第二十二章その3 流れを取り戻せたなら
香港にトライを奪われたオークランドのキックとともに、試合が再開される。
メンバーを大きく入れ替えたオークランドは相手ロックがキャッチしたところに全速力で突っ込み、相手が数回パスを回したところでボールの奪取に成功した。
そこから流れの中でボールを受け取った和久田君が、身体を屈めた低姿勢のダッシュで芝を駆る。だが香港の選手たちはそれぞれのフットワークを活かし、彼がこれ以上奥へと進むのを阻んでいた。
「小森君!」
そんな和久田君はすれ違いざまに、俺に向けてぽいっとパスを回す。俺は楕円球を抱え込むと、ゴールポストに向かってまっすぐ走り出した。
小回りの利く相手かと思ったら突然の巨漢への切り換えに、相手選手は素早く反応する。ボールを持ってとにかく前へと突き進む俺の目の前に、香港チームでも特に大柄な選手ふたりが駆けつけて行く手を塞いだのだ。相手はふたりがかりで俺を止めるつもりのようだ。
「あいよ!」
ここで俺はボールを落とし、パントキックをお見舞いした。
突如頭の上を越えていく楕円球を、香港の選手たちは唖然と見送る。まさか彼らもプロップがキックを使ってくるなんぞ、予想だにしていなかっただろう。
「よしキャッチ!」
その間にも素早く回り込んでいたキムが、跳ねるボールを拾い上げて猛然と走り抜ける。フランカーである彼は一撃で敵を仕留める弾丸のようなタックルが最大の武器だが、同時にフォワードきっての俊足自慢でもある。最高速度ならバックス陣にも劣らない。
加速したキムは香港の選手たちを置き去りにして、みるみる内にゴールラインへと迫る。そしてゴール前で待ち構えていた相手フルバックもだっと前に走り出し、タックルを仕掛けてキムを迎え撃つ。
だが自分より巨大な相手でも弾き飛ばせるほどに身体が強いのがキム・シノという選手だ、相手フルバックにとって全速力の彼を止めるのはハードルが高すぎた。
キムは鋼のような筋肉に覆われた腕を振って相手のタックルを振り切ると、そのままゴールラインまで走り込み、地面にボールを置いてトライを決めたのだった。
「よくやったぞ、キム!」
後半に入って初の得点に、オークランドのベンチがどっと沸き立つ。そんな彼らにキムは余裕のピースサインを送っていた。
「大成功だな、キム!」
俺たちは戻ってきたキムを拍手で迎えた。
この一連の流れは俺がキックを練習し始めた時からずっと3人で考えていたものだ。和久田君がパスを俺に回し、敵をひきつけたところでキムが後方から走り出す。そして俺がキックで敵の裏へとボールを蹴り上げたところで、加速に乗って駆け込んだキムが素早く拾い上げてトライを決める。
もちろんオフサイドを取られないように走り出すタイミングには注意を払う必要があるものの、ここぞという場面で相手の意表を突いて確実に突破できるのがこの連携の強みだ。
そしてこのトライは、俺たちが勢いを取り戻すきっかけとなったのだった。
ここから試合時間の大半で俺たちがボールを保持し続け、オークランドは1フェーズごとに確実に陣地を進めていく。
特に俺がボールを持った場面では相手選手は過度に警戒してしまうようで、せっかくの動きの機敏さも鈍ってしまっていた。やはりキックもできるプロップというのはまったく別の攻め方を兼ね備えているという点で、相対する選手には大きな脅威になるようだ。足止めのためにタックルを入れるか、キックパスに備えて距離を開けるか、相手は常に選択を迫られるのだろう。
その後もボールをキープし続けた俺たちはフォワード戦に持ち込み、さらに2本のトライを押し込んで奪う。最終的に48-10の勝利で試合を終えることができたのだった。
その日の夜、勝利の余韻に浸っていた俺たちは夕食後も気分の高揚を抑えられず、多くのメンバーがホテルのロビーでぺちゃくちゃとおしゃべりに興じていた。
「明日は自由時間どこ行こう?」
俺が革張りのソファに腰かけて旅行ガイド『Lonely Planet Hong Kong』をぺらぺらとめくっていると、後ろから他のメンバーもじっと覗き込む。
次の韓国戦までは中3日ある。明日は朝に軽い練習を済ませた後、そこから翌日まで自由時間だ。試合後のご褒美というわけだが、ゆっくりと香港観光を満喫できる数少ないチャンスだ。
「香港名物エッグタルト食いたい」
掲載されている写真をじっと眺めながらエリオットがぼそっと呟く。聞いて隣でいっしょに覗き込んでいたキムが「お前、甘党だったんだな」と驚いた。
「せっかくアジアに帰ってきたんだし、俺は久しぶりに唐辛子たくさん使ったガツンと辛い料理が食べたいよ」
「あ、俺も俺も」
俺はキムに同意する。麻婆豆腐とかキムチ鍋とか、俺大好きだよ。
「小森君は何でも食べるでしょ」
「おう、辛いの食ってすぐエッグタルト食うわ」
和久田君と俺のやり取りに周りのメンバーもどっと笑い声をあげたその時、どこからかピコーンとアラームが鳴り響いた。どうやらキムのスマホが鳴ったようで、彼はすぐにポケットからスマホを取り出すと画面に触れた。
「お、あいつら今到着したのか!」
嬉しそうな声をあげるキムに、俺は「あいつら?」と尋ねる。
「ああ、U―15韓国選抜だよ。メンバーに俺と同じクラブのヤツがいて、香港に着いたらメッセージ送るって約束してたんだ」
「韓国代表って、どんなチームなのぉ?」
ラグビー情報収集に余念のないニカウが興味津々なようすで訊いた。
「そうだなぁ、まず今日の香港より、ずっと身体がでかい。180cm台がゴロゴロいるし、ロックは190あるらしい」
うちのサイモンより大きいのか、それはすごいな。きっと今日の相手とは違って、体格を活かしたフォワード中心の攻撃をしかけてくるだろう。
「お前みたいにタックル強い奴が多いとしんどいな」
「まあ当たりは強いだろうな、覚悟しとけよ」
そう言ってキムはけらけらと笑う。母国の選手と戦えるのは、やはり相当楽しみのようだ。




