第二十五章その3 躍進のキッカー
ワイカト地区代表ノースハミルトン校との試合は押して引いての応酬で、両チーム拮抗した試合が繰り広げられていた。
試合時間残り5分にしてスコアは10-10。次に得点を入れたチームの勝利が約束されているようなものだ。
そして俺たちは千載一遇のチャンスを獲得する。相手陣奥深く、ゴールライン5メートル手前という絶好の位置でのマイボールスクラムだ。
もう四の五の言っていられない。絶対に、ここで決める!
オークランドのフォワードがひとつになってスクラムを組んだ。そして和久田君が俺の足元からボールを転がし入れ、フッカーがしっかりと足で受け止める。
「押し込め!」
キャプテンの掛け声と同時に、8人全員が持てる力のすべてを発揮した。試合終盤で立っていられるのもやっとというほど疲れているはずなのに、俺たちの身体はまだ動いた。
とにかく前へ、前へ。上半身は地面に対して水平に、脚はピンと真っ直ぐに!
ついに相手の足が一歩、後ろに下がった。それを見た俺は全力で押しながらもにっと笑みを浮かべる。
「今だ、いっけええええ!」
和久田君の声にあわせて、俺たちは一斉に足を進める。相手スクラムはずるずると後退し、やがてそのままゴールラインを越えてしまった。
「スクラムトライ!」
響くレフェリーの声。同時に俺たちはスクラムを解き、「やったああああああ!」と大歓声をあげる。
この時間でのトライ獲得は会場にいるどの人間にも、オークランドの勝利を確信させた。さらにコンバージョンキックも決まり、俺たちは17-10でリードをさらに広げる。
その後、相手チームは果敢に身体をぶつけてきたものの、俺たちとて負けるわけにはいかず、必死でボールを守り切った。そんな肉弾戦を繰り返している内に、ついに試合終了のホーンが聞こえ、ボールを持っていたオークランドの選手は楕円球をタッチラインの外へと蹴り出したのだった。
全国大会第1回戦、俺たちはこの接戦をなんとか勝ち切ることができた。さあ、あと1勝で全国チャンピオンだ!
劇的な勝利を挙げたその夜のこと。ホテルのロビーのソファに座った俺、和久田君、キム、ニカウのおなじみ腐れ縁4人組は勝利の美酒に酔いしれながらも、腕を組んで頭を傾けていた。
「次の相手は……ウェリントン地区代表ミラマー校か」
和久田君がぼそっと呟く。直後、俺たちは余計に眉間にしわを寄せた。
ミラマー校は昨年度も全国準優勝の実績を誇る強豪だ。その時3年生だったメンバーが今年は4年生として出場しており、去年よりさらに精度を上げて全国の覇者を狙いに来ている。
今日の午後に行なわれた試合でも、ミラマー校は27-7で決勝戦に駒を進めていた。敗れた南島代表カンタベリーライオンズ校は現Rリーグ静岡マウンテンズのロック中尾仁を輩出した強豪であり、そんな名門相手に20点差をつけて勝利を収めてしまったものだから、ニュースの話題はたちまちミラマー校一色に染まっていた。
「一番厄介なのはぁ、あのフルバックだねぇ」
ニカウが重々しく口を開くと、俺たちも無言で頷き返す。
かつては全国出場も夢でしかなかったミラマー校がここ2、3年の間に大躍進を遂げているのは、あるひとりの選手の存在が大きい。
その名もリカルド・カルバハル。俺たちと同い年の南米アルゼンチンから来た留学生で、ポジジョンはゴール前を守るフルバックである。
身長は180cmとラガーマンとしては平凡な体格だが、彼の一番の武器は力強く正確無比なキックだ。プレースキックなら40メートルの距離でも余裕でゴールポストをくぐらせ、接戦ではドロップゴールさえも決めてしまうコントロールは今大会でもずば抜けている。
そして自陣深くに追いやられても、ひとたびボールを持てば滞空時間の長いキックをお返しして、その間に他の味方を敵陣深くにまで進めてしまう。彼にボールを渡してしまったら、どんな有利な状況であってもリセットされてしまうと思ってよい。
