第二十二章その5 さらば香港
キムがタックルでチャンスを作ってくれたおかげで、オークランドボールのスクラムで試合が再開される。
フォワード同士でスクラムを組み、俺の横からスクラムハーフ和久田君がボールを投入。そして転がってきた楕円球を、フッカーのアレクサンドル・ガブニアは前屈みの体勢のまましっかりと足で受け止めた。
「今だ!」
そしてアレクサンドルがボールを後ろに蹴り送ったところで、俺たち全員が呼吸を合わせてぐっと前に力を込める。
オークランドの8人全員がずしんと一歩、前に進み出る。それに合わせて韓国代表のフォワードが芝をめくりながら後退し、やがて選手のひとりが耐えきれず膝をついてしまった。これはスクラムを故意に崩したとして、反則を取られるプレーだ。
「コラプシング!」
レフェリーの声を聞いて俺たちは「いよっしゃあああ!」と歓声をあげてスクラムを解いた。やはりフォワードにとってスクラムで押し勝った時ほど嬉しいものは無い。
この反則によりオークランドはペナルティキックの権利を得る。ここからならペナルティゴールで3点をゲットするのも不可能ではないが、狙うはやはりトライの5点だ。
すぐにオークランドのゴール前からスタンドオフのジェイソン・リーが駆けつけ、楕円球を敵陣奥深くへと蹴り込む。ボールは見事、縦方向に回転しながらゴールライン前でタッチラインを越えた。
さあ、勝負所のラインアウトだ。絶好の位置でのセットプレーに俺たちは点を取ろうと、韓国チームは点を取られまいと意気込みながらそれぞれのフォワードが列に並んだ。
相手ロックは今日試合に出ているメンバーでは一番の長身だ。だがオークランド不動のロックであるサイモン・ローゼンベルトは、その程度の身長差なぞ軽く覆すほど跳躍が優れているのは俺達が一番知っている。
「いくよ!」
アレクサンドルがタッチラインの外に立ち、ボールを頭の上に抱え上げて投げ入れる。銃弾のように長径を軸に回転するボール。それをめがけてサイモンはばっと身を屈めてジャンプした。
サイモンの187㎝の身体は、いつも以上に高く跳び上がる。俺とニカウはそれを前後から支え、より高い位置で長時間プレーできるように持ち上げた。その甲斐あってかサイモンは相手ロックより頭ひとつ高くまで背を伸ばし、飛来するボールをあっさりとキャッチしてしまったのだった。
そしてサイモンはボールを抱え込み、素早く地面に降り立った。すかさず韓国の選手たちがわっと群がってボールを奪わんと手を伸ばすが、そこは俺とニカウが身体を張って食い止める。
さあここから先は押し込むだけだ。すぐさま他のフォワードも駆けつけて一塊のモールを形成し、俺たちは「前だ、前だ!」と咆哮しながら密集を前進させる。オークランドのフォワード陣の強さと気迫に韓国チームは防戦一方で、俺たちは今だとばかりに一丸となって自分よりも大きな相手を押し込んでいった。
そしてとうとう俺たちの形成するモールはゴールラインを越えると、最後尾でボールをキープしていた和久田君は足元にボールを叩きつけたのだった。
フォワード全員で奪い取った、先制のトライだった。
「よっしゃあ!」
モールを作っていた選手たちは密集からすぐに円陣を組み、全員で肩を組んで跳びはねる。押し合いでへっとへとのはずなのに、得点を奪ったこの瞬間は疲労のことなどまるで忘れてしまう。
その後もオークランドは激しい身体のぶつけ合いを制し、この試合を20-6で乗り切ることができたのだった。
韓国代表との試合を終えた後は、お待ちかねのアフターマッチファンクションだ。場所は近くの中華料理店で、机の上にずらりと並べられた点心を食べながらの懇親会となかなかに贅沢な気分に浸れる趣向だ。
あんなにタックルの応酬を繰り広げたばかりだというのに、会場では敵も味方も和気藹々としていた。韓国の選手たちも学校で習った英語でオークランドの選手たちとコミュニケーションを図り、互いのプレーを讃え合う。
そんな中「小森君と和久田君、ですか?」と日本語で話しかけてきたのは、韓国代表ナンバーエイトのパク・ミョンホだった。
「君のタックルには驚いたよ。俺みたいなデブを一発で倒すなんてニュージーランドでも滅多にいないよ」
「タックルは、練習しました」
まだミョンホの日本語はたどたどしいが、会話はちゃんと通じるようだ。きっと必死に勉強して、この日を迎えたのだろう。
「キムから聞いたよ、日本に留学するんだって。おめでとう!」
「ありがとう、ございます」
そう言ってミョンホは俺にぺこりと頭を下げる。見た目厳ついのに話し方が丁寧だから、なんだか調子狂うな。
「どこの学校に留学するの?」
隣の和久田君が何気なく尋ねた。彼ほどの選手なら日本でもきっと活躍できるはず、一体どこの学校に通うのかは俺も興味があった。
「九州光輪高校です」
「え?」
途端、俺たちは言葉を失った。
そこは福岡県を代表するラグビーの強豪。そして和久田君のお父さんがコーチを務めている学校だった。
しばらくの間、3人に沈黙が流れる。だが最初にそれを打ち破ったのは、満面の笑みの和久田君だった。
「そりゃ良かった。あそこは強くて、最高の学校だよ」
「油断するなよ、日本にも強い選手たくさんいるから。特に神奈川には」
和久田君に続いて俺もミョンホに伝えると、彼は「楽しみに、してます」とにこりと笑ったのだった。
「香港も今日で終わりか」
夕方、ホテルの部屋に戻った俺は窓の外の高層ビルを眺めながらぼそっと言い放った。
明日朝、俺たちは飛行機でフランスに向かう。今晩の内に荷物をまとめて朝イチで空港に向かうのだが、香港での1週間が楽し過ぎたのでここを発とうと思えなかったのだ。
料理は美味しいし見所も多いし、人も親切で英語も通じる。俺、すっかりここ気に入っちゃったな。
「この部屋ともお別れとなると寂しいね」
和久田君もふかふかのクッションに腰かけてふうと息を吐く。
ホテルでの生活も快適だった。近くのスーパーで買ったお菓子の袋やジュースのボトルを置いたままにしておいても、帰ってきた時にはきれいさっぱり無くなっている。外出している間にホテルのスタッフがいつも片付けてくれていたのだろう。バスルームだっていつの間にか掃除され、新しいタオルやアメニティが置かれているのだ。まるで贅沢三昧の王様にでもなった気分だよ。
だがそんな快適でリッチな生活も今日で最後だ。なんだかすごく……寂しい。
「俺、香港から出たくない」
「小森君、別れの時ってのはいつか必ず来るもんだよ」
そう言う和久田君の声も涙をこらえているようで、惜別の哀愁が感じられる。なんだか無性にじーんと湿っぽい空気が、この部屋の中にだけ漂っていた。
「いつかビッグになって、お金貯めてまた来ればいいよ。今度は豪遊してやろうってね」
「そうだな、次ここに来る時には、ふかひれスープを腹いっぱい食えるようになっていたい」
「そうだよ。ついでに僕は鶏の丸ごと焼いたあれにかぶりつきたい」
「だな、あとはエビ焼売とワンタン麺とツバメの巣と……」
俺は今回のワールドツアーで食いそびれた料理を思い描きながら、闇夜を煌々と照らすビル群をじっと見据える。今回の滞在はここまでだが、またいつかの楽しみにとっておけばいい。
あばよ香港、次に来た時には香港中の美味い物を食い尽くしてやるからな!




