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第二十六章その3 はじめてのひとりぐらし

「これでよし、と」


 段ボールを床に下ろしたアイリーンがうーんと腕を伸ばして指をパキパキと鳴らす。


「ありがとう、アイリーンちゃん」


 部屋に入ってきた母さんも、両手で段ボール箱を抱えていた。ニュージーランドに初めて来る用事が息子の引っ越し作業だなんて、なんだか申し訳ない気分だ。


 12月、学校を卒業した俺は4年間お世話になったウィリアムズ家を出て、オークランド市内の賃貸アパートへと引っ越した。ひとり暮らしなので1LDKのやや手狭な部屋だが、街中で電車やバスのアクセスは抜群だし、おまけに家電やベッドもついてきたのは幸運だった。好立地なので家賃はかなり高いが、ラグビークラブが補助してくれるのは嬉しい。


 そして今日はウィリアムズ家から俺の私物を運び込む日なのだが、暇だからとアイリーンも手伝ってくれている。自動車の運転免許を取得したばかりの彼女は何かと理由をつけて車の運転を買って出てくれているのだが、俺にとって彼女の好意はとても助かっていた。


 一通り作業を終えたところで、遅めの昼ご飯だ。母さんは近くの輸入食品店で購入した味噌と日本産の白米を使い、アツアツの白ごはんと味噌汁、ホウレン草のおひたしを作ってくれた。あとは地元のオーシャンビーフをフライパンでさっと焼き上げれば、ダイニングテーブルの上にはたちまちジャパニーズスタイルランチが並ぶ。


「美味しいです、お母さん!」


 日本式の食事を気に入ってくれたのか、アイリーンはお箸を器用に扱いながらパクパクと白ご飯を口に運ぶ。


「それは良かった、いくらでもおかわりあるわよ」


 そう微笑む母さんの隣で、俺は無言のまま立ち上がる。既にどんぶりの白ご飯を空っぽにしてしまったので、炊飯器へと注ぎ足しに向かったのだ。


 我が家ではご飯は多めに炊いておくのが鉄則だ。俺みたいな大食デブがいると、1食で5合くらい軽く消費してしまうからな。


「それにしても、太一がいなくなるのは寂しいなぁ」


 しゃもじで白ご飯をよそう俺をぼうっと眺めながら、アイリーンが落ち込んだような表情を浮かべる。


「家近いからいつでも会えるよ」


 こんもりとご飯を盛った俺はわざと明るく返した。今までお世話になったホストファミリーの元を発つのは俺からしても寂しいが、ここで泣いても何か得られるわけではない。


 それに俺、前の人生でも26歳で死ぬまでずっと実家のお世話になってたもんなぁ。初めてのひとり暮らしに対する不安よりも、ようやく自分の城を持てたという喜びの方が大きくて、ここ数日は期待でずっとわくわくが抑えられない状態だった。


「じゃあいつでも遊びに来てね。パパもバーベキューの準備して待ってるから」


 アイリーンが身を乗り出して言うので、俺は「もちろん!」と親指を立てた。


 その時、部屋の呼び鈴がピンポーンと鳴らされる。


 俺はどんぶりをテーブルに置き、「はい?」と部屋の壁に埋められたインターフォンに応答した。


「すみません、帝王スポーツです」


 画面に映ったのは黒髪に眼鏡の女性、スポーツ記者の山倉さんだった。


「あ、もうそんな時間か!」


 引越しに時間がかかってすっかり忘れていた。午後から取材があったんだった!


「すみません、あと5分待ってください!」


 俺はインターフォンのスイッチを切ると急いでご飯を掻き込む。


「急いで机の上片付けなさい!」


 そして母に急かされるまま、俺はご飯をもっしゃもっしゃと咀嚼しながらハサミやらガムテープやらで散らかったリビングテーブルを片付けたのだった。お行儀が悪いから、良い子はマネしちゃだめだぞ!


