第二十二章その2 アウェーの洗礼
香港に来て3日目。よく晴れた、12月なのに汗ばむくらいの陽気に包まれた昼過ぎ、ワールドツアー最初の試合が開かれる。
会場は将軍澳運動場、3500人分の観客席を常時備えたスタジアムだ。
「よろしく!」
「お互いに頑張ろう!」
コートの上で俺たちと握手を交わすのは、U-15香港選抜チームだ。選手の多くはアジア系だが、ヨーロッパ系の選手の姿もちらほらと見られた。
沖縄本島ほどの面積に800万人弱の住んでいる香港、彼らはそこの年代別最強メンバーと言える。あと10年もすればこの子たちがドラゴンズこと香港のナショナルチームを率いていくのだろうか。
試合が始まるなり、香港チームはフィールドを広く使い、素早いパス回しの速攻を仕掛ける。
さすが7人制の盛んなお国柄だけあって、バックスが俊敏でパスも正確だ。体格はそこまで大きくはないものの、それを補って余るだけのランニング能力を備えている。
だが俺たちなら止められないことは無い。フランカーのキムが鋭いタックルで相手選手を押し倒すと、すぐに駆けつけたナンバーエイトのクリストファー・モリスがボールを奪い取る。
「エリオット!」
そしてクリストファーからパスを受け取った俺は、素早くボールをウイングのエリオット・パルマーまで回した。
チームでもぶっちぎりのスプリント能力を備えるエリオットは、敏捷性に優れた香港の選手相手でもおかまいなしだった。一瞬で最高速まで到達した彼はライン際を独走し、追いかける選手との差をどんどんと広げてしまう。ゴールライン近くを守っていた選手たちもエリオットに捨て身のタックルを仕掛けるが、圧倒的なスピードと目の前で消えるようなステップに香港選手は指先をかすらせることもできない。
結局エリオットはそのまま走り抜け、試合開始5分という短時間で先制のトライを決めてしまったのだった。
「いいぞエリオット!」
海外遠征での記念すべき最初のトライを喜んだ俺たちは、トライゲッターの背中めがけて次々ととびつき、もみくちゃの一塊になる。
「お前ら重いぞ、離れろよ!」
エリオットはそう怒鳴るものの、顔からは誇らしげな笑みがこぼれていた。
その後も試合は俺たちペースのまま進み、やがて前半終了の笛が鳴る。ようやくのハーフタイムだ。
前半だけで3つのトライを奪い、スコアは既に27-3。もう勝利は堅い、あとはどれだけ点差を広げられるかだ。
しかしそう思い通りにいくほど、スポーツの世界は甘いものではない。
後半に入ってからというもの、俺はみんなの変化に気付いて「おや?」と度々首を傾げていた。あんなに正確だったパスや連携でミスが目立ち始め、相手のボールでスクラムやラインアウトが度々取られるようになる。
それだけではない。エリオットらバックス陣のスピードもがくんと落ち、動きのキレも前半とは別人かと思うほど鳴りを潜めていた。なんだかいつもより体力を削られているようだ。
しかし香港の選手については相応の疲労は窺えるものの常識レベルであり、そこまで異常に消耗しているようには見えなかった。まるでオークランドの選手だけが、脚に見えないおもりでも巻き付けてしまったかのようだった。
「みんな、どうしたんだよ!?」
またしても俺たちの反則で相手ボールからのスクラムというタイミングで、俺は堪らず強い語調で尋ねる。
「なんだろう、足が動かねえ」
訊かれたエリオットは足首をぶらぶらとほぐしながら答えた。
「暑いよぅ……すごく暑いよぅ」
スクラムを組むためへとへとになりながらも駆け寄るニカウは、まるでゆでダコのようになっていた。
「もう、べっとべとだよ」
フッカーのアレクサンドル・ガブニアも汗でびしょびしょになったシャツをパンパンと引っ張る。
「そういうことか!」
