第三十一章その2 ジュニアジャパンVsヤングジャパン
シーズンオフにも関わらずMitre10オークランド州代表としての活動とジュニアジャパンの合宿のため、ニュージーランドと日本を往復する忙しい日々が続く。
そして5月下旬。明日はいよいよU20日本代表との練習試合だ。
開催地である静岡のホテル。夕食を済ませた俺はロビーのソファに座り、スマホで家族にメッセージを打ち込んでいた。
「よう小森!」
突如、名を呼ばれる。顔を上げると前から3人、屈強な男たちが連なってずんずんとこちらに歩いてきていた。
「あ、西川君!」
俺はスマホを置いて手を振り返す。近寄ってきていたのは西川君、石井君、そして進太郎さんの弟の秦亮二君の同い年3人だった。
なんと俺たちジュニアジャパンの滞在するホテルは、U20日本代表の宿泊先と同じだったのだ。大きな会議室を複数備えた立派なホテルなので施設面は問題ないが、敵と味方が同じ空間にいるのは妙な気分だ。とはいえ同じ日本代表となると、実質仲間のようなものか。
「せっかく久しぶりにお前とラグビーできると思ったのに、また敵同士とはな」
西川君が苦笑する。いつかいっしょに世界の頂点を取ろうと誓った仲なのに、なかなかその機会は巡ってこないものだ。
「ほんま、俺もいっしょにスクラム組める思うて楽しみにしてたんやで」
俺と同じく身長180cmを超え、体重も120kgと巨岩のようになった石井君が相変わらずの関西弁でまくしたてる。
「亮二も辛いやろ、自分の兄貴と対戦するんやし」
そして隣にいた秦君に声をかける。筋骨隆々の兄とは違い、182cmの細い体躯に均整の取れた筋肉が覆う弟は顔立ちも中性的で、美形と呼ぶにふさわしい。
しかし秦君は訊かれるなり「いいや」と首を横に振って返したのだった。
「日頃の鬱憤晴らす良い機会だ、みんなうちのクソ兄貴がボール持ったら遠慮なくタックルいっていいぞ」
「やめたれやめたれ」
俺たちは一斉に手を横に振る。進太郎さんが聞いたら、人目もはばからず号泣しそうだな。
翌日、選手たちは磐田市のヤマハスタジアムへと赴いた。
かつては注目度の低かったアンダー世代、それも公式記録に残らない練習試合であるにもかかわらず、1万5000の観客席はほとんどが埋め尽くされている。日本のラグビー人気が文化として定着しつつある兆しだろう。
「おい中尾、なんか表情が暗くないか?」
メンバーが桜のジャージへと着替えを終えたロッカールームで、進太郎さんがベンチに座る中尾さんに声をかける。振り返った我らがキャプテンは、試合前だというのに顔から覇気が感じられなかった。
「昨日、深夜アニメの実況ツイートを我慢して早く寝たから……さっきネットで最新話見たけど、やっぱ実況しないとおもしろさも半減だよ」
「お前の場合は夜更かしした方が良いパフォーマンスできそうだな」
進太郎さんが呆れてため息を吐くのを見て、周りの選手たちが爆笑した。
「中尾さんならきっと大丈夫ですよ。プロの強さ、見せてやりましょう!」
近くにいた俺は努めて明るく声をかける。実際に中尾さんは次期日本代表のロックとして真っ先に候補に挙げられるほどの選手だ。うまくいけば2031年のワールドカップにも、フル代表として出場できるかもしれない。
だが中尾さんの表情は険しいものだった。実況ツイートができなかったからではなく、この試合が厳しいものになると言いたげに。
「小森君はあまり知らないかもしれないけど、実はここ数年で下の世代のレベルは一気に上がっているんだ。本当に1年ごとに、バトル漫画で戦闘力が53万から一気に1億2000万までインフレするみたいに」
「随分と局地的な例えですね」
俺は苦笑して返した。だがそれについては西川君から聞かされたことがある。
理由は2019年のワールドカップ日本大会だ。大会をきっかけに多くの小中学生がラグビーを始め、国内の競技レベルが飛躍的に伸びたのは有名な話。
そして今の高校生は、当時小学校低学年だった世代。10年近く楕円球を扱ってきた選手が急激に増えたおかげで、近年のユース世代は過去最高レベルにまで高まっている。年上だからと胡坐をかいていると、すぐに足元をすくわれかねないのが今の日本だ。
やがて試合開始時間が訪れ、俺たちは青空の下のコートに進み出る。日本勢同士の試合のため、スタンドの観客は俺たちと同じ赤白縞模様のジャージでそろえていた。
対するU20日本代表は青と紺の縞模様のアウェイカラーだ。対戦相手とユニフォームの色が被る時はこのようにアウェイカラーを着るのがスポーツの世界だが、ここまで対照的な色彩を採用するのも珍しい。
「小森君!」
声をかけてきたのは和久田君だった。去年は同じチームだった彼も、今日は俺と違い青と紺のアウェイジャージを着ている。
「やあ、おひさ!」
敵チーム同士ながらも、俺はにこやかに手を振り返して答えた。
和久田君は俺とは異なり、留学が終わってすぐに日本に帰国したため、代表資格が認められるニュージーランドでの60か月以上の継続した居住という要件を満たしていなかった。ゆえに日本代表以外の資格は所持しておらず流出の心配も無いため、俺のようにシニア世代のA代表には召集されなかったのだろう。
