第二十六章その5 年始の恒例行事
「お、始まったな」
テレビに映るのは喝采の中、コートに入場する俺と同年代のラガーマンたち。
「おい、西川映ったぞ!」
そう言って両手に酢豚の大皿を持って歩きながらはしゃぐのは、『八景軒』と胸に刺繍されたコックコート姿のハルキだ。小さい頃から店を手伝っていた彼も今は高校生となり、跡取り息子としてすっかり馴染んでいた。
2028年の1月、俺は日本に一時帰国していた。
そしてここはハルキの実家である中華料理屋。正月気分のまだまだ抜けない冬休み、俺は昔からのラグビー仲間や近所のラグビー好きの皆さんといっしょに、店内に置かれたでっかい壁掛けテレビを注視していたのだった。
今日ここに集まったのは他でもない、全国高等学校ラグビーフットボール選手権大会決勝、神奈川県代表と大阪府代表の頂上決戦を観戦するためだ。聖地花園ラグビー場には2万6000人の大観衆が詰めかけ、近い将来日本を背負って世界と戦うラグビー少年たちに盛大な拍手を贈っている。
ワールドカップ2019年大会で日本代表がベスト8の快挙を成して以降、国内のラグビー人気は高校にも及んでいた。全国大会ともなれば全ての試合がテレビ中継され、花園を目指す高校生に密着取材した番組はどのテレビ局でも組まれていた。テレビをきっかけにラガーマンに憧れて、競技を始める幼稚園児も少なくないという。
さらに数日後には、全国大学ラグビーフットボール選手権決勝も控えている。特に決勝戦ともなれば満員御礼は確実。国立競技場の6万8000の座席が人で埋め尽くされるのはテレビ越しでも圧巻の一言。瞬間最大風速ならプロリーグの集客をも上回っているだろう。
俺が生まれるよりはるか昔にも並ぶ人気を、日本のラグビー界は取り戻していた。
そしてこの1億2000万人が注目する大舞台に神奈川県代表として出場している学校こそ、我らがエース西川君の在籍する横浜文華高校なのだ。西川君は2年生にしてフルバックのスタメンを務めている。さらにこの大会が終われば、高校日本代表としてイングランド遠征にも参加するそうだ。
俺がニュージーランドへ留学している間、西川君もまた日本で高みまで上り詰めていたのだ。
そんな地元金沢区の最強バックスが日本最高の舞台に立つと聞いて、居ても立ってもいられないのがラグビー好きの習性だ。Rリーグクラブ『横浜グレイトシップス』のグッズで溢れかえるハルキの中華料理屋には、誰が音頭を取るまでもなく元金沢スクールのメンバーやラグビー経験者のおじさんたちが足を運び、試合開始前には全ての椅子が埋まってしまったのだった。
「お、石井君も映ってる!」
「本当だ、やっぱいつ見てもでっかいなー」
俺の隣に座る浜崎もテレビを見て眼を輝かせる。元金沢のスタンドオフにして俺たち世代のキャプテンだ。
決勝戦で西川君と対峙するのは、フッカー石井君擁する大阪府代表の阿倍野学園高校だ。強豪ぞろいの大阪府内でも最強と評される高校で、昨年もこの大会を優勝している。今大会では準決勝で和久田君のお父さんがコーチを務める福岡の強豪、九州光輪高校との激闘を制しており、実力も勢いも申し分ない。
そしてテレビを前に観衆が無言で見守る中、試合は開始された。
西川君が高く蹴り上げたボールは相手陣22メートルライン手前でまっすぐに落ち、フォワードがキャッチすると同時に神奈川代表の選手がタックルで押し倒す。
開始から10分、体格で勝る大阪が石井君を中心としたフォワードの連続攻撃で先制トライを奪う。しかし3分と経たない内に今度は神奈川のバックスによる素早いパス回しが展開され、こちらもトライをひとつ奪い返したのだった。
その後は両軍ともに決定打に至らず、7-7の同点で盛り上がりも最高潮のまま前半が終わる。
「こりゃテレビから目が離せねえぞ」
「その割には大盛の酢豚が空っぽになってるな」
