第二十三章その7 ミラクル
モールを押し込んで奪ったトライ。直後のコンバージョンキックもキッカーのジェイソン・リーが見事に蹴り入れ、俺たちは7-7の同点に追いつくことができたのだった。
やがて相手のキックで試合が再開される。落ちてきたボールをキャッチしたロックのサイモン・ローゼンベルトは、すぐにその大きな身体を屈めてまっすぐ前に突き進んだ。その後ろに俺やニカウといったフォワードが続く。
10分間の数的有利が解消されるまであと少し。それまでには何があってもリードしておきたい。人数で上回る今の状況を最大限活かすには、フォワードを使ったゴリ押しが最適だ。俺たちは消耗も恐れず、トゥールーズ陣に正面突破をしかける。
だが自分たちの弱点を突いてくる敵に対してどう対処するか、強いチームほどその点に抜かりはない。
真っ向勝負で挑むサイモンに対し、飛び出してきた相手バックスふたりがダブルタックルで迎え撃つ。間髪入れずふたりがかりで相手にタックルし、確実に相手を倒すプレーだ。体格で劣りながらスピードとチームワークに優れる日本代表を、世界で戦えるチームに導いた戦い方でもある。
「うっ!」
タックルの二連撃を受け、さすがのサイモンも動きを封じられる。だが同時に彼は手にしていた楕円球を後ろに放り投げ、すぐ後ろにいたニカウまでパスをつないでいた。
ボールを受け取ったニカウはすぐさま走り出す。その姿はまるで転がる巨岩、俺はその少し斜め後ろに続き、もつれて倒れるサイモンと相手バックスふたりの脇を通り過ぎた。
ダブルタックルは相手の足を止めるには有効であるが、ボールをつなげられた後に人数面での不利が発生するのが大きなデメリットだ。相手もそのことはわかっているのだろう、倒れたバックスはすぐに起き上がり、急いでボールを追う。
そして敵陣22メートルラインに差し掛かったところで、守備ラインを形成していた相手ロックとナンバーエイトのふたりがニカウにとびかかる。トゥールーズチーム一番の高身長とフォワードのリーダー格の強烈な体当たりを連続で浴びせられ、ニカウはぐらりとその巨体をぐらりと傾かせた。
しかしこの程度の守備なら想定の範囲内。ニカウはまだ身体の自由が利く内に「任せた!」と俺にパスを回した。力無く放たれる楕円球、転がるように倒れるニカウと、絡み合っていっしょに倒れ込む相手フォワード二人組。通常なら俺がここでボールをキャッチしてから、サイモンやニカウと同じように身体をぶつけて強引に前に進み、次の仲間にパスをつなげていくのが俺たちの作戦だった。
だが俺は気付いていた。ニカウの手からボールが離れる直前、相手チームの守備ラインから巨漢のプロップふたりが俺に向かって走り出していたのだ。
ニカウがタックルを受ける前から、次は俺にパスが回されるだろうとすでに相手は読んでいた。だからこそオークランド屈指のデブふたりめがけて、腕力自慢のメンバーをぶつけにきたのだろう。
まずい、このままではボールを受け取った直後にタックルを喰らってしまう。さすがにプロップふたりがかりは俺でも耐えられないぞ!
すぐ近くにはクリストファーも並走しているが、向こうはその点も対策を取っているようで迫り寄るプロップコンビの背後にはまた別のフォワードが控えていた。このタックルを耐えてクリストファーにつないでも、この無限ダブルタックル地獄が続くだけだ。
「小森君!」
その時、和久田君が俺を呼ぶ声が聞こえた。見ると俺から見て斜め後ろの位置に、スクラムハーフの和久田君がだっと駆け上ってきていたのだ。
俺は腹をくくった。この膠着状態を断ち切るには、思い切ったことを成し遂げるしかない!
