第二十九章その3 誇りを賭けるか、歴史を賭けるか
日本の先制点という衝撃のスタートを切った5~8位決定トーナメント第一回戦であるが、最初の得点から5分とかからず、日本の優位は脆くも打ち砕かれる。俺たち日本代表は、ゴール前ギリギリに守備ラインを形成するまで押し込まれていたのだ。
体格の良いイングランドフォワードの連続アタックに、日本の守備ラインは一歩、また一歩と後退させられる。体重100kgを優に超える大男たちの体当たりを何本も受け止めて、日本選手たちは全員がへとへとに憔悴しきっていた。
そんな時、ついに大会最強ナンバーエイトのベンジャミン・ホワイトにボールが回される。そしてなんと、彼は俺の脇めがけ身を屈めて突っ込んできたのだ!
そうはさせるか。俺はすかさず飛びかかった。身を低くした相手のタックルへの対応は、ずっと練習してきている。
だが俺が近付いたところで、ベンジャミンはその長く太い左腕をぐいっと突き出し、手のひらを俺の胸に触れさせる。そして驚いたことに、そのまま俺の身体を押し返してタックルを防いでしまったのだ!
今までこの130kg超の肉体をスピードでかわしてきた選手なら多くいた。だがこうもパワーで無理矢理に、それも腕一本で押し退けられたのは初めてのことだ。
そうしてベンジャミンは日本の守備の間隙に強引に身体をねじ込ませ、白線上に楕円球を置いてトライを決めてしまった。トライ後のコンバージョンキックも決まり、あっという間に俺たちは7-7の同点に追いつかれてしまったのだった。
なおも相手の勢いは止まらない。イングランドは一方的にボールを保持し続け、その強靱な身体にモノを言わせて攻め続ける。俺たちは必死で抗うのに精いっぱいで反撃の糸口などまるでつかめないでいた。
そして前半終了間際、自陣22メートルラインの内側に押し込まれていた俺たちに向かって、再びボールを持ったベンジャミンがタッチライン際に突っこんでくる。
止めなければ!
周りにいた日本の選手たちはポジション関係なしにだっと走り出す。そしてひとり、またひとりと連続でベンジャミンに身体をぶつけた。彼の強靱な身体を封じるには、数人がかりでタックルを仕掛けるしか方法が無く、それが最も効果的だった。
しかし3人目がタックルを入れる直前、ベンジャミンの巨体がラインの外に押し出されるその最中、なんと彼は斜め後ろに走り込んできたバックスまでボールを放り投げたのだ。
不安定な体勢から放られたボールを、ギリギリでキャッチするバックス。オフロードパスを通されてしまった!
そこからは息をつく暇さえ与えられなかった。日本選手がベンジャミンに絡んで守備が薄くなったところを相手バックスは的確に走り抜け、余裕でトライを決めてしまう。幸いにも直後のコンバージョンキックは外れたものの、前半終了時点で7-12。俺たちは劣勢に立たされていた。
U20日本代表はロッカールームに戻った途端、全員がベンチやら床にへたり込む。前半40分を凌いだだけなのに、もうすでに2試合をぶっ通しで戦った気分だ。
「やばいよ」
「あいつらからトライを取り返すイメージが全然思い浮かばない」
選手たちからこぼれる言葉からも力は抜けきっていた。点数以上の実力差を痛感させられ、弱気になっている。
「まだ試合は終わっていない、なんとかなる!」
努めて明るくキャプテンが声を上げるものの、メンバーは落ち込んだままで申し訳ないが空回りしているように映った。
一方の俺はドリンクを飲みながら、ハミッシュの言葉を思い出す。
「身体は強いが、プレーが荒い」
オールブラックスの現役ナンバーエイトが指摘する通り、たしかにベンジャミンのプレーはその常識外れのフィジカルに頼りがちではある。実際にプレーしてみて実感したのだが、パスの精度やタックルの技術など日々の練習で磨くべきところを、持ち前のセンスとパワーで強引に解決してしまうきらいがあった。
前半でも何度か、ベンジャミンのノックオンやオフサイドといった反則がきっかけとなって俺たちにボールが回ってくるシーンがあった。
「そうか、わざと反則を誘えば!」
俺はそう言って立ち上がる。同時に他の選手たちがびくっと身体を震わせながらこちらに目を向けた。
「あ、すんません……」
「小森、お前ダーティーなこと考えるなぁ。でもそのアイデア、嫌いじゃないぜ」
すっかり打ちひしがれていた年上の選手が、にっと笑顔を向ける。
とはいえ光明は見えた。ここを突けば日本代表にも勝機は見えてくるはずだ!