チームメイトの様子を見て、俺はみんなの調子が上がらない理由にとうとう気付く。12月にしてはやけに蒸し暑い今日の天気のせいで、オークランドの選手の運動量が落ちてしまっていたのだ。
ニュージーランドは暑い日もあれどそういった日はおおむね湿度が低く、日陰に入れば冷房も要らないほどだ。だが今日は気温も湿度も高く、とても心地よい天気とは言えない。ニュージーランドや欧米から来た選手は、この慣れない暑さに身体が順応し切れていなかった。
そんなチームでも俺、和久田君、キムのアジアントリオが軒並み平然としているのは、母国の夏の酷暑に身体が慣れているからだろう。日本はもちろんだが、キムの出身地であるソウルも夏はかなり過酷らしい。
なるほどアウェーが不利と言われる理由がよくわかる。ホームチームは観客の声援やスタジアムの芝に慣れ親しんでいるだけでなく、気候も大きく背中を押してくれているのだ。
その後も気温と湿度は上がり続け、オークランドのメンバーにはさらに疲労がたまっていく。後半に入ってから15分を過ぎても得点を伸ばせず、前半の勢いは完全に失われていた。
「あ!」
またしても、パスされたボールをオークランドの選手がつるりと前に落としてしまう。ノックオンの反則により、相手ボールのスクラムからの再開だ。
そして直後に行なわれたスクラムでは、うちのフォワード陣は最初より半分近くにまでパワーダウンしてしまったかと思うほど衰えていた。体格の劣る香港相手に、今にも力負けしてしまいそうだった。
そうこうしている間にも香港のスクラムは冷静にスクラムハーフまでボールを転がし、そこからバックスへとパスをつなげる。
スクラムを解いた俺たちは急いでボールを追うが、相手の正確で素早いパスワークにはついていけず、とうとうトライを奪われてしまったのだった。
「も、もうしんどい……」
まさかの強豪からのトライを挙げて香港チームがハイタッチで喜ぶのと同時に、ニカウとアレクサンドルががっくりと膝をつく。
元々スクラム最前列という体力の消耗が大きいポジションであることに加えて、不慣れなこの環境だ。ふたりとも苦しそうにぜえぜえと肩で息を吐いては吸い込んでを繰り返していた。
もう見ていられない。俺はキャプテンに駆け寄った。
「クリストファー、アレクサンドルとニカウを交替させてくれ! みんな暑さにやられている!」
クリストファーがぎろりと鋭い視線を向ける。笑っているのか怒っているのかわからないのはいつも通りだが、彼もすでに汗だくで表情からは余裕が感じられなかった。
「そうだなー、じゃあフロントロー全員を……」
「いや、俺はまだ走れる」
俺が手を突き出して制すると、珍しくクリストファーは驚いたように目を丸めた。
実際に菅平の夏合宿に比べれば、この程度の暑さは大したものではなかった。それに加えて遠征メンバーでも俺を含めたスクラム最前列の3人組は、それぞれが他の選手よりひとつ飛び抜けている。ここで全員が交替すると戦力ダウンの恐れもあった。
クリストファーもその点が気がかりだったようでこれまで選手交替については消極的であったが、しばらくするとまたいつもの仏頂面に戻って「本当に大丈夫なんだなー?」と尋ねてきたのだった。
「もちろん。あとボールを交替したばかりのフレッシュな選手か、俺か和久田君かキムに回してくれたら助かる」
頷く俺にクリストファーは「わかったー」と返し、片方の手の平に片手の握り拳を打ち付けた。
その後、アレクサンドルやニカウを始め消耗の激しい数人が一斉に入れ替わる。
「和久田君、キム!」
新たにコートに入ってきたメンバーがポジションについたところで、俺は近くにいたアジアの仲間に声をかけた。
「前にみんなで考えたあれ、やるぞ」
言い放つ俺に、ふたりはにたっと白い歯を見せて笑い返したのだった。




