第二十九章その1 北半球の盟主
「正直に言うと次のイングランドは10回戦って、1回ようやく勝てるかどうかという相手だ」
ウィリアムズ家からホテルに戻ってきたその日の夕食後、会議室の壇上で船木監督が重々しく告げた。それに聞き入る選手たちもじっと口を閉ざしながら、苦々しい表情を浮かべている。
イングランドの国内プロリーグ『プレミアシップ・ラグビー』は、フランスの『トップ14』と並ぶ欧州最強のプロリーグだ。優勝を争う12のクラブには各国代表クラスの選手がそろい、特に決勝プレーオフは毎年8万人の観衆を呼び込む一大コンテンツとなっている。
そんな世界の強敵と普段から戦っているイングランド代表の選手たちは、白一色のジャージに真紅の薔薇のエンブレムが特徴だ。日本との対戦は、それすなわち桜の戦士たちと薔薇の男たちの勝負になる。
「プレースタイルは基本に忠実。大柄な身体を武器に的確なタックルをしかけ、堅い守備を展開してくる。フォワードの平均体重も112kg、日本のフル代表以上だ。今回出ている北半球のチームでは最重量級と思え」
スクラムを組む8人に直したらなんと896kg。こっちは860kgなので、30kg以上差があるのか。
「こんなこと言いたくはないが、力比べに持ち込まれて勝てる要素はない。ボールを奪われたらひとりで取り返しに行くな、ダブルタックル、トリプルタックルで数の優位を作れ!」
ミーティング後、自室に戻った俺はテレビを点ける。ちょうど放送されていたスポーツ番組では、U20チャンピオンシップについて取り上げられていた。
「日本代表が上がってきたのは驚きですね。アルゼンチンとの一戦はこの予選プール全体でも最高のマッチだったと言えます」
初老の男性コメンテーターが語る。劇的な引き分けで日本が5~8位決定トーナメントに進出できたことは、世界に大きなインパクトを与えたようだ。
「はい、今年はどのチームも良い選手がそろっています。どこが5位になっても、驚きはありませんね」
きびきびとそう答えるのはつい最近まで現役の選手だったのだろう、30代後半くらいの体格の良い男性だ。さすがニュージーランド、キャスターもオールブラックスのジャージを着ており大会の盛り上げに貢献していた。
「それにしてもニュージーランドが強すぎる。アイルランド相手にクリストファー・モリスがハットトリックを決めるなど、予選プールでは英国の3チームを粉砕しました」
初老の男性がにこやかに切り出した。
この大会でニュージーランドのナンバーエイトを任されている選手こそ俺よりひとつ上の先輩のクリストファー・モリスだ。彼は現在Mitre10ノースハーバー州代表に属しており、期待の若手ナンバーエイトとして定着している。
なお以前は同じポジションにかのハミッシュ・マクラーセンがU20ニュージーランド代表として選ばれていたのだが、現在彼はスーパーラグビーで南半球を飛び回っている上、6月はもっぱらフル代表のオールブラックスのテストマッチに呼ばれていた。そのため出場できる年齢であるにも関わらず、彼はこの大会には出場していない。悲しいが俺たちとはすでにレベルが違う存在なのだ。
「はい、しかしイングランドのベンジャミン・ホワイトとのナンバーエイト対決ではすさまじい点の取り合いが見られ、ニュージーランドもあわやという展開になりました。チームとしては勝てましたが、ナンバーエイトとしては彼が今大会最強とみて間違いないと思います。イングランドが5位になって幸運でしたよ」
フォワードの強いイングランド。その中でも特に注意すべき選手が、ナンバーエイトのベンジャミン・ホワイトだ。
いかにもアングロサクソン系といった白い肌にカールのかかった金髪が特徴の20歳で、体格は192cm108kgとうちの進太郎さんを上回っている。身体能力は強豪イングランドで花形のナンバーエイトを任されていることから推して知るべしだろう。
どれほどのものかと彼のプレーをネットの動画で見てみると、とにかくそのパワフルさに絶句させられる。体重120キロほどのプロップを軽く真正面からのタックルで押し倒し、逆に自分はダブルタックルを受けてもオフロードパスで仲間にボールをつないでしまう。
こちらの作戦や小手先のテクニックなど、すべてを無意味にしてしまう。そんな絶対的な実力を感じさせるのがベンジャミン・ホワイトという選手だ。
「こんなのどう戦えってんだよ……」
圧倒的なパフォーマンスを見せつけられ、思わずノートパソコンを前に手で口を塞いでしまった。
体重では俺の方が勝っているが、それでも一撃で沈められてしまうかもと恐怖を覚えるほどだ。
ミーティングでは接触を避け、バックスのスピードでかき回すようにと指示されているが、それはこちらがボールを持っている時のこと、彼にボールを持たれた場合は玉砕覚悟で突っ込んでいくしかない。
試合まではあと5日。それまでに何かしら有効な対処法を講じられないものか?
長い時間、腕を組んで考え込んでみるもここまで力の差がある相手だとどれもこれも決定打に欠ける。
やがて俺は覚悟を決めた。卑怯かもしれないが、恥を捨てるしかない。
スマホを手に取り、ダメ元で電話をかける。餅は餅屋なら、ナンバーエイトは最強のナンバーエイトだ。そう、オールブラックスの若きスター、ハミッシュ・マクラーセンに。
「よう太一、久しぶりだな」
数回のコールの後、ハミッシュが応答した。ちょうど暇な時間だったのだろう、彼の声からはリラックスしたようすが感じ取れた。
「聞いたぞ、日本代表強くなったんだな。後輩のお前が活躍してくれて俺も鼻が高いよ。次はイングランドだってな、頑張れよ!」
「ありがとう。で、実はハミッシュに頼みがあって……」
ベンジャミン対策を教えてくれないか。本題に入ろうとしたその時、ハミッシュは「待て待て」と俺を制した。
「太一の言いたいことは分かる、学生の頃はいっしょに早朝からキックの練習してた仲だからな。でもな、俺も今はニュージーランド代表の一員である以上、日本のやり方に口出しすることはできない」
やはりこうなったか。他者に教えを乞おうなど虫が良すぎるのは分かっていた。
自分の浅はかな行動に、俺は「う……」と口を噤む。
しかし一方で、ハミッシュは「だがなぁ」と話を続けた。
「まあ個人的に、あのベンジャミン・ホワイトに興味はある。大会最強ナンバーエイトとか持ち上げられててな。たしかに身体は強いが、俺から見ればまだまだプレーが荒い。フィジカルの劣るチームでも、出し抜く方法はいくらでもある」
俺は雷に打たれたように、「へ?」と頭を上げる。
「ちょうど今週はスーパーラグビーも休みだし、テストマッチも無い。俺の身体は空いているぞ」
「そ、それなら!?」
はやる気持ちを我慢できず、俺は声を荒げて尋ねた。
「おう、ちょっとそっちのコーチに掛け合ってくれねえか? 日本代表の練習、個人的に視察してみたいんだ」
そう話すハミッシュは、電話口の向こうでにやっと笑っているような気がした。




