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第二十五章その4 学生最後の戦い

 4万人近い観客に見守られながら、いよいよ決勝戦の幕が上がる。この試合でニュージーランド最強の学校が決まるためか、会場全体もただならぬ緊張感に覆われていた。


 試合開始直前、芝の上で対戦相手であるミラマー校の選手のひとりひとりと、俺たちオークランド学校代表のメンバーは互いに握手を交わす。


 大半は「健闘を祈る」、「お互い頑張ろう」と声をかけ合うものの、相手フルバックであるリカルド・カルバハルは無言のまま、鋭い眼光を俺たちに飛ばしていた。まるでアルゼンチン代表のエンブレムに描かれるジャガーのようだ。


 全員が守備に就き、キックオフの笛が鳴る。キッカーはリカルドだ。


「な、高い!」


 彼の蹴り上げた楕円球はまるでそのまま空の彼方まで消えてしまいそうなほど高く上がった。テレビの映像などではわからない、実際に間近で見なくてはわからない彼の強さだ。


 オークランドのロックとともに、俺は落下するであろう位置まで急ぐ。しかし一体いつボールは落ちてくるのやら、落下地点にたどり着いてもボールはまだはるか高くの小さな点にしか見えなかった。


 こうしてボールを待つ間にも、リカルドの後方からはミラマー校の選手たちが走ってきている。


 これはボールの競り合いになりそうだ。そう考えた俺は早めにロックの身体を持ち上げ、空から落ちてくるボールをキャッチさせた。とはいえすぐ目の前にまでミラマー校の選手が迫っている。これはロックが地面に足をつけた瞬間、タックルを入れてくるつもりだろう。


 そこでロックは俺に持ち上げられたまま、後方にボールを放り投げる。キャッチしたのは自陣22メートルラインより内側に立っていたスタンドオフの選手で、彼はボールを受け取るや否や逆サイドへと大きく蹴り上げたのだ。


 ボールは味方のウイングが走り込んで丁寧にキャッチされる。そしてウイングはまだ守備ラインの整っていない相手陣に向かい、単騎疾風のごとライン際を駆け抜けた。


 しかし敵陣22メートルラインを越えたところでゴール前から飛び出したリカルドのタックルを受け、タッチラインの外まで押し出されてしまったのだった。


「くそ、相手ボールでのラインアウトか!」


 俺は小さく舌打ちしながら、ボールがラインを割った位置まで小走りで向かう。


 古くからの伝統国の強さがずば抜けているラグビー界において、リカルドの出身国であるアルゼンチンは21世紀以降最もその地位を高めた国と評して間違いないだろう。


 アルゼンチンにおけるラグビーの歴史は19世紀、イギリス系移民によって持ち込まれたことで産声を上げる。少数派ながら裕福であったイギリス系移民は仲間内の娯楽としてラグビーに興じ、結果として近年までラグビーは富裕層を中心に人気アマチュアスポーツとして人気を獲得していた。早期からプロ化を実現し、少数の富裕層だけでなく大多数の労働者階級をも取り込んだサッカーとはまるで異なった発展を遂げたのがアルゼンチンのラグビーだ。


 そんなアルゼンチン代表こと「ロス・プーマス」はワールドカップ参戦当初はプール戦敗退が続いたものの、1999年大会で初めての8強入りを果たすと2007年大会で3位、2015年大会も4位と優れた成績を残している。国際的には新興国でありながらもその卓越した実力が認められ、近年は南半球強豪3か国や欧州のシックスネイションズと同格の強豪とみなされているのが一般的だ。


 ワールドカップでの活躍から競技自体も国内で人気が高まりつつあり、かつてはプレーヤーのほとんどがイギリス系であったのが、現在ではスペイン系、イタリア系、先住民系やメスチソなど様々な民族、属性の人々によってプレーされている。


 そしてもう数日後には開催されるワールドカップ2027年大会では、アルゼンチンが南米初の開催国として選ばれている。これは2019年日本大会がアジア各国での普及の弾みとなったように、中南米においてもかつてないほどラグビーへの注目が集まっているそうだ。世界的なサッカー大国であるアルゼンチンは現在、ラグビーにおいても世界の頂点を狙える位置まで昇っている。


