第二十九章その4 桜と薔薇
「では両チームの健闘を称え合って、カンパーイ!」
日本とイングランドそれぞれの選手が手にグラスを取り、「カンパーイ!」と高く掲げる。試合後、スタジアム近くのレストランを貸し切って開かれたアフターマッチファンクションだ。
先ほどの一戦を13-12で逃げ切った俺たちは5位決定戦に進み、敗れたU20イングランド代表は7位決定戦に回った。次戦はアルゼンチン対ウェールズの勝者と、最終的な順位を巡って争うことになる。
「はい、ふたりともかまえてー」
選手たちがなごやかに交流を重ねる中、進太郎さんとベンジャミン・ホワイトが右肘を机につき、手を握り合う。ふたりの手を馬原さんの手が上から包み込むと、両者は緊迫した視線を交わし合った。
「スタート!」
合図と同時に馬原さんが手を離すと、ふたりの大男の腕相撲が始まった。日英の力自慢による大勝負だ。
「うおおおおおお!?」
「ぐうううう!」
顔を真っ赤にして全身の力を右腕に込める。そのふたりを取り囲んだ両軍の選手たちが、「いいぞー」「やっちまえー」と声援を贈った。
やがてベンジャミンの丸太のような腕が、進太郎さんの腕をゆっくりと傾かせる。そしてついに、手の甲を机に触れさせたのだった。
勝者はベンジャミン!
「くそーっ、いいとこまでいったのに」
「いやいや、ナイスなファイトだったよ」
白熱した勝負に握手を交わす両者。ラグビーにも劣らぬ熱い勝負に、周りの観衆もパチパチと拍手で絶賛した。
俺もいっしょになって手を叩いていると、ふと戦いを終えたベンジャミンと視線が合う。気が付いたベンジャミンはサイダーの入ったグラスを手に取り、つかつかと近づいてきたのだった。
「ミスター小森、評判は聞いていたけど君ほどのクレバーな選手はなかなかいない。君を叔父が経営するクラブに、左プロップのスタメンとして呼びたいくらいだよ」
爽やかに微笑むベンジャミンに、俺は「経営する?」と首を傾げた。
「うちは産業革命期に工場経営に成功した家系でね、いくつかの会社や団体を所有しているんだよ。私もラグビー選手を引退した後は会社を任されることになるだろうから、今は大学で経営の勉強をしているんだ」
そう言えばベンジャミンってプロチームの所属ではなく、ロンドンの名門大学に通う大学生ラガーマンだったよなぁ。
聞けばホワイト家はかなりの資産家らしく、貴族とも交流があるそうだ。試合以外では物腰柔らかい彼の振る舞いは、幼い頃からの紳士教育の賜物だろうか。
それにしても家柄が良くて頭も良くて、さらにラグビーもめちゃくちゃ強いなんて……羨ましいとかそんなレベルじゃないぞ!
「そして5年ほどイングランドに住んでくれれば、その時にはイングランド代表として迎え入れられるのだが」
「おいおいホワイトさんよ、うちの左プロップをそう簡単には渡しませんぜ」
横から進太郎さんがベンジャミンの肩に腕を回す。しかしその絡み方、まるで酒に酔ったおっさんのようだ。
「そりゃそうだ、だが君ほどの選手ならきっと世界が注目してくるだろう。気が向けば是非、イングランドにも来てくれ!」
俺は「ええ、是非!」と握手で返した。リップサービスだとは思うが、大会最強ナンバーエイトと評される彼に実力が認められたのは素直に嬉しい。
その後、少し疲れたので俺は部屋の隅で壁にもたれかかりながら、和久田君と並んでサンドイッチを食べていた。
「ねえ小森君」
ぼそっと和久田君が口を開く。賑やかに交流する他のメンバーたちとはまるで異なり、声を殺すように。
「祝勝ムードぶち壊してしまうようで申し訳ないんだけど……僕たち、何で勝てたんだろうね?」
俺はサンドイッチを持つ手をピタリと止めた。
「正直、よくわからない」
そしてしばらく間を置いて、ぼそっと答えたのだった。
今日俺たちの勝った相手は、北半球の王者イングランド。当然、ラッキーパンチが決まっただけで勝てるような相手ではない。
試合内容を振り返ると、日本は完全に力負けしていた。開始と同時に速攻で1本トライを決めたものの、その後は相手に2本取り返されている。追加点はすべてペナルティゴールによるものであり、ある意味幸運が味方してくれた結果と言える。
ボール保持率でも後半途中からは良かったが、試合全体を通して比べるとイングランドが60%以上を記録しているし、特に前半は日本陣内でのプレーがほとんどだった。地力では相手の方が上回っているのは、数字を見れば明らかだ。
考えてみれば、そもそもイングランドは本気を出していなかったようにも思える。彼らにとって日本戦は勝って当然であり、本番は次の5位決定戦だ。この試合にすべてを賭けて最強メンバーをそろえていた日本とは違い、主力を休ませて控えメンバーを多めに出していた可能性も否めない。
「でも和久田君、あの時は確かに『流れ』があった。数字でも言葉でも表現できないけど、なぜか勝てるって確信を持てる何かが」
「だよね、それは僕も感じた」
俺が食べかけのサンドイッチを頬張ると、和久田君も頷いて手にしたグラスに口をつけた。
立食会を終えてレストランを出た後のことだった。
「日本代表の皆さん、一言お願いします!」
「歴史的な一勝を達成した要因は何だと思いますか?」
「馬原さん、笑ってください!」
バスに乗るまでの短い距離を、かつてないほど大勢のマスコミがマイクを突き出しながら花道を作っていた。アンダー世代とはいえイングランド代表に勝って過去最高順位を確定させたことは、世界のラグビー関係者に衝撃を与えた。
その日の内に行われた6位アルゼンチンと7位ウェールズの試合は、20―15でアルゼンチンが白星を挙げた。これにより5位決定戦にアルゼンチンが進むことになる。
「またまたアルゼンチンかよ」
ホテルのテレビで試合を見ていた俺は、ベッドにごろんと寝転がった。リカルドと俺は見えない糸で結ばれてるんじゃないのかと疑いたくもなる。
続いて映し出された試合後のインタビューでもまずキャプテンが応答した後、カメラの前にリカルドが立たされる。彼はこの試合でもペナルティゴールとコンバージョンゴールをそれぞれ2本成功させていた。
「日本が勝ったと聞いて勝つしかなかった。次で決着をつける」
そう言って眼光をこちらに向けるリカルド。なおもやる気満々のようだ。
その姿を見て俺は身体を起こす。そして右の拳に力を込めると、反対の手の平にパシンと打ち付けたのだった。
「こっちだって、ここまできたら絶対に負けないぞ!」




