第二十八章その3 青い悪魔
日本代表がオーストラリアに大敗を喫したその後、同日中にアルゼンチンとイタリアの対戦が行なわれた。スコアは25-7でアルゼンチンの勝利と、実力通りの順当な結果となった。
初戦を終えたプールBの順位は、以下の通りだ。
順位 国名(勝ち点)
1 オーストラリア(5)
2 アルゼンチン(4)
3 イタリア(0)
4 日本(0)
一般的にラグビーのリーグ戦においては勝利チームに4、引き分けで2の勝ち点が与えられる。負けた場合は0のままだ。
しかし敗れた場合でも相手チームとの点差が7以内ならば、ボーナスポイントとして勝ち点1が与えられる。また結果の勝敗にかかわらず、1試合でトライを4つ以上奪えば勝ち点1が加算されるという他の競技では見られないルールもある。
そのため同じ1勝であっても、日本から6トライを奪ったオーストラリアは勝ち点5を得ているものの、アルゼンチンはトライ3本で勝利したために勝ち点4と差がついているのだ。
最初からわかりきっていたことだが、現状1~4位決定トーナメントに進むのはまず無理だろう。そうなると5~8位決定トーナメント進出を狙うのが、俺たち日本代表の次の目標になる。
しかし試合数の少ないこの大会において、5~8位のグループに入るのも生半可なことではない。ここから先の戦いは、1敗とて許されないのだ。
「次の対戦相手はイタリアだ」
夕方、ホテルに戻った俺たちは会議室を借りてミーティングを開いていた。
「相手は国内クラブの選手がほとんどだ、大会前に長期の合宿を組んでいるのでチームとしても成熟しているだろう」
船木監督が巨大なスクリーンのスライドを切り替えながら話す。イタリアは国内にトップ12というプロアマ混合リーグを備えており、今回出場する選手は多くがそこに在籍しているそうだ。
「だがそれは我々とて同じ、チームワークで負けるはずがない。イタリアには勝て、絶対に!」
ミーティングを終え、俺たちは続々と席を立つ。
「勝つしかないよな、イタリアには」
立ち上がった進太郎さんがむんっと上半身に力を込める。これが彼なりの伸びなのだろう。
「ここで落としたら確実に最下位ですもんね」
俺は先輩のパンプアップした筋肉をつんつんとつつきながら苦笑いを浮かべた。
しかし勝てと言われて勝たせてもらえるほど、イタリアも甘い相手ではない。彼らは欧州最強シックスネイションズのメンバーであり、ティア1の一員として普段から強豪国に揉まれているのだ。近年は日本代表の勢いに押されがちではあるが、総合的な実力は同等だろう。
そして近くの店に飲み物を買いに行こうと、ホテルの外に出た時のことだった。
「小森さん、失礼します」
「あ、山倉さん!」
久しぶりに見た顔に、俺はつい頬を緩ませてしまった。
長い黒髪と眼鏡が特徴の女性記者。ずっとニュージーランドに滞在していたので、こう顔を合わせるのは去年12月の引越しの時以来かもしれない。
「初戦のオーストラリア戦ではナイスなキックを世界にアピールできましたね。次のイタリア戦に向けて、意気込みをどうぞ」
山倉さんがレコーダーのスイッチを入れ、ペンとメモを手に取る。まさかの即席インタビューだが、これも俺と彼女の長い付き合いあってこそ許される電撃取材だ。
「イタリアも俺たちに本気でかかってくると思います。この大会、簡単な試合はひとつもありません。ですが日本も負けていられません」
学生時代から頻繁にカメラとマイクを向けられていたおかげか、俺もすっかり慣れた口調で取材に応じる。
だが隣の進太郎さんはゴツい身体とはまったく似合わないほどに目を丸めて、俺がぺらぺらと話す姿をきょとんと見つめていた。
「小森さん、ありがとうございました。それからフランカーの秦進太郎さんですね、次の試合に向けての意気込みをお願いできますか?」
こちらの口から満足できるだけのネタを引き出せたのか、山倉さんの興味は隣のゴリマッチョに移る。
すぐに進太郎さんは俺にそっと身を寄せ、ほとんど口パクで尋ねた。
「おい小森、こちらの女性は一体?」
「帝王スポーツの山倉さんです。ニュージーランドに駐在して、ラグビーの取材してるんですよ」
「そうか、山倉さんか」
数瞬の間。そして蚊の羽音のように小さく、進太郎さんは呟いたのだった。
「……可憐だ」
幸いにも山倉さんの耳には届いていなかったようだ。相変わらずニコニコ笑顔でレコーダーを向けている。
おいおい、どっかの怪盗一味みたいなこと言ってるよ、この人。
イタリア戦当日。場所はオークランド市内のマウント・スマート・スタジアムだ。
試合前のウォーミングアップのためにコートの上に出た俺たちの目に真っ先に飛び込んできたのは、イタリア代表の清涼感ある青いユニフォーム。
「なんかあの色見ると、とても不安に感じる」
「うん、なんかすごく強そう」
パス回しで身体をならす青色軍団の放つ妙なプレッシャーを感じながら、俺と和久田君は互いに楕円球を投げ合っていた。
ヨーロッパ南部に位置するイタリアの人々は、身体的に恵まれたヨーロッパの人々の中では総じて身体が小さい。それはラグビーでも同じで、イングランドやジョージアなど他の強豪国に比べると小柄な選手が多く、ゆえにフォワード勝負では苦戦しがちだ。
一方でバックスのスピードと、セットプレーの連携には定評がある。体格の不利を技術で補うという面から、そのプレースタイルは日本とも共通点が多い。
そんな彼らの愛称は「アズーリ」、イタリア語で「青」を意味する。
ここでスポーツに詳しい方ならばお気付きだろう。なんとブッフォンやバロテッリといった名選手を数多く擁した、かのサッカーイタリア代表と同じ名である。
これはスポーツの国際大会の際、イタリア代表が総じて青色のユニフォームを着ていることに由来する。サッカーやラグビーだけでなく、バレーボールでもバスケットボールでも、選手たちは同じ青色のユニフォームに身を包んでいる。青はイタリアの人々にとってのシンボルカラーなのだ。
俺たちが彼らのカラーを見ると得も言われぬ不安に駆られるのは、サッカーイタリア代表の堅牢なカテナチオが原因だろうか。
ちなみに同様の事例は他の国でも見られる。オランダはナショナルチームのユニフォームにオレンジをよく使うし、ブラジルはカナリアイエローだ。
さて、試合前の調整を終えて、俺たちは一旦ロッカールームに引っ込んだ。
「今日の試合は絶対に勝つぞ! 俺たち日本の意地、見せてやれ!」
円陣を組む日本代表。キャプテンの声にメンバー全員が「おう!」と地響きとともに応える。
気合は十分、さっきの青色に対する不安もすっかり消し飛んだ。
そこから俺たちはロッカールームを出たところで、白縞模様と青一色の両軍で2列に分かれて整列する。そしてスタッフの合図とともにしゃんと背を伸ばすと、大観衆の見守る空の下へと進み出ていったのだった。




