第二十八章その6 日本が知らない戦い
「和久田さん、弾丸パスの秘訣は?」
「秦さん、日本の皆さんにメッセージをお願いします」
「馬原さん、スマイルください!」
日本代表の滞在するホテルには帝王スポーツの山倉さんだけでなく、日本から駆けつけた他紙の記者や海外のメディア関係者も押し寄せていた。
「低い姿勢、それから回転ですね。ライフルの弾丸みたいに、空気抵抗を極限まで減らすイメージでボールを投げています」
「亮二、聞いてるか!? 兄ちゃんはいつでもお前のことを考えてるからな!」
「あの、自分これでも笑ってるつもりなんですが……」
それぞれの質問に答える日本代表選手たち。そこに俺が顔を出すと、取材クルーたちも一斉にこちらにカメラを向ける。
「小森さん、リカルドのキックを封じたクレバーなプレーでしたね!」
「彼にメッセージをお願いします!」
そしてマイクがぐいぐいと突き出されると同時に、フラッシュも一際パシャパシャと焚かれる。
アルゼンチン戦でトライの起点となったことで、メディアによる俺への注目度はうなぎ登りで増していた。
昨日の試合、トライ後のコンバージョンキックも成功させた日本代表はアルゼンチンに12-12の同点に追いつくと、そこから決死の思いでボールを守り抜き、なんとか引き分けで終えることができたのだった。勝利ではないので手放しでは喜べないものの、ティア1のアルゼンチン相手にドローに持ち込めたのは大きな進歩だろう。
「日本が5~8位決定トーナメントに進めるのは2年ぶり、まだ2回目のことです。次の戦いへの意気込みをお願いします」
山倉さんも最前列で質問を飛ばす。
アルゼンチンと引き分けたことで日本の合計勝ち点は6となり、同時に5~8位決定トーナメント進出が確定した。この大会で日本の強化がユース世代でも進んでいることを国際的に見せつけることができただろう。
「どんな相手でもぶつかっていくのが日本の強みです。やるからには5位を目指します」
取材陣を前に、俺は毅然と答える。こういう時は卑屈にならず、むしろ大見得を切るくらいがちょうど良いことは今までの経験から理解している。
しかしだからと言って、不安が無いわけではない。
U20日本代表のこれまでの最高順位は8位。つまりこの5~8位決定トーナメントでは1勝もしたことが無く、ここから先の勝利というのは歴代の日本代表にとって未知の領域への挑戦と同義なのだ。
そして気になる次の対戦相手だが、その前にプール戦を終えた時点での各国の順位を参照しよう。
順位 国名(勝ち点・勝敗数)
1 ニュージーランド(14・3勝)
2 オーストラリア(14・3勝)
3 南アフリカ(13・3勝)
4 フランス(9・2勝1敗)
5 イングランド(9・2勝1敗)
6 アルゼンチン(7・1勝1敗1分)
7 ウェールズ(6・1勝2敗)
8 日本(6・1勝1敗1分)
9 アイルランド(4・1勝2敗)
10 イタリア(1・3敗)
11 ジョージア(0・3敗)
12 スコットランド(0・3敗)
プール戦での勝ち点を基にした順位表では、日本は12か国中8位につけることができた。
ちなみに2敗しているウェールズが日本よりも順位が上の7位になっているのは、得失点差で日本を上回っているためであることに留意したい。オーストラリア戦で大量失点を喫した日本とは異なり、ウェールズは敗れた試合であってもその点差は小さく、またジョージアに大量得点で勝てたことで得失点がプラスになっている。
そしてこの順位表が出たことで、次の対戦相手も自動的に決定する。8位になった日本は、トーナメント1回戦で5位のチームと戦うことになる。
そう、次の相手は5位のチーム、なんと北半球の超強豪イングランドだ。
イングランドは言わずと知れたラグビーの発祥地。加えて前回2027年大会でウェールズが優勝するまでは、北半球で唯一ワールドカップを制した経験のある国だ。長い歴史と技術の蓄積は他の追随を許さない。
チームとしての実力はアルゼンチンよりも上だ。オーストラリア戦以上の大敗もあり得る。
ようやく取材を終えた俺と和久田君は、ホテルを出て買い物に向かっていた。
「取材もう疲れた」
「だね、全然身体が休まらないよ」