そんなリカルドの活躍により、ミラマー校は確実に得点を稼ぎながら堅牢な守備を見せ、地区大会を全勝で突破してしまった。ニュージーランド国内だけでなく海外クラブからも視察が訪れているそうで、今大会ナンバーワンの注目を集める選手であることは確実だろう。
「何としても、リカルド対策が必要だな」
俺たちはタブレット端末で何度もリカルドのプレーを映した動画を再生する。学校代表のカテゴリーにもなるとメディアからの注目も年代別とは大違いなので、情報収集が容易なのは嬉しい。
ラテン系らしく黒髪に浅黒い肌のリカルドの、華麗にして完璧なキック。これをどう攻略するか。
「ふふっ、話は聞かせてもらったぞ」
頭をひねる俺たちの後ろから、キザッたらしい声が上がる。そこに立っていたのはカナダから応援に来ているジェイソン・リーだった。隣には今晩はこのホテルに宿泊するアレクサンドル・ガブニアも連れている。
「キックなら俺の専売特許だ。コーチと話しつけて、ニュージーランドにいる間は俺も練習見てやることになったんだ」
「本当に!?」
「ああ、プロ仕込みのキック、舐めんなよ」
ぐっと親指で自分を指差すジェイソン。そういや試合でキック決めた後も、よくこのポーズ取ってるな。
「ありがとうございます、持つべきものは良い先輩です!」
「こんな時だけ後輩ヅラすんな! で、太一ならよく知っていると思うが、キックの弱点はボールを離してから足で蹴るまで時間がかかることだ」
俺は首を縦に振って返す。ラグビーのキックは手に持ったボールを足元に落とし、蹴りにくい楕円球を蹴り上げなくてはならない。一瞬たりとて油断の許されない試合中では、このわずかな時間でさえも大きな隙となる。
「それにここ一番の場面でキックで狙いを定めるってのは、なかなかにプレッシャー感じるもんだ。小心者には絶対できねえ」
「ジェイソンは大雑把だからね」
横からアレクサンドルが付け加える。
「うるさい、せめて大胆って言え! とまあぶっちゃけて言えばキッカーにとって近くに敵がいると、ものすごくプレーしづらいわけよ」
「てことはチャージを狙うのが一番いいかな」
和久田君がぼそっと言うと、ジェイソンはすぐさま「まさにその通り」とクイズ番組の司会のようにキャプテンを指差す。
「キッカーにとって最も嫌われるプレーはチャージだ、厄介なキッカーがいるならとにかくチャージで妨害しろ」
チャージとは相手がボールを蹴り上げた直後、身体を投げ出して弾き返すプレーのことだ。これで身体にボールがぶつかっても、ノックオンとはみなされない。
顔面にぶつかることもあるのでめちゃくちゃ痛いが、成功すればそのまま敵陣側に転がったボールを拾い上げてトライにつなげることもできる。
「それなら俺が常に最前列でリカルドをマークして、奴がボールを持ったらまっすぐ突っ込んでやるか」
キムが格闘家顔負けの筋肉に覆われた腕を、軽くパシンと手で鳴らす。身体が大きく足が速いフランカーのキムは、チャージに最適なプレイヤーだろう。
だがマンマークのためにキムを使えば、うちの戦力も大きく削がれてしまう。彼ほどのタックラーが自由に動き回れないのでは、チームのボール保持率も大幅に下がってしまうだろう。
「キックはいつどこから飛んでくるからわからんが、大概はチームが追い込まれている時ほどキックに頼るもんだ。自分たちがうまくプレーできていると思う時ほど、相手のキックに注意していけ。キムだけじゃない、太一もニカウも、全員だ」
ジェイソンは俺たちをぐるりと見まわしながら強く話した。
彼がここまで俺たちに肩入れしてくれるのは単に同じ学校の後輩だからという範疇を超えていた。それは同じキックのスペシャリストとして、リカルド・カルバハルという選手の卓越した才能を読み取り、また同時に自らも闘争心を揺さぶられているからかもしれない。