「久しぶりだね、こうやって分かれて戦うのは」
「うん、小学校6年以来じゃないか?」
思えば彼とは留学時代と去年のU20日本代表、合わせて4年半も同じチームでプレーしていたことになる。年数で言えば西川君よりも長いんだよなぁ。
「小森君のクセは全部知ってるから、1トライも入れさせないよ」
「言ったなー、じゃあこっちは和久田君の恥ずかしい秘密をみんなに言いふらしてやる」
試合前とは思えない和気藹々としたやりとりだが、進太郎さんが「小森、早く来い!」と呼んだので俺は自陣へと走り戻った。
そして両軍がサイドに分かれ、キックオフの笛が鳴る。
A代表が大きくボールを蹴り上げる。見た目に反した素早さで落下点に駆け寄った石井君はしっかりボールを抱え込むと、いきなり猛牛のごとき突進で芝の上を駆ける。
走り込んだA代表のバックスが次々と飛びかかるが、3人ほどを絡めたところで石井君は後方の秦君へとボールをつないだ。
楕円球を手にした秦君は、まるで忍者のようにA代表の選手たちの間をするすると掻い潜る。彼の反射神経とステップ能力は高校の頃から注目されており、特別スプリント能力が秀でているわけではないにもかかわらず相手の守備をかわしてしまうことから『芝の上のエンターテイナー』と一部メディアで呼ばれていた。
さらにメディアが注目することで彼のきれいな顔立ちが広く全国に知られ、主に女性のラグビーファン、またはラグビーは知らないが秦君は好きだという女性ファンから年代問わず絶大な人気を誇るようになったのだった。羨ましい。
「我が弟よ、いくら大切なお前でも容赦はせん! そう簡単に兄を超えられると思うか!」
フォワードの戦列を抜け出し、突っこんでいったのは進太郎さんだった。189cmの巨体が大きく腕を広げ、凄まじい威圧感を放ちながら秦君に襲い掛かる。
「あらよ!」
だが進太郎さんが飛びかかると同時に、秦君は急ブレーキにも似たステップを踏んでかっくんと横っ飛びを披露する。進太郎さんの太い腕がぶんと空を切り、その脇を何事もなかったかのように秦君は走り抜けてしまった。
きゃーという黄色い大歓声、勢い余って前のめりで顔から芝に倒れ込む進太郎さん、そして兄を置き去りにして走り去る秦君。
「弟よー!」
「泣くな、さっさと立て!」
相手陣からUターンして戻ってきた仲間に怒鳴られる進太郎さん。普段秦家でこの人がどう扱われているのか、なんとなくわかってきた気がする。
と、気を取られている場合ではなかった。ボールを保持した秦君は今、俺の守る位置に向かってまっすぐ走ってきている。
今ここには俺以外にも複数の選手が集まっている。この守備の厚さならさすがの秦君でも、確実な突破は困難だろう。
俺の読みは当たっていた。秦君は俺たちの目の前まで近付いたところで、斜め後ろにボールを放り投げたのだ。
キャッチしたのはU20ウイングの馬原さんだった。
まずい!
そう思った時には既に遅かった。一瞬で最高速まで達した馬原さんは、Rリーグ最速とも評されるスプリントで一気にA代表陣を駆け抜けたのだった。
バックス陣が追いかけるが、彼との距離は縮まらない。フルバックをも振り切った馬原さんはゴールラインを越え、あっさりとトライを決めてしまったのだった。
U20メンバーそれぞれの特技を活かした見事な連携に沸き立つ観客席。一方のA代表は開始早々の失点に頭を抱えていた。
「おい、いきなりやばいぞ」
「俺たちがU20だった頃より、ずっと強くなってる」
出鼻を挫かれ、ショックを隠せないでいるジュニアジャパンの選手たち。
「亮二……兄を超えてくれたのは嬉しいぞ。でも……ぐすん」
別の意味でショック受けてる人もいるし。
開始早々、チームの雰囲気が沈みこんでいる。これはまずいと俺が顔を歪めた時のことだった。
「みんな、聞いてくれ!」
200cm近い長身を屹立させ、中尾さんが大声で呼びかけたのだ。
さすがはキャプテン、中尾さんならきっとこの状況を打開できる。みんなに喝を入れて奮い立たせてくれるはずだ!
そして中尾さんはすうと息を吸い込むと、強く、はっきりと言い放ったのだった。
「俺、この試合に勝ったら……ガチャのために10万円課金するぞ!」
聞いて俺はずっこけた。こんな緊迫した場面で何言ってんだ、この人は。
しかしチームの面々はぶっと噴き出すと、「勝手にやってろ!」と笑いながら言い返したのだった。
「みんな、いっそのこと中尾に課金させるため頑張って勝とうぜ」
「さんせーい!」
そして予想に反し、沈んできたムードがたちまち振り払われる。チームには明るさが戻っていた。
「大丈夫かな、このチーム」
わずか一瞬で様変わりしてしまったチームメイトに、俺は訝しげな眼を向けてつい呟く。
「小森君、何も一方的に発破をかけることだけがキャプテンの役割じゃない」
それを聞き漏らさなかったのか、俺の横に立った中尾さんがそっと言う。
「チームは集まるメンバーによって雰囲気もモチベーションも、何もかも違ってくる。それを読み取って選手みんなが最大限に力を引き出せるかが大切なんだよ」
そういうものなのかなぁ?
俺はぽりぽりと頭を掻く。が、実際にチームは失点直後とは思えない雰囲気に包まれているので、中尾さんの言うことはおおむね正しいのだろう。