後半、心機一転した日本代表は堅い守りを見せ、攻め続けるイングランドの猛攻をなんとか耐え忍んでいた。
格下相手なのに、いくらボールを持って突撃しても突破できない。イングランド代表全体からもフラストレーションが感じられ、より一層身体を強くぶつけてくる。
だがそれでも、俺たちは守備に徹し続けた。相手も人間、いつか必ず隙を見せると信じて。
そんな時、イングランド選手が進太郎さんの脇を抜けようと突っ込んだ。すかさず進太郎さんは腕を伸ばし、なんと相手からボールをかっさらってしまった!
手にした楕円球を抱え込み、進太郎さんは急いで駆け出す。そのボールを奪うため、進太郎さんを援護するため、日本とイングランド両軍の選手たちも一斉に後に続いた。
最初に追いついたのはベンジャミンだった。バックス顔負けのダッシュで進太郎さんの背後をとった彼は、腕を伸ばして赤白縞模様のシャツをつかむ。
そして進太郎さんを引き寄せようとした時、進太郎さんはボールを突き出し、前のめりに倒れた。ユニフォームに手をかけていたベンジャミンは巻き込まれ、ふたりの大男がもつれて転倒する。
駆けつけたウイングの馬原さんがボールを拾おうと手を伸ばすが、進太郎さんの上にベンジャミンが倒れ込み、容易にはボールを取り出せない形になっていた。
「ノットロールアウェイ!」
そこでレフェリーが試合を止める。途端、日本代表選手は「やったぁ!」と歓喜の声をあげた。
これはタックルの後、タックルをしかけた選手がつかみかかったままになるなどして、ボールを取り出すのを妨害した際に宣言される反則だ。この反則により、俺たちにはペナルティキックが与えられる。
進太郎さんが走ってくれたおかげで、ゴールポスト正面30メートルほどの位置まで俺たちは進めている。キッカーのスタンドオフはキックティーにボールをセットし、落ち着いてプレースキックを蹴り込んだ。
回転するボールはきれいにH字の間をくぐり抜ける。これで日本代表は3点を獲得、点差も10-12に縮まった。
「進太郎さん、ナイス!」
負けてはいるものの、日本代表選手たちに明るいムードが戻る。一方のイングランドは攻め込んでいたシーンからの想わぬ失点に、苛立ちの色も見え始めていた。
そこからの日本代表は別のチームになっていた。ボールを持って果敢に攻め込み、バックスにフォワードにとパスを回してそれぞれの得意を活かして突破を図る。
イングランドにボールを奪われる場面もあったものの、それでも一方的に攻め込まれ続けることは無く、後半途中からのボール保持率は両軍ともに50%前後で拮抗していた。
そして後半32分、日本代表が相手陣側にキックを蹴り込んだ時のことだった。
相手陣22メートルライン近くで跳ねまわるボールを、イングランドの選手がしっかりとキャッチする。直後、俺はその選手にとびかかりボールに手をかけた。しかし近くにいた両軍の選手たちも争奪戦に加わり、やがて俺とその選手を中心にしたモールが形成される。
日本とイングランドの押し合い。体格で勝るイングランドだが、中心の選手は俺にホールドされているのでボールを後ろに回せないでいる。対する日本代表はフォワードだけでなくバックスも加わり、フィジカルの差を数で補っていた。
相手フォワードが押し込むのを、俺たちは全身の筋肉がはちきれそうになりながらも耐えた。スパイクで芝がめくれるが、それでも脚はピンと伸ばして地面に強く根を張る。
「モール・アンプレアブル!」
そんな日本代表の粘りが実を結んだ。モールからボールを出せないとレフェリーが判断したことにより、日本ボールのスクラムで仕切り直される。
ようやく解放されたとヘロヘロになりながらも、日本選手たちはガッツポーズを取って互いに喜びを分かち合った。対するイングランドは時間を惜しむかのようにさっとフォワードを集め、スクラムの準備に取り掛かる。