 相手陣22メートルラインの内側、ミラマー校とオークランド両軍は2列に分かれ、ボールの奪い合いの準備を整える。そして相手フッカーにより楕円球が投げ入れられる。空中の楕円球をキャッチしたのは、長身の相手ロックだった。


 ミラマー校のロックは後方に控えていたスクラムハーフまで楕円球を素早く落とす。すぐにボールはバックスまで回されると、今度はラインアウトで薄くなったオークランド陣めがけ相手バックスが一気に切り込んできたのだった。


 が、オークランドとて地区優勝メンバーだ、そう簡単には通さない。あわやトライ寸前というところで、追いついたセンターが相手選手を押し倒したのだ。結局ボールは駆けつけた相手選手に拾われてしまったものの、その間にも俺たちは守備ラインを整えることができた。


 ゴールラインまではほんの数メートル。ここでなんとしてもトライを奪わんと、相手は無理矢理体をぶつけては倒れ、ぶつけては倒れを繰り返すフォワード戦を展開した。攻める方も守る方も、半端なくエネルギーを消費するきっつい作戦だ。


 とはいえこれは俺たちお得意の戦法で、攻めだけでなく守りに関しても自信はある。こちらには俺やニカウといった体格自慢の選手がそろっているのだ。


 オークランドの守備は堅いぞ、絶対に奪い返してやる!


「ねぇ、あのフルバック上がってきたよぉ!」


 だがその時聞こえたニカウの声に、俺は守備位置に立ったまま相手陣側にふと目を向ける。


 自陣22メートルライン付近、そこには背番号15番のリカルドがまるで息を殺すかのように静かに駆けつけていた。本来ならゴール前で万が一に備えているはずなのに。


 その間にも相手フォワードがオークランドの守備ラインに突っ込み、タックルを受けて倒される。だがその時、後ろに駆けつけた相手スクラムハーフはボールを受け取った直後、迷うことなく素早いパスでリカルドまでボールを戻してしまったのだった。


 せっかくここまで攻め込んだのに、わざわざボールを戻してしまうなんて!?


「まさか!?」


 嫌な予感は的中した。ボールをキャッチしたリカルドは一呼吸置いて腕を伸ばすと、楕円球を足元へまっすぐに自由落下させたのだった。


 考えている暇は無かった。俺の身体はすでに走り出していた。


 だが、間に合わなかった。


 振り抜かれたリカルドの足は、地面を軽くワンバウンドしたボールを力強く蹴り上げてしまっていた。


 きりもみ回転する楕円球は横一列に並んだオークランドの選手たちの頭上を越えて、まっすぐゴールポストに吸い込まれる。ドロップゴール成功だった。


「いやっしゃあああああ!」


 喜びの叫びをあげるリカルド。スタジアムも割れんばかりの拍手に包まれ、果敢に攻め込み続けていたミラマー校の生徒たちも駆け寄って抱擁し合う。


 一方、不覚を取られた俺たちはぽかんと口を開けて固まり、しばし間を置いてから「くそ!」と悔しがり始めたのだった。


 1点も無駄にしたくないこの決勝戦、俺たちはドロップゴールで3点を奪われてしまった。


 相手はキックの達人だ。トライで7点を狙うよりもキックで3点を重ねていった方が効率が良いという点に気付けなかったのは痛恨のミスだった。


 力比べの末にトライを決められるよりも、俺たちの受けたショックは大きかった。チームをたちまち重苦しい空気が包み込む。


「みんな、まだ負けたわけじゃないよ!」


 だが沈むチームの中でただひとり、キャプテンの和久田君がピンと真っ直ぐに立ち上がったまま声を張り上げる。


 普段のプレーでは弱気のようだが、ここ一番というところでは最後まで諦めないのが和久田君という男だ。むしろ今の失点で、彼は闘志をより一層めらめらと燃え滾らせているようだった。


「絶対に相手を自陣に近付けるな、とにかく攻めて攻めて攻めまくろう!」


 キャプテンの力強い一言に、オークランドの選手たちはひとり、またひとりと立ち上がる。やがて自然と円陣を組んだ15人は、「おう!」と声をそろえて会場を揺らしたのだった。

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