第二十三章その6 何度でも何度でも
「クラウチ、バインド……セット!」
レフェリーの掛け声と同時に、俺たちオークランドの8人とトゥールーズの8人とがスクラムでぶつかり合う。
俺たちが全体重と全身の筋肉を使って押し込むのに対し、相手はすさまじいパワーで跳ね返す。だがその最中、相手右プロップの足が一歩、後ろに後退するのが見えた。よし、純粋な力比べならこちら側が有利だ。
やがて密集の下を通された楕円球がナンバーエイトの足元まで到達し、スクラム後方に回った和久田君が素早くボールを拾い上げる。そして目にも止まらぬ手さばきで、低い弾道のパスを仲間のスタンドオフに送ったのだった。
だが同じポジションゆえそれを見越していたのだろう。和久田君の手からボールが離れたその瞬間には、相手スクラムハーフのティエリーはすでにスタンドオフめがけて走り出していたのだ。
楕円球が手渡された時にはもう、スタンドオフの目の前にティエリーが迫っていた。慌てたスタンドオフは一番近くのセンターにパスを送る。
しかし相手はそれすらも計算の上だった。なんとボールをキャッチしたばかりのセンターに、走り込んできた相手フランカーが強烈なタックルを食らわせたのだ。
「ぐあ!」
展開の速さに追いつけず、センターはボールを抱え込んだままうつ伏せに倒される。相手フランカーは倒したばかりの相手に手を伸ばし、抱え込まれたままのボールを引っ張り出そうとする。
いけない、このままではノットリリースザボールの反則を取られてしまう。オークランドの誰もが思った、まさにその時だった。
ジャッカル成立寸前、猛獣のような勢いでとびかかるひとつの影がトゥールーズのフランカーをふきとばした。クリストファーだ、スクラム最後列から飛び出したナンバーエイトのクリストファーが筋肉に覆われた体をぶつけてきたのだ。
「フォワードー、全員覚悟しとけー!」
仲間の死守したボールを手渡され、クリストファーが叫ぶように言い放つ。その意味を瞬時に理解した俺たちフォワード陣は、彼の後に続いた。
クリストファーは小脇にボールを抱える。そして真正面の守備ラインめがけて、アクセル全開の全速力で突っ込んでいったのだった。
180cm超の身を低く屈め、相手選手に体当たりをぶちかます我らがキャプテン。筋肉と筋肉のぶつかる鈍い音。クリストファーはタックルを入れてきた相手をひとり弾き返し、後からつかみかかってきた選手をずるずると引きずりながらも前に進み続けた。
そしてふたりめの選手がつかみかかってきたところでようやく足が止まる。これ以上の前進が不可能と判じたのか、クリストファーはここで初めて後ろまで駆けつけていたフランカーのキムにパスを回した。
相手の得意なパス回しを封じるためにも、フォワード勝負に持ち込むのがクリストファーの作戦だった。俺やニカウ、キム、サイモンといった大柄な選手が中心になって、順繰りにボールを持ってはその自慢の身体をバシバシぶつけ、突破が敵わなければ次に託す。
何度も何度も、身体をぶつけては前進と後退を繰り返す身を削っての戦い。しんどいことこの上ない戦い方だが、相手にボールを渡さず攻め込むにはこの方法が確実だった。
そして何度フェーズを重ねただろう、思い出すのもできなくなるほど全身がボロボロになった頃のこと。ボールを持ったクリストファーが突っこんだ時、タックルを仕掛けた相手センターの腕が、彼の太い首に引っかかったのだ。
「クリストファー!」
俺たちが叫ぶも遅かった。クリストファーの巨大な身体はなすすべなく芝の上に叩き付けられてしまったのだった。
「ハイタックル!」
すぐさまレフェリーが試合を止めた。危険な反則に敵味方問わずコートの上の全員が集まる。
「大丈夫か、おい?」
「大丈夫だー問題ないー」
あんな派手な倒れ方をしたにもかかわらず、クリストファーは仲間の呼びかけにいつものように答えながらむっくと起き上がる。
