第二十三書その2 あの約束のために
「もっと早く回せ!」
「リフトはもっと高く!」
ホテルで一泊し、フランスで迎えた最初の朝。氷点下に近い凍てつくような寒さの中、俺たちは白い息を吐きながらも芝の上を走り回っていた。
トゥールーズに到着して早々に対戦チームのハイレベルなプレーを目の当たりにして、オークランド選抜チームはいきなり閉口させられてしまった。
だがそのショックの反動か、すぐにスイッチを切り替えた俺たちは普段以上に闘争心が燃え上がっていた。誰に言われずとも全員が朝早くから起床し、ホテルの周りをランニングして身体を温め、予定通り朝食後の練習に臨む。その間、どのメンバーも顔に「打倒トゥールーズ」の文字がくっきりと浮かび上がっていた。
しかし相手は変幻自在のパス回しを武器とするチーム。対策を立てようにも有効な方法が思い浮かばず、結局いつも通りのランパスや連携の確認を繰り返すしかなかった。
バックスもバックスでタックルを受けた際のパスを想定した練習をしているが、今ひとつしっくりこないようだ。そもそも常識にとらわれないという初見殺しのようなプレーが得意な相手、これをすれば完璧という対抗策そのものが存在しない。
しかも明後日にはジョージア選抜との試合も控えている。トゥールーズ選抜はもちろんのこと、そちらに関しても十分に対策を講じておく必要があった。
「アレクサンドル、ジョージアってどんなチームだ?」
休憩時間、芝に座り込んでドリンクを飲むフォワード陣の真ん中で、俺はアレクサンドルに尋ねた。
「ジョージアは国全体からU-15選手をそろえてくるみたいだよ。僕が言うと贔屓が混じるかもだけど、フォワードの強さは半端ないよ」
ぷはっとボトルから口を離すアレクサンドルに、俺たちは「だろうなぁ」と頷いた。アレクサンドルの筋骨隆々の肉体を間近で見ていると、ジョージアチームがどれほど強靱かは容易に想像がつく。
東ヨーロッパ諸国の例に漏れず、ジョージアのスポーツマンは大柄で大成する人物が多い。ナショナルチームであるジョージア代表こと通称レロスも、重量級選手をそろえたスクラムの強さは世界トップクラスと評価されている。
おそらくフランスとは真逆のプレースタイルを展開してくるだろう。俺たちフォワードはこれまで無かったほどの、真正面からの力比べを覚悟しなくてはならない。
その夜、ホテルに戻った俺はロビーのソファに座り、スマホでメッセージを打っていた。
「これでよし、と」
「誰に送ってんだ?」
後ろから覗き込んで声をかけてきたのは、ウイングのエリオット・パルマーだった。
「ホームステイ先の家族だよ。フランスの街並み、撮って送ってくれって頼まれてたから」
「へえ、律儀だねぇ」
エリオットがどさっと隣のソファに腰を下ろす。ここはカウンターで飲み物も注文できるが、割高なので俺たち金のないラグビー少年は何も注文せずに談笑していた。迷惑な客なのにスルーしてくれるホテルスタッフの皆さん、ありがとうございます。
「そういや太一はラグビーするためにニュージーランドまで留学しに来たんだよな。寂しくなかったのか?」
「そりゃ寂しいよ、家族とも友達とも長いこと会えなくなるんだから」
日本のみんなの顔がふと思い浮かぶ。金沢スクールでいっしょにラグビーをしていた彼らは今、どうなっているのだろう。
「でも日本で一番ラグビーうまい友達と約束したんだ、いつかフォワードで世界を取るって。そんでプロになって世界で活躍するためにはって考えたら、ニュージーランドに留学するのが一番良いルートだなって思ってさ」
「ふうん、その友達のポジションは?」
「元はウイングだったんだけど、キックが上手いからフルバックやってるよ」
「そうか、ウイングもやってたのか。太一が言うくらいだから、きっとその友達は優れたプレーヤーなんだろうな」
