第三十三章その4 ディフェンディングチャンピオンとして
準決勝から2日後。日本A代表の練習場に、1台のバスが到着した。
「やあ!」
降りてきたのは黒を基調として赤のラインが所々に入ったジャージ。ジョージア代表レロスの一団だった。
「アレクサンドル、ギオルギ! よく来たなぁ!」
よく知る顔がグラウンドに現れたのを目にするなり、俺はパス練習を中断して駆けつける。
「本当だよ、選手からの要望で合同練習が実現するなんてね」
ジョージアの若きフッカー、アレクサンドル・ガブニアもご満悦の様子だ。
俺たちジュニアジャパンとジョージアは、迫るそれぞれの最終戦に備えて合同で練習をすることになった。
先日の準決勝、進太郎さんの捨て身の守備をきっかけにして、ジュニアジャパンの選手たちの心に火が点いた。
進太郎さんが交替した直後、スクラムのボールを確保した俺たちはすぐにスタンドオフのパトリックさんへと回し、強烈なキックで自陣を回復する。そこに走り込んだ味方ウイングが見事にボールを拾い上げると、独走でトライを決めて同点に追いついたのだ。
そこからは日本ペースでボールを支配し続け、最終的に20-7でジュニアジャパンが逆転勝利を果たし、決勝戦へと駒を進めたのだった。
そう、我々が決勝に進出できたのは、ひとえに秦進太郎さんという尊い犠牲あってのもの。天国の彼の分まで頑張らないと、申し訳が……。
「ようみんな! 練習終わったらぐいっと飲みニケーションしようぜ!」
俺の背後からぬっと現れた進太郎さんが、ジョージアの選手たちに陽気に話しかける。
「進太郎、今日の目的は練習だぞ。そこはちゃんと弁えとけ」
すかさずキャプテン中尾さんが釘を刺す。
「けど中尾、練習後のアルコールの美味さはお前もよく知ってるだろ?」
「そりゃもちろんだ。西は芋焼酎、東はどぶろく、海を越えてはエールビール。アルコールはラガーマンの血となり肉となるんだぞ」
と思いきやキャプテンも太一ノリノリだった。なお血中アルコール濃度が高いのは所謂「酔っている」状態なので、ラグビーなどの過度な運動はやめておきましょう。
負傷交代時に中尾さんが言った通り、進太郎さんが立ち上がれなかったのはごく一時的なもので、試合が終わった頃には復活してピンピンと動き回っていた。アフターマッチファンクションでも誰よりも多くビールを飲んでいた気がする。
しんみりしたムードを全てぶち壊す常識外れのタフさは、さすが進太郎さんと言ったところか。以前、日本のスポーツ新聞で『ジャパニーズ・モンスター』と評されただけのことはある。
「ジョージア代表の皆さん、ロッカールームはこっちです」
飲酒トークを続けるふたりを無視し、パトリックさんがジョージアの選手たちを案内する。このチームは中尾さんと進太郎さんがコメディ担当なところもあるので、平時は他の年長選手がまとめ役を担うことが多い。
「アレクサンドル、ウォーミングアップ終わったらすぐに練習試合だよ。練習て言っても負けないからな」
ロッカールームへと向かうアレクサンドルに、俺はにははと軽く話しかけた。
「こっちもそのつもりだよ、3位決定戦がかかってるんだから」
アレクサンドルが振り返る。
「太一だってそうだろ? 優勝のためには絶好調のカナダを……ジェイソン・リーをどうにかしないとね」
こちらに向けられる真剣な眼差しに、俺はつい笑うのをやめて「だな」と頷き返した。
同じ日に開かれたもうひとつの準決勝。そこでカナダは格上のフィジーA代表をも打ち倒してしまった。
スコアは13―10。互いにトライを1本ずつ決めたものの、ペナルティゴールの本数によりカナダが競り勝ったという展開だった。
その準決勝でジェイソンが決めたのは8点。決勝戦を残して、本大会の得点はジェイソン69点、パトリックさん68点。
両者の差はわずか1点のみ。得点王の行方は、誰にも予測できない。
その後、日本とジョージアは試合形式の練習を行ない、互いに最終戦に向けて調整を行った。
