。
「押し込めぇえええ!」
俺のすぐ隣で進太郎さんが雄叫びをあげる。それに呼応するかのようにして、ジュニアジャパン選手はフォワードもバックスも関係なしにモールに参加した。対するカナダも屈強なフォワード選手が駆けつけて対応する。だが万が一ボールを出されてしまえば無防備のまま走らせてしまうことになるので、カナダ選手全員がモールに加わって押し返すことはできない。モールはボールを保持する側が有利なプレーなのだ。
平均体重では劣るものの数的優位を活かし、日本は一歩一歩、確実に密集をゴールへと押し進める。
ついに残り2メートル。あと一息!
ところがその時。突如、ずしんと妙な衝撃が伝わったかと思えば、まるでコンクリートの壁にでもぶち当たったかのように俺たちの足が止まってしまった。いくら押しても押しても、相手が動かない。
「なんだ!?」
ぎゅうぎゅうとおしくらまんじゅう状態の密集から、俺はなんとか首を動かして前を見る。
そして俺は絶句した。密集を形成するカナダ選手たちの最後方に、ジェイソン・リーが加わっていたのだ。
「優勝、諦めてたまるかってんだよ! カナダの歴史がかかってるんだ!」
他のバックスが万が一の事態に備える中、フルバックの彼はフォワード顔負けの体格を活かして力比べに加勢した。ノンストップの長い押し合いでジュニアジャパンも疲労の限界が近付いているこのタイミングで、比較的フレッシュな彼が入ってきたことは日本にとって大きな痛手だった。
ここで5秒以上足が止まってしまえば、レフェリーからボールをすぐにモールから出すよう指示が出される。そこで手間取れば最悪モールアンプレアブルが宣告されて、カナダボールのスクラムで試合が再開してしまう。
ボールを出してバックスに回しましょうか?
俺はすぐ近くのキャプテンに目だけで尋ねた。だが中尾さんは苦しそうな顔のまま首を横に振り、そしてすうと大きく息を吸い込んで思いきり吠え叫んだのだった。
「かまうものか、このままいてまえぇぇええ!!」
キャプテンの咆哮に、俺たちは一丸となった。全体重をかけ、前に前に力を込める。
そしてついに足を一歩、前へと進めることができた。レフェリーからの指示はまだ何も出されていない。
そこからカナダは我慢の限界といわんばかりに崩れ、一気に後退する。そして選手たちの密集がゴールラインを越えると同時に、最後尾でボールを抱えていた味方スクラムハーフがグラウンディングを決めて本日2本目のトライを奪ったのだった。
落胆に包まれるスタジアム、赤一色のカナダの応援はがっくしと肩を落とす。しかし一瞬の後、彼らははち切れんばかりの喝采で、日本のトライを称賛した。
「日本代表の皆さん、優勝おめでとうございます!」
試合後、スタジアムの中心に設けられたお立ち台の上で優勝カップを高く掲げるのは、キャプテンの中尾さんだ。その周りに集まった俺たちジュニアジャパンの選手たちは、カメラに向かってピースだのサイド・チェストだの思い思いのポーズを決める。
ちょうどその時、俺たちの背後で花火の柱が吹き上った。同時に金銀の紙吹雪も打ちあがり、スタンドに残っていた観客から盛大な拍手が贈られる。
カナダとの決勝戦、俺たちは最終的に17-6で勝利を収めた。
ジュニアジャパンはこの大会を2連覇。ティア1の国々が出場していない本大会でこの成績なら、現在のこのチームはワールドカップ本戦でベスト12として決勝トーナメントに出場できる程度の実力はあると言えるだろう。
「いよっしゃあああ!」
「この中から次のワールドカップには、何人出られるだろうな?」
ジュニアジャパンの選手たちが歓喜に耽る。
A代表はフル代表への登竜門、ここで評価された選手は日本代表ブレイブブロッサムズに選ばれる。特に2年後のワールドカップ出場を目指す若手選手にとっては最大の舞台だ。それを最高の結果で終えることができたのだから、皆期待するのは当然だろう。
さらにアナウンスは続く。
「さて、今大会の得点王は2名が同時受賞です。日本代表坂本パトリック翔平、カナダ代表ジェイソン・リー、おめでとうございます。両名の得点は5試合で75点、これは大会史上最多記録です」
会場は優勝決定時に劣らぬほど盛り上がった。大会史上初の2名受賞。特にカナダ代表からの選出は、これまた初めてのことだった。
「パトリック、おめでとう」
「お前がキックしてくれるから、安心してプレーできたよ」
仲間からの惜しみ無い拍手に、パトリックさんは照れ臭そうに頭を掻いた。
「みんなのサポートがあったからだよ。本当に凄いのはジェイソンだ、彼にも拍手を贈ってほしい」
中尾さんが「謙虚だねぇ」と茶化す。