このチャンスを逃してなるものか。俺たち日本フォワード8人もスクラムを形成し、闘志むき出しの相手とにらみ合う。
「ラグビーを生んだイングランドが負けるわけにはいかない! 我々は200年培ってきた母国の誇りを賭ける!」
最前列が組み合う直前、相手スクラム最後尾でベンジャミンが高らかに言った。その言葉に奮い立たされたのか、イングランドのフォワードたちは「Yeah!」と雄叫びを上げる。地面が震えるほど、力強い声。
しかし対面する日本代表は、誰一人として委縮していなかった。むしろ気合いを入れ直した相手を目にして、自分たち自身も火を点けられた気分だった。
「このスクラムはどっちに回しましょう?」
楕円球を手にした和久田君がそっと進太郎さんに尋ねる。力自慢の多いイングランド相手では、さっさとボールを拾い上げてバックスに回した方が良い。
だが進太郎さんは首を横に振り、「いや、ここはスクラムで反則を誘う」と言い切ったのだった。
「相手は俺たちもフォワード勝負でくるとは思っていないはずだ。それにあそこまで熱くなっていると、些細なミスでも起こしやすい。勢いは日本にある、ここは強気に挑むべきだ。だよな、小森?」
最後におちゃらけたように振り返り、進太郎さんは俺に訊いた。
「いや、俺に振られても。ですがフォワード勝負なら、いくらでも受けて立ちますよ」
俺はグッと親指を立てる。このスクラム、理由は分からないもののなぜだか負ける気がしなかった。
8人と8人が一塊となり、スクラムを組み合う。
「クラウチ、バインド……」
レフェリーの声が聞こえ、俺は息を止めた。
負けられないのはこっちも同じ。過去最高順位のため、どれだけこの日に向けて骨の砕けそうな練習を重ねてきたと思ってるんだ。
そっちが過去の栄光にすがるなら、俺たちは新しい歴史を賭ける!
「セット!」
そして全身の力を発揮して、押し込み合う両軍のフォワード。16人合わせて総重量1750kgの男たちが、意地とプライドを賭けてぶつかり合っている。
発生するすさまじいエネルギー。まるでエンジン全開の大型自動車と力比べをしているようだ。それでも俺たちは相手がいつか付け入る隙を見せると信じ、とにかく粘って耐えて押し返し続けた。
やがて俺の視界の端っこで、相手右プロップが前に進まんとピンと張った脚をそっと地面から離すのが見えた。
今だ!
俺は右肩に全体重をかけ、力を入れる方向を少し逸らした。
これまでかかっていた圧力の急激な変化に、相手右プロップは体勢を崩した。一本の足ですべてを支え切ることはできず、ついに膝が折れて地面に触れた。
「コラプシング!」
轟く大歓声。両膝をついて唖然とするイングランドチーム。そして絶叫にも似た歓喜に沸き立つ日本代表。
日本代表は試合終了目前で、逆転のペナルティキックのチャンスをもぎ取ったのだった!
「やったぞみんな、お前ら最高だ!」
「まだです、まだですよ! キック成功してようやく3点です!」
泣きそうな顔で抱き着いてくる進太郎さんを、俺は必死で宥める。だがこの時間でのペナルティキックは俺たちに勝利の確信を、同時に相手には失望を与えていた。会場は各所から「ジャパン」コールが湧き上がっている。
ゴールポストまでの距離は20メートルほど。いつも通りに蹴れば、まず外すことは無い。
地面に置いたキックティーに、楕円球がセットされる。そしてキッカーは呼吸を整えると、加速をつけ、強くボールを蹴り上げた。
ボールは高速で回転しながらゴールポストに向かう。そして2本の柱のど真ん中へとまっすぐに吸い込まれていき、直後、ゴール成功のフラッグが上がった。
13-12。歴史的な一勝の瞬間を、俺はコートの上で迎えたのだった。