ほっと安心するオークランドの仲間たち。だが起き上がった彼の顔を見るや否や、俺たちはぎょっと白目を剥いた。
「どこが大丈夫だよ!? 頭から血ぃ出てんぞ!?」
そう、クリストファーの額からは、鮮やかな赤い血の筋がつーっと一本垂れていたのだ。
「おー本当だー」
自分の額に指をあて、血が付いているのを見てぎょっと驚くクリストファー。怪我した本人が一番気付かないのは、こういうフルコンタクトスポーツでは珍しくない。
「一時交替を認めます、医務室へ急いで」
レフェリーの指示に従って、クリストファーはのっそのっそとベンチに戻る。ラグビーでは流血や脳震盪などがあった場合、一時的に別の選手に交替してプレーすることが認められているのだ。
「ジェイソンー、しばらくキャプテンは任せたー」
去り際に言い残すクリストファーに、押し付けられた当のジェイソン・リーは「あ、ああ」と血の気の引いた顔で答える。流血沙汰は苦手なのだろうか。
そして代わりの選手がコートに入ったところで、レフェリーはぶつかってきた相手選手にイエローカードを提示し、シンビンを言い渡したのだった。これで反則を犯した選手はここから10分間は試合に参加できず、トゥールーズは14人で戦わなくてはならない。
クリストファーが身を挺してもぎ取ってくれた数的有利だ。このチャンスを活かしてひとつでも多くのトライを得ることが、俺たちが勝つための絶対条件だった。
ペナルティキックはジェイソンが敵陣奥深くに蹴り込み、ゴールライン目前でのラインアウトを獲得する。
そして両軍がラインアウトの準備を整えたところで、フッカーのアレクサンドルが「5、1、2!」とサインを唱えてボールを投げ入れた。
すかさず俺はアレクサンドルの指示通りの場所に移動し、そこでいっしょにいたサイモンの身体を高く持ち上げる。危なげなくボールをキャッチしたサイモンがそのまま地面に降り立つと、オークランドのフォワードたちはすかさず彼の背中に回って密集を形成し、同時に相手チームも密集で対抗する。
こういう時こそモールが一番効果的だ。トライのためには手段を選んではいられないと、フォワードだけでなくバックスやハーフも加わり、フルバックとウイング以外の12人という大人数で形成されたモールはひとり足りないトゥールーズ選抜をぐいぐいと押し返していった。
やがて敵味方合わせて20人以上で固まった密集はゴールラインを越えた。最後にはボールを持っていた選手が崩れ込むように地面にグランディングし、力づくでのトライを決めたのだった。
「よっしゃあ!」
これで勝負は振出しに戻った。次のコンバージョンキックも決めれば同点だと、無茶なプレーで疲労しているにもかかわらずオークランドの選手たちは活気にあふれていた。
「すまんー、戻ったぞー」
そしてそこに怪我の処置を終えたクリストファーが手を振りながら戻ってくる。なんともう治ったのだろうか?
「クリストファー、無事!?」
俺は得点を喜ぶのもそこそこに、クリストファーにに声をかける。彼のヘッドギアの下には、白い包帯が巻かれているのが見えた。
「ああ、石頭だからなー」
そう言ってクリストファーは自分の頭をこんこんと叩く。どうやら表面の皮膚が切れただけだそうで、プレーにはまったく支障も無いらしい。
「おう、どーせ中身全部スポンジみたいなもんだから大丈夫だ」
一時的ながらキャプテンの役目を終えて安心したのか、ジェイソンはけらけらと笑いながら軽口を叩く。聞いてクリストファーは無言のままジェイソンの背中に回り込み、そして彼の足と自分の足とを絡めながら、コブラツイストを決めたのだった。
「いでででで、試合中の固め技は一発レッドカードだぞ! てかこれからキック蹴る俺を怪我させるつもりかよ!?」
情けないジェイソンの姿にチームからもどっと笑いが起こる。絶望的な立ち上がりから始まったこの試合、一気になんとかなりそうな気がしてきたぞ。




