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第二十九章その2 世界最強の教え

 翌日、日本代表の練習グラウンドにひとりの男が姿を見せる。


 その人物を目にした瞬間、U20日本代表選手たちは皆が皆、練習の手を止めた。


「ほ、本物だ!」


「な、なんでここに!?」


「サイン……欲しい……」


 驚嘆の声を漏らす選手の一部は、そのまま失神して倒れてしまいそうだった。


 そりゃそうだろう、自分たちのような優勝争いに食い込むことがまず無いようなチームに、若き世界のスーパースターが訪ねてきたのだから。


「ハミッシュ!」


 選手たちの思考がフリーズして立ち尽くす中、俺は腕を振って駆け寄る。


「太一、来てやったぞ」


 オールブラックスのハミッシュ・マクラーセンは白のシャツにラフなジーンズとテレビの前では滅多に見せない出で立ちで手を振り返した。


 昨日、ハミッシュからU20日本代表の練習を見たいという連絡があったとコーチ陣に伝えると、船木監督はじめ全員が「是非とも来てくれ!」と即答した。


 そして今日、ちょうどオフでオークランドの実家に帰っていた彼が、早速こちらまで足を運んでくれたのだった。


 あくまで個人的に。彼自身の好意で、ね!


 全世界のラグビー少年の憧れであり、若手ラガーマンが目標とすべき存在。そんなハミッシュが練習に現れた途端、グラウンドの空気が一変した。全員がしゃんと背筋を伸ばし、連戦の疲れで失われつつあった緊張感が瞬く間に戻ってきたのだ。


 そして始まるのはハミッシュによる選手たちのアドバイス。


「倒れてもすぐ起き上がれ。足の速さでは負けていても、次の行動に移るのが早いとそれだけ相手に先手を取れる」


 選手がプレーする隣に立ち、的確なタイミングで声をかける。決してうるさくはないが、語調は強かった。


「タックルで倒してもラックを形成されて次につなげられてしまう。それならいっそのことラインの外に押し出して、マイボールラインアウトを奪ってやれ」


 ハミッシュが直接練習に参加することは無い。あくまで横に立ってアドバイスを出すだけだ。そして言っていること自体も、これまでの練習でコーチが指摘してきたこととほとんど変わらない。


 だがそれ以上に、あのハミッシュから教えを受けたという事実が日本代表の自信につながっていた。選手たちから放たれる熱気が、いつもより3割ほど増している気がする。


 彼がこの場にいたのはほんの1時間ほどだが、選手たちは実に密度の濃い時間を過ごせたはずだ。


「今の日本ならイングランドにも勝てる、自信を持て!」


 最後にそう言って日本代表を激励すると、選手たちは「はい!」と地面が揺れるほどに声をそろえた。昨夜のミーティングの時とは、まるで別のチームのようだった。


「小森、お前の伝手すごいな」


 ハミッシュが帰った後、進太郎さんが俺の肩に後ろからポンと手をのせる。


「はい、学生時代にはよくいっしょに練習してたんで」


「プレーだけじゃなくて人脈もワールドクラスとは驚いた。お前ほどの選手を見ていると、日本代表じゃもったいない気もしてくるよ」


 そこで一瞬、進太郎さんが黙り込む。そして小さく口にしたのだった。


「お前ならもしかして、日本人初のオールブラックス入りだってあり得るかもな」


「またまたー、ご冗談をー」


 俺は手を振って茶化した。だが今のわずかな時間、妙に居心地の悪い雰囲気を感じてしまったのは何だったのだろう。




 そしていよいよトーナメント1回戦、U20イングランド代表との試合の日となった。開催地はこれまでのオークランドを離れ、ハミルトン市のワイカト・スタジアムだ。


 この試合で勝ったチームは5位か6位が確定する。つまり日本代表にとっては、勝利した時点で過去最高順位を更新する一戦だ。


 国歌アンセム斉唱の後、ひとりひとり握手を交わす両軍の選手。さすがはフォワード自慢のイングランド、ごっつい大男たちがそろっている。


 しかし同時に彼らの澄んだ目つきからは落ち着いた思慮深さと知性も感じられ、不思議と怖いといった感情は起こってこなかった。特にベンジャミン・ホワイトの筋肉に覆われた192cmの巨躯を前にすると、まるで厳かな寺院に佇む巨大な四天王像の前に立った時にも似た畏怖の念さえ抱いてしまった。