「どうぞー」


 そしてとりあえずソファとリビングテーブル周辺だけは見栄えを良くすると、部屋の中に山倉さんを通したのだった。


 部屋の中で肩を潜めるように「どうも」と手を振る母さんとアイリーンを見て、山倉さんもばつが悪いと思ったのだろう、ソファに座ると早くも目的のインタビューに移ったのだった。


「新居はいかがですか?」


「はい、さっき荷物を運び終えたばかりですが、とても気に入っています。それに初めての一人暮らしで、自分もようやくプロになったんだなって自覚が湧いてきました」


 ぺらぺらと答える俺を見て、母さんとアイリーンは必死で笑いを押し殺していた。家族の前で記者からインタビューにを受けるのって、なんだか恥ずかしいな。


「ワールドカップでベスト12に入った日本代表の活躍については、どのように感じられましたか?」


「はい、憧れの選手の皆さんの戦う姿を見て、僕も負けていられないなって思いました」


 とりあえず当り障りのないことを答えておくが、内心は悔やんでも悔やみきれない思いばかりだよ。ホント、グループリーグもあと少しで2位通過できたのに。


 先月終了したワールドカップアルゼンチン大会の結果は、以下のようなものだった。


優勝   ウェールズ

準優勝  南アフリカ

3位   ニュージーランド

4位   スコットランド

ベスト8

 オーストラリア イングランド アルゼンチン アイルランド

ベスト12

 日本 フランス イタリア アメリカ

グループリーグ4位(次回大会出場確定)

 サモア フィジー ジョージア カナダ

グループリーグ5、6位(次回大会は予選から)

 ロシア スペイン ルーマニア ナミビア トンガ ドイツ ウルグアイ 韓国


 欧州最強シックスネイションズの中では今ひとつぱっとしなかったスコットランドが久しぶりに4強に上ってこられたことは、古豪復活として大々的に報道された。開催国アルゼンチンも3大会ぶりの決勝トーナメント進出という結果を残し、南米諸国に大きな希望をもたらしている。


 だがそれ以上の衝撃が、アメリカの決勝トーナメント初進出だった。アメリカにおいてラグビーはアメフトや野球などと比べるとはるかにマイナーな競技であり、注目度も決して高くはない。しかしメジャーリーグラグビーによるプロ化の整備から10年、強化の実ったアメリカは世界最高の舞台で格上フィジーを破ったのだ。この躍進は世界を大いに驚かせ、日本に続くラグビー界の勢力図を一変させ得る存在としてティア1の国々からも一目置かれるようになったのだった。


 実際に俺の記憶が正しければ、アメリカは次の2031年大会、2035年大会と連続して決勝トーナメントに進出し続けていた。どんどん地位を落としていく日本とは対照的に、着実に世界ランキングを高めていったのを肩を落として眺めていたのを覚えている。


「ところで小森さん」


 山倉さんがメモ帳をめくる。


「日本では小森さんをU-20日本代表に呼ぼうという声があちこちで上がっています。オファーがあった場合、U-20日本代表には合流されますか?」


「え、そうなんですか!?」


 俺はぎょっと目を開いて素っ頓狂な声をあげた。ふと母さんを見てみると、「なんであんたが知らないのよ!」と言いたげに怪訝な顔をこちらに向けている。


「はい、6月から始まるワールドラグビーU-20チャンピオンシップに向けて、年代が下でも実力のある選手には積極的に声をかけていこうって声が高まっています。スクラムハーフの和久田さんにも、強く期待がかけられていますよ」


 U-20日本代表は、その名の通り20歳以下のユース世代の選手だけで構成されたナショナルチームだ。現状ラグビーにおける年代別のレギュレーションでは、最も高い年齢区分けである。


 統括団体であるワールドラグビーに加盟する国々は、正代表チーム以外にもU-20代表チームを結成することが必須条件とされている。ここで選ばれた若手選手たちにとって最高の舞台こそが毎年開催されるワールドラグビーU-20チャンピオンシップであり、世界の上位12か国がユース世代世界一の座を賭けて争うのだ。


 当然日本でもU-20代表は組まれるが、メンバーの大半は大学生や国内プロチームの若手選手だ。日本では高校生に当たる年齢の俺は、まさか自分が選択肢に入っていたとは考え付きもしなかった。


「小森さんの体格なら、大学生をも上回りますので。私も個人的に選出は堅いのではないかと思っています」


 期待の眼差しを向ける山倉さんに、俺は「まさかー」と茶化す。


 日本では今、高校や大学レベルでのラグビーがシーズン真っただ中。それら大会が一通り終わったところで、選手たちに声がかかるはずだ。


 もし選ばれれば嬉しいは嬉しいのだが……8月のMitre10開幕までトレーニングしながらニュージーランドでのんびり過ごそうと考えていた俺にとって、心中は穏やかでなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] アメリカはアメフトから人材引っこ抜けばラグビーでもかなりいいとこまで行けそうですからね。
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