俺の目の前の大皿を指差しながら浜崎が突っこむ。ついさっきまで溢れんばかりに盛られていた酢豚も、タマネギの一切れまできれいさっぱり無くなっていた。
「おう、試合見てると腹減ってくるからな……すんません、五目御飯ひとつ!」
「まだ食うのかよ、お前全然変わってねえなぁ」
浜崎は呆れたように笑った。
彼は現在、地元の県立高校に通っている。今もラグビー部でスタンドオフを続けているそうだが、それほど強いチームではないらしく花園出場には程遠いそうだ。
他にも中学から私立学校に入った安藤は受験のためラグビーから離れてしまったそうだし、チアゴも中学卒業と同時にブラジルに渡ってしまった。小学校から今まで、ずっとここらでラグビーを続けている子はもう随分と少なくなってしまった。
「すまん、ちょっとチャンネル変えていいか?」
出来立ての炒飯を俺に運んできたところで、突如ハルキが声を上げる。テレビでは前半のハイライトが終わり、CMが流れ始めたところだ。
「すぐにハーフタイム終わるから、さっさと戻せよ」
そして厨房から聞こえる親父さんの声に「はーい」と間延びした返事を飛ばしながら、彼はリモコンを手にしてテレビの画面を切り替えたのだった。
「新春! 高校生クイズグランプリ!」
始まったのはクイズ番組だった。最近すっかり人気を獲得した、生中継の素人参加番組だ。
ハルキ、こんなの見るのか?
俺は何気なく画面に目を移す。だが次の瞬間には、口にしていた炒飯をぶふっと盛大に噴き出したのだった。
「せ、先生!?」
俺は立ち上がる。だが机の上を汚してしまったことにすぐ気が付くと、急いでおしぼりでまき散らしたご飯を拭いて掃除したのだった。
なんと俺たちの雑学王にして将来の東大生、『先生』がテレビに映っている!
しかもクイズ番組の回答者の席で、『神奈川県代表』と書かれた札を前に。
「ああ『先生』のヤツ、今クイズ研究会に入ってるんだ。秋の予選突破して、ここまで上がってきたんだってよ」
得意げに解説するハルキに、俺は「へ、へえ、すごいな、さすがとしか言えねえ」と震えながら答えた。俺みたいなラグビー馬鹿にしてみれば、凄すぎてどれほど凄いのかよくわかんねえぞ。
「ハルキ、そろそろ戻してくれー」
厨房から飛んできた親父さんの声に、息子は「はいよー」とチャンネルを切り替える。
既に花園ラグビー場のカメラとつながっており、画面には試合再開の準備を終えた両校の選手たちが映し出されていた。
その後も試合は互いの持ち味を活かしてゲームは進められ、攻めては守っての五分五分の勝負が繰り広げられていた。
だが最後はペナルティキックを任された西川君が確実にキックを決め、13-10の死闘を制したのだった。
「優勝、カンパーイ!」
ノーサイドの笛が響くと同時に、久々の神奈川県勢の優勝に店内は沸き立った。往年のラガーマンたちは万歳したり涙を流したり、まるで我がことのように心の底から喜んでいた。
一方の俺たちは神奈川代表が勝ったことよりも、かつての仲間が日本のてっぺんに立ったという快挙を祝っていた。歓声も「西川、最高!」とか「西川ー、結婚してくれー!」とか彼を讃えるものばかりだ。
「これは店からのおごりだ、みんな飲めー!」
ハルキのお父さんもすっかり上機嫌だ。おじさんたちの机にひとり1本ずつ、瓶ビールが置かれる。
「で、未成年諸君にはこれを」
そう言っておじさんが俺たちの前にそっと並べたのは、グラスに入った茶色の謎のジュースだった。そこの方に黒い沈殿が見える。
「これは?」
「タピオカミルクティー横浜サンマーメン味だ」
えへんと胸を張るおじさん。元金沢スクールの面々は一斉にずっこける。
「結局商品化してたのかよ!」
なんてこったい、小6の時に酷評したこのゲロマズスイーツを、また味わうことになるなんて!




