第三十一章その3 またしてもまたしても
馬原さんがトライを決めた直後、U20キッカーの西川君が危なげなくコンバージョンキックを成功させる。これでスコアは0-7と、相手のリードが広がった。
そこからボールは前進と後退を繰り返し、やがてセンターライン付近での相手ボールのラインアウトとなった。
「いくでー!」
タッチラインの外に立ったフッカーの石井君がボールを抱え上げると、二列に分かれた両軍の選手がぎろりと目を光らせる。
そして石井君は丸太のような腕を振るい、楕円球を放り込んだ。山なりの高い軌道、奥の方でキャッチするコースだろう。
だが飛んできたボールに最初に手を引っ掛けたのは、この中で最長身199cmのキャプテン中尾さんだった。俺ともう一人のプロップに持ち上げられた中尾さんはその長身からさらに腕を伸ばし、相手のボールを奪ってしまったのだ。
「よっしゃ!」
A代表の選手たちから声が上がるが、その間にも中尾さんはラインの後方に控えたスクラムハーフにボールを回していた。ジュニアジャパンの選手たちはパスを重ね、逆サイドから勝負をかける。
そして守備の間隙を突き、楕円球を抱えて一気に走り出したのはすらりと背の高いスタンドオフの選手だった。
「いっけえパトリック!」
味方から、観客からの声援を受けて走るのは彫りが深く、きりっとした目つきの青年。我らがA代表ことジュニアジャパンのスタンドオフ、坂本パトリック翔平さんだ。
長身から繰り出される幅広いストライドは後続の選手たちを置き去り、一気に敵陣へと切り込んでいった。
俺より2つ年上の彼はお母さんがベルギー人で、小学校入学前はブリュッセルに住んでいたらしい。ゲルマン系民族であるフラマン人の特徴を受け継いでいるためか身長は188cmと日本国内のチームならロックも務まりそうなほどでかいものの、ラガーマンとしてはやや細身で体重は86kgほどだ。
しかし無駄な重量を削ぎ落したその肉体の賜物か、スタンドオフに必須のキック技術に加えてバックスにも劣らないランニング能力を誇り、機会があればトライゲッターにもなれる逸材だ。
一気に敵陣ゴールに迫るパトリックさん。その行く手に馬原さんと西川君の相手バックスが割り込んで道を塞ぐ。この二人が相手ではパトリックさんも突破は難しいだろう。
だがその時、彼は手にしたボールを前にポロっと落としたのだ。
「パントキック!」
そしてボールが地面に触れる直前、キックを強く蹴り入れる。
ボールは高く跳びあがり、集まってきた選手たちの頭上を越えて逆サイドへと戻される。このプレーには西川君と馬原さんも意表を突かれたようで、慌てて楕円球を追って走り出した。
それをジャンプしてキャッチしたのは、ロックの中尾さんだった。先ほどまでラインアウトを形成していたおかげで、ジュニアジャパンのフォワードはまだこちら側に密集しており、数の上で圧倒的に有利だった。
ボールを持った中尾さんに、石井君の120kgの巨体が飛びかかる。だが近くにいた俺や進太郎さんらフォワード陣もすかさず加勢し、ゴールライン目前で中尾さんを中心としたモールが形成されたのだった。
バックス勝負かと思いきやまさかのフォワード勝負への転換に、U20は対応が間に合わなかった。体重に分のある俺たちは今がチャンスとばかりに密集を押し込み、ゴールラインを越えてトライを決めたのだった。
「いいぞ、みんな!」
中尾さんがぐっと指を立て、俺たちは歓声とともに腕を振り上げる。
その後、難しい角度であるにもかかわらずキッカーのパトリックさんは落ち着いてコンバージョンゴールを決め、俺たちは7-7の同点に追いついた。
そこからのボール支配率はジュニアジャパンの方がやや優勢だったものの、結局最後までこのままスコアは動かなかった。西川君と俺は、またしても引き分けで決着つかずで終わってしまったのだった。
その日の夕食は両軍のアフターマッチファンクションを兼ねたバイキング形式で行われた。A代表とU20は年齢が近いこともあり顔見知りも多く、選手たちは昔からの仲間のようにすっかり打ち解けていた。
「小森君ひどいよ、僕にタックルするなんて」
「勝負の世界に情けは無用だぞー」
口をとがらせる和久田君に、俺は料理を取るためのトングを握りながら得意げに答える。
ふと見ると、机の向こうに西川君が立っていた。だが彼は熱心にひとりの長身の選手に話しかけており、俺のことなどまるで気付いていないようだ。
「パトリックさん、すごいキックでしたね! どういう練習を積まれたんですか?」
あの西川君がきらきらと視線を送る相手、それは我らがスタンドオフの坂本パトリック翔平さんだった。トライ直前の逆サイドに返す力強く正確な一発は、敵である西川君ですら魅了してしまったようだ。
「ありがとう。でもあれは僕ひとりだけじゃできない、フォワードがトライを決めてくれるって思ってたから、安心して蹴れたんだよ」
にこりと微笑んで返すパトリックさん。彼この通りの好青年だ。
「西川君、すっかりファンだね」
俺は後ろから近づき、茶化すように話しかける。だが西川君は俺の意図などまったく理解していないようだった。
「おう小森、あのキックはすげえよ。あんなにスムーズに、それも狙った位置に落とせる選手なんて滅多にいねえぞ!」
そんな俺たちを見てか、パトリックさんは首を傾げた。
「えっと、たしかふたりは幼馴染なんだっけ?」
「はい、小学校がいっしょで、同じラグビースクールに通ってました」
「どこ?」
「横浜の金沢区ってところです」
「金沢区か。瀟湘八景に倣った金沢八景で有名だね」
しょーしょーはっけい? なんだそりゃ。
パトリックさんはラグビーに励む大学生であるが、同時に文学部に在籍しており、日本文化を専攻している。詳しくはわからないが、民俗学のゼミにも入っているそうだ。見た目と中身が全然違うとはまさにこのこと。
「おい中尾」
パトリックさんの後ろの方から強い声が聞こえる。どうやら料理を取り皿に盛るキャプテン中尾さんに、進太郎さんが付きまとっているようだった。
「お前、ガチャに10万円ぶっ込むとか言ってたよな。それ、どうなったんだ?」
「あー、ドローだから無しだ無し」
「こいつ逃げやがった、卑怯だぞ!」
惜しくも引き分けの今日の試合結果、一番安心していたのは実はうちのキャプテンなのかもしれない。