 やがてメンバーが各々のポジションに散らばり、キックオフで試合が開始される。


 相手フルバックの蹴り上げたボールめがけて、味方ロックがジャンプする。俺はその背後に回り込み、後ろから支えて身体を持ち上げた。


 だがそこに誰よりも先に、いきなり怒涛の勢いで走り込んできたのは大会最強ナンバーエイト、ベンジャミン・ホワイトだった。


「後ろに投げて!」


 このまま地面に下ろしたならば、足が着いたと同時にタックルを入れられる。そう予感した俺が叫ぶと、ロックは「おう!」とボールを自陣側に投げ落とした。


 キャッチしたのはスクラムハーフの和久田君だ。彼はボールを持つや否や、自慢の弾丸パスで逆サイドまで楕円球を飛ばす。


 そこからボールは日本選手によって少し前進してはパスを繰り返し、ついに大外を走っていたウイングの馬原さんの手まで渡った。


 敵の少ないタッチライン際を、アクセル全開で走り抜ける馬原さん。当然ながら彼をラインの外に押し出さんと、イングランド代表選手たちがその巨体で飛びかかった。


 しかし馬原さんは彼らを惹きつけると、なんと手にしたボールを足元に落としたのだ。そして高速で回転させる足の爪先でポンと、低く跳ねるキックを楕円球に加えたのだった。


 地面すれすれを素早く跳ね転がるキックには敵選手たちも反応し切れず、ボールは彼らの背後に回り込む。


 それをめがけてこれまた俊足に自信のある味方センターがイングランド選手の間を走り抜け、しっかりとボールを拾い上げた。


 まさかいきなり得点のチャンス!


 観客席から湧き起こる大歓声を受けて、センターは追いかけるイングランド選手たちを振り切った。


 そんな彼の進む先に、ゴール前を守るフルバックがどっしりと構えていた。バックスとしてはかなりの大柄だ、ここでタックルを受ければたちまち倒されてしまうだろう。


 だがセンターのすぐ後ろには、必死に追いかけてきていた我らがフランカー、進太郎さんが控えていた。


 敵フルバックを目前にして、ボールは進太郎さんに回される。大抵の相手ならこれで翻弄して突破できるだろう。


 とはいえさすがはイングランド、直前まで落ち着いてボールの動きを読んでいたのだろう、進太郎さんがボールをキャッチするよりも先にその場から飛び出すと、ボールを抱え込んだ進太郎さんに低い姿勢でタックルを入れたのだった。


 進太郎さんの身体が大きくよろめく。が、倒されることはく、それどころかしがみつくフルバックをずるずると引きずりながらもゴールめがけて前進したのだった。相手の体重も軽く90kgはあるだろうに、馬鹿力が自慢の彼だからこそ為せる業だ。


 ついにゴールラインまであと一歩。会場のボルテージも最高潮に達する。


 しかしそこでもう一発、今度は追いついた敵ウイングが横からつかみかかった。


 だが、それでも進太郎さんは倒れない。そして最後はバックス2人を引きずったまま前に一歩進むと、前のめりに倒れ込んでトライを決めたのだった!


「なんてこった!」


「Unbelievable!(信じられない!)」


 あちこちから絶叫が起こる。なんという光景だろう、試合開始から1度もボールを奪われること無く、日本が先制点を取ってしまった。それもイングランドから!


 俺たちも歓声をあげて走り寄る。そしてトライを決めた進太郎さんの周りに集まって彼の身体をバシバシと叩くが、足の遅い俺は出遅れてしまったので芝の上を歩きながらパチパチと拍手を贈っていた。


 ふと気が付くと、近くでイングランドの選手たちが集まってひそひそと話していた。得意になっていた俺は、にやっと笑いながらそっと耳を傾ける。


「すまないみんな、我々は日本代表の底力を見誤っていたよ。彼らは速攻で仕掛けてくるとは思っていたが、まさかこんなにクイックな展開を見せつけられるなんて」


 ベンジャミン・ホワイトは頭を抱えていた。彼はイングランドチームのキャプテンでもあり、同時にフィールド上でのチームの精神的支柱でもある。彼の心持ちひとつでチームは良い方にも悪い方にも傾くのだ。


 へへんどうだ、長所を活かせば俺たちもこれくらいできるんだ。はるか格上のイングランドに一泡吹かせてやったぞ!


 つい誇らしくなって、ぐっと拳に力を込める。だが直後、俺は自分自身でそんな甘い観測をしてしまったことを後悔することになるのだった。


 顔を覆う手を離すベンジャミン。そこで見えた顔からは、先ほどまでの理知的な紳士の眼差しは消えていた。代わりに現れたのは、めらめらと闘志に燃える戦士の眼光。


「ならば私たちも本気で向かっていかないと。でなければ彼らに失礼だ」

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― 新着の感想 ―
[一言] あれ、なんかこれ現実でも見た事があるような……。
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