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第二十八章その2 世界の壁

 とうとうワールドラグビーU20チャンピオンシップの開幕となった。


 陽も沈んで暗くなった空の下、煌々とライトに照らされたイーデン・パーク。そこで催されている開会式では、協会のお偉いさんが押し掛けた5万人の観衆を前に長々と祝辞を述べている。


 そのようすを俺たちU20日本代表はホテルの一室、進太郎さんの部屋に10人ほどの選手が集まってじっとテレビで眺めていた。


 部屋にいるのは大柄なフォワードばかり。おかげでしっかりと空調が効いているはずなのに、まるでサウナのようにむさ苦しい空間が出来上がっていた。


「明日の初戦はいきなりオーストラリアか」


 進太郎さんが日程の書かれた星取表を手に取りながら、苦々しく呟く。


 過去、U20日本代表がU20オーストラリア代表に勝ったことは一度として無い。そもそもオーストラリアは世界トップクラスのラグビー大国、ユース世代であっても一流国のフル代表並みの力がある。絶望的なレベル差があるのは、戦う前から明らかだ。


 日本代表の属するプールBには、他にアルゼンチンとイタリアが属している。それら強豪国と比べても、かの国の実力は頭2つ3つ抜きん出ていた。


 一方の俺と和久田君はスマホを開き、オーストラリア代表メンバーの一覧を眺めていた。選手は全員若手ながら、所属先には世界最強プロリーグことスーパーラグビーのクラブがずらりと名を連ねている。


「スティーブン・ニルソンは……」


「いないみたい……だね」


 かつてオークランド州選抜U-15チームにいた頃、ワールドツアー直前に戦ったオーストラリアの天才バックス。現在、彼もオーストラリア国内の州代表チームに入ったと聞いている。


 当時凄まじいまでの力の差を俺たちに味わわせた彼ですらここに選ばれないなんて。オーストラリアの選手層の厚さは、日本とは比べ物にならない。


 しかもこの試合、俺や和久田君にとっては国際大会デビュー戦だ。一発目がこんな超超超強豪というのは誇らしいと思えばよいのか、逆にどうでもなれと思われているのか……。


「小森!」


 そんな俺たちの今の心境を見抜いたのか、進太郎さんが突如声をかける。


「大会は始まっちまったんだ。くだらないこと考えるな、今できることだけをやれ!」


 そしてチーム最年長フランカーは、ぐっと拳を突き出したのだった。彼の何者にも屈しない力強い言動は、チームに不思議と安心感を与えてくれる。


「まあつまり、当たって砕けろってことだ!」


 全言撤回。俺は「最後が余計です!」と言い返した。




 翌日、イーデン・パークで行われたオーストラリアとの試合の結果は聞くまでも無いだろう。


 ぼろ負けである。


 日本代表は前半だけで4トライを奪われ、28-3。こちらが獲得した得点は、前半30分にようやく決めたペナルティゴール1本だけだった。


 そして後半35分、スコアは51―3。オーストラリアは後半にもさらに2本、トライを追加していた。


「くそ、せめて1トライだけでも……!」


 楕円球を抱えた進太郎さんが、へとへとの足をひきずりながらも身を屈めて前に突っ込む。しかし相手は強固な守備ラインを形成し、彼の100kgの肉体をいとも簡単に受け止めてしまった。


「小森!」


 だが自分がこれ以上進めないことを、進太郎さんは重々承知していた。腰にタックルを入れられたところでくるりと上半身を捻じ曲げると、斜め後ろの位置にいた俺にボールを放り投げたのだ。


 捨て身のオフロードパスを回された俺は、ボールを抱えるや否や全速力で進太郎さんの脇を走り抜けて敵のラインを突破する。


 80分の試合の最終盤、130kgの身体で全力疾走するのだ。冗談抜きに全身の血管が破裂しそうなほど辛い。


 しかし残り時間は僅か。このままノートライで終わるのだけは避けたい!


 背後では敵選手たちが急遽向きを変え、全力で追いかけてきている。一方目の前には相手フルバックが身を低く構え、俺にタックルをぶち込むタイミングをうかがっていた。


 俺はただひたすら、まっすぐに突き進む。俺が真っ向から突っ込んでくることを悟ってか、相対するフルバックもひゅんと飛び出した。


 そして交錯する俺と相手のタックル。俺は目前でステップを踏み、フルバックの身体を寸でのところでかわした!


