第三十二章その1 再会のトーナメント
「他の試合、終わったみたいだぞ!」
プール最終戦後のアフターマッチファンクションの会場で、スマホを覗いていたキム・シノが口を開く。聞きつけた日韓両国の選手たちはそれぞれの談笑を中断し、わっと群がった。
「ええと、カナダ対サモアが17-19で……」
ごくりと唾を呑み込み、じっと耳を立てる男たち。
「カナダ勝利!」
途端、選手たちから「ええ!?」という驚きの声と、「やっぱりか」と感心する声が半々で上がる。
「サモアが負けたのか!?」
「みたいだな。しかもカナダが取った19点中、14点はジェイソン・リーが取ったみたいだぜ」
話しながらキムはちらっと俺に目配せした。
「あのフルバックか。この大会カナダが絶好調なのは、あのキッカーがいるからってのは間違いないな」
日本のキャプテン中尾さんが顎に手を当てる。
本日、インターナショナルネイションズカップのすべてのプール戦が終了した。ブラジル各地で開催された計24試合の結果により、各プールの順位は以下のように決定した。
プールA
1.日本A 2.韓国 3.ポルトガル 4.ブラジル(開催国)
プールB
1.フィジーA 2.トンガ 3.ウルグアイ 4.ロシア
プールC
1.ジョージア 2.アメリカ 3.ナミビア 4.スペイン
プールD
1.カナダ 2.サモア 3.ルーマニア 4.香港
カナダが地力で勝るサモアに勝利を収めたことは、ラグビー関係者にとって大きな衝撃だった。これによりカナダは日本と同じ優勝決定トーナメントに進出し、プール2位のサモアは韓国やトンガとともに5~8位決定トーナメントへと進む。
特筆すべきはこの試合、サモアの決めたトライの数が3本であるのに対し、カナダは1本だけだったという点だろう。サモアはフィジカルでカナダの選手を圧倒したもののラフなプレーが多く、ペナルティキックを多く与えてしまったことが仇となって勝ちを譲ってしまった。
そしてもちろんのこと、この試合のキッカーはオークランドゼネラルハイスクールでともに学んだジェイソン・リーだった。彼はコンバージョンゴール1本とペナルティゴール4本で計14点を獲得しており、その成功率は100%。予選プール3連戦、彼はただの1本もゴールキックを外さなかったことになる。
これでプール戦を終えての合計得点はジェイソンが61点で、日本のパトリックさんは58点。プール戦の得点王争いは、ジェイソンに軍配が上がった。
この会場にいた人間は誰しもが、そのことを気にかけていた。どんな言葉をかければよいのかわからず、皆がパトリックさんにいたたまれない視線を投げる。
「みんなありがとう、心配してくれて」
だが当の本人は思いの外平然としていた。
「プール戦で得点王逃したのは残念だけど、まだ大会は終わってない。トーナメントでいくらでも取り返すよ」
そう話しながらにっと白い歯を見せるスタンドオフの姿に、俺たちはほっと胸を撫で下ろす。彼の戦意は失われていない。競争心だけにとらわれることなく、内面をよりタフなものへと磨き上げていた。
「ところでキム君、他のチームはどんな感じ?」
「ああ、そうだな」
関連ニュースを調べて、キムが読み上げる。
2027年ワールドカップで決勝トーナメントにも進出した新興勢力アメリカと、シックスネイションズにも迫らん勢いの欧州のジョージアという死の組対決は、ジョージアの勝利だった。15-10のロースコアの激闘は拮抗した者同士一進一退の攻防が繰り広げられたものの、最後はジョージアがフォワードのパワーで押し切った形となった。
これで優勝の行方は日本A、フィジーA、カナダ、ジョージアの4か国に絞られる。そして我々ジュニアジャパンは勝ち点の関係で全体でも首位に立ったため、次の対戦相手は現状4位のジョージアに確定した。
「次はジョージアか。フォワードが強い、厄介な相手だな」
日本の選手たちが頭を抱える。
一方、俺の頭の頭の中は困惑の感情で占められているのに、同時に胸の奥からは高揚感が湧き出して感激すら覚えていた。
今大会のジョージア代表には、あのアレクサンドル・ガブニアも選ばれている。オークランドの世代別選抜にも選ばれていっしょにワールドツアーに参加した、あのジョージアからの留学生だ。
彼は現在ニュージーランドのMitre10カンタベリー州代表チームに所属している。昨シーズンも一戦を交えたことのある相手だが、身体の強さは相変わらずで、フランカー顔負けのタックルと走力を備えていた。当然、フッカーとしてスクラムでボールを操ったり、ラインアウトでボールを投げ入れたりといった器用さもスタメン級。彼がフロントローに入るだけで、スクラムの総重量が100キロ増えたような気さえする。
次は彼と戦うのか。楽しみなのかやりにくいのか、微妙な顔を浮かべていた俺に気付いたのかキムはにっと笑ってみせた。
「小森、お前このままだと準決勝でアレクサンドルと戦って、決勝でジェイソンと戦うってこともあり得るんじゃねえか?」
身内ネタを飛ばすキムに、俺は「まさかー」と答える。たしかにその可能性も否定はできないけど、そううまくはいくか?