カナダは伝統的に大柄な選手が多く、フォワードの強さに定評がある。ジョージアのフォワード陣を仮想カナダに見立て、俺たちはセットプレーの練習に勤しんだ。
もちろん練習の後は両軍の大宴会だ。そこで披露された進太郎さんがビール瓶まるまる1本一気飲み芸には、ジョージアの大酒飲みたちも度肝を抜かされていた。
ついに決勝戦の日となった。
連日ガラガラだったスタジアムにも、今日は1万人ほどが押し寄せると見られている。
「情けないプレーはするな。今日の俺たちを見て、ラグビーを始める子供がいるかもしれねえんだぞ」
ロッカールームで話す中尾さんに、選手たちは「はい」と声をそろえる。
この大会、日本は2連覇がかかっている。しかも相手は実力で劣るカナダ、順当にいけば大崩れしない限り日本の勝利は堅い。
しかし今大会、カナダはサモアやフィジーAといった格上の相手に連勝をして決勝戦まで上り詰めている。特にサモアは日本のフル代表でも苦戦する強豪だ。
カナダの急成長とその勢いは、ジュニアジャパンをも上回りかねない。
今の俺たちは勝って当たり前のディフェンディングチャンピオンだ。奇しくも去年、U20チャンピオンシップで失うものも何も無く挑んでいったU20日本代表とは逆の立場。そんな俺たちを迎え撃ったイングランドのベンジャミン・ホワイトは、もしかしたら今俺が感じているこのプレッシャーと同じものを感じていたのかもしれない。
加えてもうひとつ、気がかりなことがある。
ちょうどイタリアで開かれているU20チャンピオンシップの最終戦も、今日行われるはずだ。
今ちょうどその最中なのか、それとももう終了しているのかはわからないが、予選プールで3連敗を喫した西川君たちが今どうなっているのか、どうしても気になってしまう。
「やるぞ日本! 俺たちならできる!」
俺たちは円陣を組んで気分を昂らせる。
勢いに乗っているカナダはテンションを最大限まで高めて決勝戦に挑んでくるはずだ。それに圧倒されないよう、こちらも気合十分で返り討ちにしたい。
そしてロッカールームを出る。入場ゲートからちらりと見えたスタジアムの観客席は、カナダからの応援団により赤一色に埋め尽くされていた。
「凄い数ですね」
この大会はずっとお客さんが少なかったのに、
「時差があまり無いから、居ても立ってもいられないファンが駆けつけてきたんだろう。優勝できたらカナダにとって歴史的快挙だからな」
この大会、カナダはまだ優勝経験が無い。出場はティア2だけとはいえ、これほど大きなフル代表による国際大会で優勝できれば、国内でのラグビーの注目度は一気に高まる。選手もファンも、目指すところはただひとつだった。
ちなみにカナダ代表ことメイプルリーフスのシャツは赤一色だ。チェンジカラーも白で日本の赤白模様と被るので、この決勝戦に関しては俺たちの方が青と紺のチェンジカラーを着用している。
そしていよいよ選手入場のコールがかかる。
日本とカナダ、両軍が一列になって大喝采に包まれて芝の上を歩く。その真ん中には台が置かれ、金ピカに輝く優勝カップが鎮座していた。
試合が終わった時、このカップを掲げられるのは勝ったチームのみ。実物を目にすると否が応でも心が凛とする。
そしてコートの上に選手が横一列で並び、両国の国歌が演奏される。その際カナダの国歌が鳴り始めると同時に、スタジアムは1万近くの応援団による大合唱が響いた。ここは両国にとってしても遠く離れたブラジルだというのに。俺たちジュニアジャパンは完全にアウェーの気分だった。
最後に選手同士、ひとりひとりと握手を交わす。
「よろしく」
その最中、俺はジェイソンに手を伸ばす。彼は以前よりもさらに屈強な体格に成長しており、フルバックとしてさらに強くなっているのが一目でわかった。
ジェイソンは「おう」とだけ答え、俺の手を軽く握り返すとそのまますれ違ってしまった。
普段はおちゃらけて今ひとつ締まりの無いジェイソンだが、こういう時の彼は誰よりも闘志むき出しだ。
「よし、気合い入れていくぞ!」
両軍が各々の陣に分かれ、いよいよキックオフの笛が鳴る。さあ、決勝戦の始まりだ!