もうひとりの受賞者、ジェイソン・リーはカナダ代表史上初の得点王となった。おまけにゴールキック成功率100%という前人未到の大記録も達成して。
ともかくカナダ代表にとっては史上初の連発だった。ジェイソン・リーという男はこの大会だけで、カナダのラグビー史に大きな足跡を残したのだった。
「さてお待ちかね、今大会通してのMVPは……」
アナウンスが妙なタメを作る。選手も観客も、ごくりと唾を呑んでたちまち静まり返った。
明確な数字の出ている得点王や最多トライと異なり、MVPは発表の時にならないと誰になるかわからない。
この大会で目立ったといえば得点を稼いで優勝に一番貢献したパトリックさんか、カナダ躍進の原動力になったジェイソンだろう。もしくはジュニアジャパンを率いたキャプテン中尾さんか。
さて、誰が選ばれるやら。
「全ての試合で献身的な守備と、要所要所でのセットプレーを確実に決め、トライに貢献していましたフロントロー」
うんうん。
「日本代表、小森太一!」
湧き上がる大喝采。ジュニアジャパンのメンバー皆がこちらを向いて、「おめでとう!」や「よくやったな」と盛大な拍手と賛辞を贈る。
だが当の俺は自分の名前がコールされたことにすぐには気付くことができなかった。3秒ほどぼけーっとしてから、ようやく「え、俺!?」と慌てて自分を指差して取り乱す。
「当り前だ、小森は君しかいないだろ」
パトリックさんが呆れた様子で言う。
「あ、ありがとうございます。けど……どうして俺が!?」
まさかの思ってもいない選出に、俺の内面は喜びよりも驚愕と戸惑いで占められていた。嬉しいことは嬉しいのだが……どうも場違いな気がしてならない。
この大会で俺が獲得したトライはプール戦での2本だけで、もっと多くのトライを決めた選手は何人もいる。それに俺、MOMだって一回ももらってないんだぞ。他に相応しい人はごまんといるはずだ。
「プロップの良さは数字では見えにくいだけだ」
そう話しかけてきたのは進太郎さんだった。
「今日の前半だってそうだ、お前がこの大会何度も失点を防いでくれたことは、周りで見ていた奴なら全員とっくに気付いている」
「実際に小森が入ったことで、前回よりもセットプレーの成功率がぐんと増している。」
中尾さんも加わった。
「日本がスクラムで反則取られたのって、ジョージア戦の1回だけだっただろ? 小森はプロップとして、最高の仕事をしてくれたんだよ」
メンバーからの温かい言葉に、目頭がじんと熱くなるのを感じた。
「ありがとうございます」
そして俺はようやく自分が選ばれたことを実感し、太い腕で目をこすったのだった。
デブで足も遅い俺にとっては数少ない適性ポジション。目立たない上に痛くてしんどい役割だけれども、プロップやってて良かったとここまで感じたのは久しぶりかもしれない。
さて、これにて1月以上にも及ぶティア2のワールドカップことインターナショナルネイションズカップ2029年大会は終了した。その結果は以下のとおりだ。
1.日本A
2.カナダ
3.ジョージア
4.フィジーA
5.サモア
6.アメリカ
7.韓国
8.トンガ
9.ウルグアイ
10.ルーマニア
11.ポルトガル
12.スペイン
13.ロシア
14.香港
15.ナミビア
16.ブラジル(開催地)
とにかくカナダの躍進の一言に尽きる。優勝候補でもあるサモアを破り、さらにフィジーAも倒したことは世界に大きな衝撃を与えた。
また韓国も最終戦で強豪トンガを破るという番狂わせを演じている。これら2か国は今後新たな台風の目として、従来の力関係をかき乱していくかもしれない。
そしてもうひとつ、注目すべき大会があることを忘れてはならない。
その夜、ホテルに戻った俺はすぐにパソコンを開く。そして強く高鳴る心臓を落ち着かせながら、スポーツニュースのサイトをクリックした。
画面に表示されたのは、本日終了したU20チャンピオンシップの結果。胸を押さえ、俺は縦長の順位表をスクロールさせた。
1.ニュージーランド
2.イングランド
3.南アフリカ
4.ウェールズ
5.オーストラリア
6.アイルランド
7.フランス
8.アルゼンチン
9.日本
10.スコットランド
11.イタリア(開催国)
12.フィジー
日本9位。その結果が目に飛び込むなり、俺は「良かった……」と大きく息を吐いた。どうやら日本は順位決定戦で、イタリアとスコットランドに連勝したそうだ。
これで来年もチャンピオンシップに残れる。心底ほっとした俺は、ぐでっと机に突っ伏した。
さあ、これから日本に一時帰国したらU20メンバーと会えるタイミングもあるはずだ。試合の内容についてはそこでじっくりと聞くことにしよう。