こちらに向かって山なりに投じられたラグビーボール。目の前にはもうプロップのふたりが走り込んできていた。
俺は手の平を上に向けて、腕をぶんと振り上げた。飛んできた楕円球が、俺の手に触れる。
「届けー!」
そして俺はボールを手で引っ掻けると、そのままつかむことなく横に弾いたのだった。まるでバレーボールのトスのように、俺の手でぐっと押された楕円球は軌道を変えてもう一度跳ね上がる。
観客席からどよめきが上がる。眼前のプロップ二人組も驚いて目を開き、俺にぶつからないよう走るコースを慌てて横に逸らした。今ボールを持っていない俺にタックルをしかけると、重い反則になるのだ。
一方の俺は慣れない無茶な体勢を取ったもんだから、誰からタックルを受けるまでもなくひとりでにずっこけてしまった。だが地面に倒れたままの状態で、弾いたボールの行方を見届ける。
パスは……通った!
和久田君が落下地点に駆けつけ、しっかりとキャッチしてくれたのだ。
「いよっしゃ!」
イレギュラーなパスの成功に俺はつい声を上げる。だが喜ぶのは早い、まだトライは決まっていないのだ。
俺のつないだボールを抱え、守備の薄い逆サイドめがけ斜め方向に走る和久田君。だがそんな彼の狙いをいち早く察知した相手選手数名が並走し、徐々に距離を詰めていく。その中には同じくスクラムハーフのティエリーも混じっていた。
そしていよいよ相手が腕を伸ばせば和久田君の身体に触れるほどにまで迫る、まさにその時だった。
「え!?」
敵、味方、観客、誰もが言葉を失った。和久田君は何を思ったのか、走りながらボールを頭の上に振り上げたのだ。
そして全力疾走の勢いを殺さぬまま跳びあがり、大きく開いた自分の両脚の間になんとボールを投げ込む!
股の下をくぐり抜ける格好となった楕円球は強く地面に叩き付けられ、高くバウンドしながら真後ろへと跳ね上がった。そのボールに素早く反応し、見事にキャッチしてみせたのは我らがウイングのエリオット・パルマーだった。
「股抜きパスだと!?」
誰かの驚嘆が聞こえた直後、堰を切ったように大歓声が会場を包み込む。
和久田君が一方のサイドに走り込んでいたおかげでトゥールーズの選手は多くがそちらに流されており、逆サイドの守備は無人も同然だった。エリオットは持ち前のスプリント能力をいつも以上に発揮し、疾風のごとく敵陣の芝の上を駆け抜けた。
相手選手たちも急遽方向転換して走り出すものの、オークランドの超特急には誰も追いつけない。瞬く間にエリオットはライン際ギリギリの位置でゴールラインへ飛び込み、逆転のトライを奪ったのだった。
「やったああああ!」
トライを決めたエリオット、そして神業の股抜きパスを見せた和久田君に観客席から大喝采が贈られる。まだ試合中だというのに、観客席の人々はスタンディングオベーションで彼らのプレーを称賛した。
「和久田君、なんてパス決めてくれんだよぉ!」
俺は和久田君にしがみついた。
「はは、な、なんか、疲れた」
だが当の和久田君はまるで気の抜けたように答えていた。股抜きパスがトライにつながった喜びよりも、イチかバチかのギャンブルが成功したという安心感の方が大きいようだ。
その後も試合は相手がボールを持てば流れるようなパスワーク、こちらがボールを持てばぶつかり合いのフォワード戦が展開されたものの、両軍これ以上の得点を挙げることができず、結果俺たちは逃げ切って12-7での勝利を手にしたのだった。
試合後、トゥールーズラグビー協会の所有するクラブハウスで開かれたアフターマッチファンクションは大層な盛り上がりだった。
「あのタックルはごめんね、怪我、痛くない?」
「平気だー、気にするなー」
心配そうに尋ねる相手に、頭に包帯を巻いたクリストファーは豪快に笑い飛ばす。
「和久田君、キミのパスセンスは凄い! フランスに来てもスクラムハーフで番張れるレベルだよ!」