 相手フルバックがまさかと大きく目を開くのがちらりと見えた。その脇をすり抜け、俺はただただゴールラインに走る。


 だが一瞬ステップを踏んでいる間にも、相手選手たちはもうすぐ後ろまで追いついていたようだ。振り返らずとも、手を伸ばせば俺のジャージをつかめる位置まで相手が迫っていることは気配でわかる。


 こうなれば失うものは何もない。俺は覚悟を決め、わきに抱えていたボールをすっと前に突き出した。


 そしてまっすぐ足元に落とし、パントキック!


 俺の足から放たれたボールは、低くバウンドしながら前へと転がった。


 まさかここでプロップがキックを!?


 会場全体にどよめきが起こる。このプレーには観客もオーストラリアの選手たちも意表を突かれたようで、慌てて進行方向を切り替える。


 だがもたつく彼らのすぐ隣を、一陣の風がひゅっと吹き抜ける。見えたのは赤と白のストライプ模様と、背番号11。


 馬原さんだ。ウイングの馬原さんが、誰よりも速くボールを追う一団を飛び抜けていたのだ!


 100メートル走10秒6と陸上選手顔負けのスプリント能力。ラグビー選手としては細身なのでぶつかり合いには弱いものの、そんな弱点など些細なものに感じさせてしまう大抜け。彼こそまさに日本が世界に誇る新幹線だった。


 ボールはなおも芝の上を弾みながら、やがてゴールラインを越える。そこに追いついた馬原さんは倒れ込むようにして楕円球をキャッチし、地面に叩き付けた!


「トライ!」


 コールされるレフェリーの声。どっと沸き立つ大観衆。


「よくやったぞ馬原、小森!」


 進太郎さんがぶわっと滝のような涙を流しながら、その太い腕の片方ずつで俺と馬原さんをがっしとつかむ。


「小森君のキックがあったからだよ。オーストラリアを出し抜いたなんて、末代まで自慢できるよ」


 トライを決めた馬原さんはほんの少しだけ頬を緩めていた。ほんの少しの変化だが、彼にとっては満面の笑みであることは誰もが分かっていた。


 その後試合が再開されるものの、フルタイムのホーンが鳴ってほどなくして日本代表はボールを奪われる。そしてタッチラインの外に大きく蹴り出され、俺にとって初めての公式国際戦は幕を閉じたのだった。


 最終的なスコアは51-10。最終盤でトライ1本奪い返したところで結果が覆ることはない、完全なる敗北だった。


 日本代表は、まだまだ世界のトップ層には遠く及ばない。それが今の俺たちの立ち位置だった。


「みんな、よく頑張った」


 試合後のロッカールーム、スタンドオフのキャプテンが疲れ切ってベンチにへたり込むメンバーひとりひとりに声をかける。


「仕方ない、相手が相手だ」


 こうなることは予想がついていた。だが実際に身をもって敗北を味わうと、辛いし悔しいのはどこが相手だろうと同じ。


「小森、最後のキックは神業だったな」


 キャプテンが俺の肩に優しく手を置いて慰める。だが俺は弱々しく「……ありがとうございます」と返すしかできなかった。


 あのキックは俊足の馬原さんがいたからこそ実現したプレーだ。あの場に彼がいなくては、敵に追いつかれて止められていただろう。


 もっと強くなるには、自分ひとりでもトライを決められるようにならないと……。


「お前ら、いつまでしょげてるんだ!?」


 どんよりとしたロッカールーム。そのよどんだ空気をすべて吹き飛ばしたのは、立ち上がると同時に怒鳴り散らした進太郎さんだった。


「まだ最初の1試合を落としただけだろ、大会は終わってねえぞ!」


 メンバー全員の視線が注がれる。試合を終えたばかりとは思えないほど、進太郎さんは凄まじいまでの威圧感をみなぎらせていた。


「アルゼンチンとイタリア、両方に勝てばいいだけだ!」


 そしてぐっと拳を突き出す。この一瞬で周りのメンバーも気合いを注入させられたようで、ついさっきまで打ちひしがれていた全員の瞳に光が戻っていた。


 それは俺とて例外ではなかった。ぐっと力を握り拳にこめ、いつか絶対に、この雪辱を晴らすと念じていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] うーん、やはり世界の壁は高くて厚かったですね。
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