てか前々から思っていたけど、チアゴにしろキムにしろ、この大会俺に縁ある相手と当たりすぎだろ。さすがにそこまで都合よく再会試合が続くとは……。
「いいや、日本には言霊信仰ってのがある」
割って入ったのはパトリックさんだった。その場にいた全員が、きょとんと点にした目を力説する彼に向ける。
「言葉は魂を持っていて、口にするだけでも力を持つ。つまり『決勝はカナダと』って何度も言い続ければ、それが実現するってことだよ」
「本当かよ?」
中尾さんがすかさずツッコミを入れる。だがパトリックさんの言うことはあながち間違っていないようにも思え、俺は「ですかね?」と苦笑いを浮かべた。
「そりゃいいな。決勝はカナダと!」
一方、調子にのったキムは威勢良く声をあげる。
「キム、お前は先にうちのチームの心配をしろ!」
だが兄貴分のパク・ミョンホに、非情にも横から叱責を受けてしまったのだった。
その夜、俺はホテルの自室でノートパソコンを開いていた。毎日それなりの数のメールが届くので、こまめに読み込んだりゴミ箱送りにしておかないと後からめんどくさいことになるからね。
そして何気なく、日本語の検索エンジンを開いた時のことだった。
「え!?」
トップ画面に表示されたネットニュースの見出しをちらりと目にするや否や、裏返った声が漏れる。
現在イタリアで行われているワールドラグビーU20チャンピオンシップ。この大会には西川君や和久田君らU20日本代表が出場している。しかし俺たちはそれぞれの大会に集中するため、期間中は敢えて互いに連絡を取り合わないように約束していた。ここブラジルでは自国も出場していないので、大会についてテレビニュースで報じられることも無い。
その見出しの内容は衝撃的なものだった。
『日本、屈辱の3連敗 U20チャンピオンシップ』
慌てて記事をクリックし、息を止めながら文章を読む。
日本は予選でニュージーランド、ウェールズ、アイルランドと同組になり、いずれの試合でも敗れてしまっていた。特にニュージーランドには63-6の大敗で、相手が8本のトライを決める一方、こちらは1本も奪い返せなかったそうだ。
これから日本はスコットランド、イタリア、フィジーとともに9~12位決定トーナメントに移る。ここでも敗れて12位になれば、チャンピオンシップ12か国からついに転落となる。
昨年、イングランドをも破って5位に輝いたチームだというのに、なんという落ち込み様。試合は水物とはよく言われるが、これほどまでとは……。
反射的に俺はスマホを取り出し、電話帳で和久田君の連絡先を開いていた。
そして画面をタップする寸前で「落ち着け!」と叫んで叫ぶ理性の声が聞こえ、俺はピタリと指を止める。
つい無意識のうちに電話をかけようとしていたが……ここで俺から、何と声をかければいいんだ?
惜しかったけど次は大丈夫!
気にするな、どーんといけ!
そんな励ましの言葉、今貰っても嬉しいものか?
負けた時、放っておいてもらいたいという気持ちは俺自身が何度も経験している。下手な言葉を選択すれば、彼らを余計に傷つけかねない。そもそも彼らが今激しく落ち込んでいるのか平然としているのか、その様子を俺は知らない。
いや、元より大会期間中は連絡を取り合わないと事前に約束していたんだ。約束は約束、これを最後まで守るのもみんなへの礼儀。試合については大会が終わった後、飽きるまで話せばいい。
大丈夫、こちらから何を言わずとも、みんななら次の試合までに立ち直ってくれている。こういう時こそ俺があいつらを信じられないでどうするんだ。
最後に俺は一度大きく頷くと、画面の「戻る」を連打した。そして初期画面に戻ったところでスマホの電源を落とし、ふうと小さく息を吐いたのだった。