「いやいや、ティエリーたちのパス回しにはまだ及ばないよ」
和久田君とティエリーは、いつの間にやらスクラムハーフ同士で打ち解けている。彼らの見事なプレーが無ければ、この試合もここまで盛り上がらなかっただろう。
「オークランドのスクラム強すぎだろ。どういう練習積んだんだ?」
「そりゃもう毎日毎日スクラムマシンだよ」
「ああ地獄だったな、あれは」
アレクサンドルとサイモンは屈強なフォワード軍団といっしょに練習の辛さについて愚痴を漏らしていた。
俺はというと今日の試合で心身ともに色々と無茶し過ぎたせいか、試合後に疲れがどっと押し寄せてきたのであまり他と話す気になれず、わざと壁際にもたれかかってフルーツを頬張っていた。
そんな俺のすぐ傍で言葉少なくドリンクを飲むのはキムとニカウだ。ふたりとも今日の肉弾戦は相当身を削られたのだろう、油断すれば立ったままでも眠ってしまいそうなほど表情は憔悴していた。
「あっという間だったな、ワールドツアー」
コップから口を離して、キムがぼそっと呟く。
「そうだねぇ、もう終わりなんだねぇ」
答えるニカウの声には寂しさがこもっていた。ラグビー漬けのこの半月、しんどくもあったがそれを上回るほど楽しかったと、この場にいる全員が思っていることだろう。
「もし俺たちがこのまま大人になっても同じメンバーでラグビー続けていけばさ、それこそ世界のてっぺん取れんじゃね?」
「どうだろねぇ、まだイングランドや南アフリカのチームとは戦ったこと無いんだしぃ」
「お前、変なところで現実的だよな。もっと夢見ろよ」
あくまでも冷静なニカウに、キムは口をとがらせる。
「たしかにそうだと思うよ」
思わず俺は口を開いた。ずっとフルーツを食っていてあまり話さないでいたせいか、キムとニカウのふたりともがじっとこちらに目を向ける。
「ここにいるメンバーのほとんどは将来、プロのラグビー選手になると思う。ナショナルチームに選ばれる子だっているはずだよ。俺、思うんだ。こんな凄いメンバーといっしょにラグビーができることって、この上ない奇跡なんじゃないかって」
なんとなく思ったことをつい口にしてしまったが……なんか言い終わった途端に恥ずかしくなってきた。俺はまた皿のフルーツに手を伸ばし、口に放り込んだ。
だが聞いていたふたりには何か揺れ動かされるものがあったようで、感慨深げな微笑みを浮かべて頷き返してくるのだった。
「そうだねぇ、こういうの一期一会って言うんだっけぇ? これからもラグビー続けていけばぁ、いつか敵になったりまた味方になったりするのに、今は仲良くいっしょにプレーしてるんだもんねぇ」
ニカウはここでないどこかを見上げていた。彼の言うことは何も同じチームのメンバーだけではない、このワールドツアーで戦った各国の選手ともまたいつか対戦できるかもしれないのだ。
「だな、俺も韓国飛び出した時は、まさかミョンホと戦うことになるたぁ思わなかったよ。そういう奇跡が起きるのも、このオークランド選抜のおかげだな」
キムも腕を組んで深く息を吐く。決してラグビーの盛んでない母国で努力を積み、留学後もまた一層努力した末に勝ち取った奇跡。その重みを彼は誰よりも実感しているだろう。
なんだか良いムードになっちゃったな、てっきり「らしくねー」とか弄られるかとも思ったのに……まあ結果オーライってとこかな。
ほっと安心してごくんとフルーツを呑み込んだ、まさにその時だった。
「あいでででで、お前ちったぁキッカーのこと敬え!」
突如聞こえる悲痛な叫び。声のする方に顔を向けると、ジェイソン・リーが本日2回目のコブラツイストをまたしてもクリストファーから喰らっていたのが目に飛び込んだのだった。
本当に懲りないヤツだなぁ。せっかくのしみじみとした雰囲気もぶち壊しだよ。