そうぶつくさと文句を垂れて歩道を歩いている時のこと。ちょうど後ろから走ってきた自動車が、プッと軽くクラクションを鳴らしてきたのだ。
振り返ると、件の自動車は運転席の窓ガラスがするすると下げながらスピードを落とし、俺たちのすぐ脇で停車する。
「太一!」
顔を出したのは懐かしのホストファミリー、アイリーンだった。
「あ、アイリーン!」
思わぬ再会に俺も和久田君も表情を崩す。
「こんな所でどうしたの? 大学は?」
「ちょうど休みに入ったから買い物してたのよ。そしたらあんたたちの後ろ姿が見えたから、つい声かけちゃった」
俺のでっかいシルエットはこっちでも珍しいもんな。
「今日はもう暇なの?」
「うん、練習は午前で終わって、夕食まではオフだよ」
試合翌日は身体を休めるためにも軽いメニューで済ませることが多い。
「そっか。ねえ、時間あるならうち来なさいよ。パパもママもきっと歓迎してくれるわよ」
「え、でも」
「いいからいいから」
まあ少しくらいならいいか。俺たちはちらっと目配せして頷き合うと、アイリーンが運転する車の後部座席に乗り込んだ。
ラガーマン二人が腰を下ろすと、座席のクッションが大きく沈み込む。そういえば8人でスクラムを組んだ場合、総重量はそこらの軽自動車を軽く上回るんだよなぁ。
「太一もニュージーランド生活長くなりそうなら、免許取った方がいいわよ」
慣れた手つきでハンドルを操作しながら、アイリーンはすいすいとオークランドの街を走り抜ける。
「そうだね、こっちの生活も長くなりそうだし」
前の人生では最期まで実家暮らしだったので、親の車を借りることはあったが自分の車は買っていない。Mitre10で1シーズンプレーすれば車の1台や2台買うくらいの余裕はできるだろう。今の内から何の車種を買うか考えておこうかな?
「でも俺、そこまで車詳しくないからなぁ。どんな車買ったらいいんだ?」
「小森君、車買ったらどれくらいの頻度で、どんな目的で使いたい?」
突如、和久田君の声色が変わった。目つきもいつもより鋭くなっている気がする。
「え、普通に買い物できればそれでいいかな……」
「長距離は乗らないの?」
「うーん、あんまししようとは思わないかな」
「じゃあ馬力はそこまでいらないから、小回りが利いて運転しやすい車種がいいね。おすすめは……」
そしてスマホを取り出して車種紹介のページを開く和久田君。
意外や意外、どうやら和久田君はかなりの車好きのようだ。ここらへん、やっぱり男子だな。
やがて市街地を抜けた俺たちは住宅街に差し掛かる。
「取材取材で疲れたでしょ、ゆっくりしていきいなさいよ」
鏡に反射するアイリーンの笑い顔に、俺たちは「ありがとう」と答える。ほどなくして懐かしのウィリアムズ家の屋根も見えてきたが、いつもとは異なる雰囲気にアイリーンは首を傾げた。
「あれ、何かしら?」
見ると家の前には車が3台止まっていた。それだけではない、玄関先にも10人ほどが集まっていたのだ。
「どうしたんだろう?」
家の前に縦列駐車して窓を全開にする。ワイワイガヤガヤと、集まった人々の声が聞こえる。
「小森太一君はここで過ごしたそうですね? その時の彼はどんな様子でしたか?」
「おもしろエピソードひとつ教えてください!」
なんと家を訪ねていたのは、テレビ局や新聞社のスタッフだった。それも地元だけではない、ニュージーランド全国をカバーする大手メディアだ。
そして玄関先では新品の日本代表ジャージを着たオスカーさんと、一度も見せたことのないほどばっちりメイクを決めたマライアさんが夫婦並んで取材陣にホクホク顔で対応していたのだった。
「私たち家族ともすぐ打ち解けまして、まるで子供がひとり増えたようでした」
「うちの娘ともよくボードゲームをしていました。娘は壊滅的にゲームの才能がないにもかかわらず、太一は文句のひとつも漏らさずに娘が満足するまで相手してくれて……」
「うちの親、なんつー話ししてんのよ!」
運転席のアイリーンがかっと顔を真っ赤にしながら、クラクションを大音量で鳴らしてインタビューを妨害する。
クラクションの騒音に耳を押さえながらも、俺はがっくしと首を垂れていた。まさかこんなところにも取材が押し掛けてくるなんて……きっと今頃、横浜の実家もてんやわんやだろうな。