同じポジションで親近感が湧いたのか、エリオットがしみじみと言う。しかし彼の瞳はどことなく空虚な色彩を放っていた。
「俺、時々思うんだ。バックスってトライ取ってカッコイイて言われるけどさ、結局フォワードがまずボールを奪ってくれないとボール持つこともできないんだって。特に俺みたいに身体小さい奴は当たりも弱いから自分だけじゃ何もできない、言っちまえばおこぼれをあずかるだけのポジションじゃないかって」
「何くだらないこと気にしてんだよ。試合に勝てるのはエリオットが点取ってくれるからだよ」
だらだらと話すエリオットに、俺は強めに叱責する。そんなネガティブになってたら、勝てる試合も勝てないぞ。
「俺たちはエリオットがいるから安心してボールを取ってこれるんだ。もっと自信持てよ」
「ああ、すまんな」
そう言ってエリオットは立ち上がると、エレベーターに向かっていった。
しかし表面上は取り繕っているものの、内心では俺はひどく驚いていた。オークランド地区ナンバーワンウイングとも名高いエリオットほどの選手が、そんなことを思っていたなんて。
普段の冷静な彼の言動に隠された、コンプレックスの一端を垣間見た気がする。
そしてとうとう、ジョージアとの試合の日になった。
なんと会場は地元プロクラブが所有する球技場、スタッド・アーネスト・ワロンだ。プロも使う19500人の観客席を備えたスタジアムで、俺たちニュージーランドの選抜メンバーを見に来てくれたのか、地元の住民や業界関係者と思われる方々の姿もちらほら見える。
そんな緊張感漂うコートの上では、ジョージアの選手たちが試合前のウォームアップに励んでいた。
「大きいね……」
楕円球をパスし合う彼らの姿を見て、和久田君がぼそっと呟く。
韓国の選手が細い身体に筋肉をまとった四肢を備えた均整の取れた細マッチョだとしたら、ジョージアの選手は重量級レスラーのような体型のメンバーがずらりとそろっていた。もちろん横もだが縦にも大きいのがほとんどだ。
「あれが全速力でぶつかってくるとか……」
バックスの選手が口元を押さえる。体重も何十kgと差のある相手だ、できれば接触は避けたいと思うのは当然だろう。
まあ、そんなこと言ってられないのがフォワードというポジションなんですけどね。こっちはどんな相手でもぶつかっていってなんぼの商売なんで。
「みんなー、準備はいいかー?」
声を上げるクリストファーの周りに、オークランドの選手たちは集まった。ウォームアップももうおしまいだ。
「今日の相手は思ったより手ごわそうだ、張り切っていくぞ!」
「おう!」
円陣を組んで気合いを入れるメンバーたち。やがて試合開始に備え、それぞれのポジションへと移動する。
「さあ、いよいよか」
俺は屈伸をして最後の準備を整える。だがその時、横からサイモンが「おい、あれ見ろ」と俺の横っ腹をつついて観客席を指差した。彼の指差す先には、見覚えのあるジャージの少年たち……。
「あれは……この前のトゥールーズ選抜か!?」
俺の声にフォワード全員が「え!?」と顔を向ける。なんと観客席に並んでいたのは、トゥールーズに入ってすぐに神業プレーを見せつけられたトゥールーズ選抜チームのメンバーだった。
次の試合に備えて、俺たちの実力を見極めに来たのだろう。キックオフはまだなのに、すでに全員がぐいっと身を前に乗り出して瞬きひとつ惜しむように俺たちを注視している。
「あそこまで凝視されると……ちょっと怖いね」
アレクサンドルがにへっと苦笑いを浮かべる。だが彼以外のフォワード陣は全員、「やんのかコラ?」とでも言いたげに観客席の少年たちを睨み返していたのだった。
「へん、びっくらこかしてやる」
「だな、俄然燃えてきたぜ」
そしてただでさえやる気モードの入っていたオークランドの選手たちのテンションは、さらに高まってしまったのだった。
さあ、キックオフだ!




