第三章その1 祭の前
夏休みはあっと言う間に過ぎ去った。
この夏の間も宿題はそこそこに、俺はラグビーの練習に打ち込んでいた。合宿で長野の菅平に滞在した際には全国の強豪スクールと練習試合を行ったり、夜の枕投げで騒いでコーチに叱られるなどそれは楽しい時間を過ごした。
こうしてまた一回り身体を大きくした俺が小学校に戻ってきた2019年の9月、まだまだセミの鳴き声がうっとうしい暑い日が続いていた。
「おいみんな、ラグビーやろうぜ!」
昼休み、ハルキが家から持ってきたラグビーボールを高々と掲げる。どうやら今放送中のテレビドラマに影響されたらしい。
今月20日からいよいよラグビーワールドカップ日本大会が開催される。海外のスター選手が続々と来日し、テレビでは大会を盛り上げるために様々な特集が組まれ、なかなかに盛り上がりを見せていた。
だがこれはあくまで元からラグビーやスポーツに関心ある層の話、あくまで好きモノが集まって騒いでいるくらいの扱いだった。若い女性やおばちゃんなどの一般層は、今月に入ってようやく日本で大会があることを知ったくらいだ。
「お前、日本のメッシになるんじゃなかったのかよ」
変わり身の早さに俺はつっこんだ。夏休み前はラグビーでは前にボールを投げてはいけないというルールさえも知らなかったのに。
「サッカーもラグビーも両方やればいいだろ。どっちかひとつしかやってはいけませんって法律は無いぜ」
新しい発想だな、おい。
だが妙な胸騒ぎを覚えたのであろう先生が休み時間にも教室に戻ってきていることを、廊下に背を向けたハルキは気付いていなかった。
「こらハルキ! 学校にいらないもの持ってくるな!」
いつも通りの先生の怒号。一日一回は先生がハルキを怒鳴りつけるこの様子は、うちのクラスの風物詩になっていた。
「げ、先生! いらない物じゃないです、大切なラグビーボールなんです!」
「大切ならちゃんと家に置いてこい! これは先生が預かっておくからな」
「ああ待ってください、ラグビーボールは僕の友達なんです!」
友達を取り上げられたハルキに、教室にいた全員が呆れてため息を吐いた。本当に学習能力ゼロだな、こいつ。
「決勝トーナメント進出はアイルランドとスコットランドと予想します」
休日朝のワイドショーにて、コメンテーターがパネルを手に答える。
テレビでは連日ラグビーワールドカップが取り上げられている。ホームでの開催とあって、日本代表にかかる期待はおそらくこれまでの大会で最大だろう。
しかし日本のラグビーは強豪に比べて、まだまだ発展途上であることは否定できない。
「まあ、妥当なところだろうな」
ソファに座りながらテレビを見ていた父さんが頷いて呟いた。前回大会で奇跡的な快挙があったものの、奇跡がそう2回も3回も続くはずはない。
父さんもここ数年ですっかりラグビーに詳しくなってしまい、今では日本の社会人リーグであるトップリーグの結果も詳しくチェックしているくらいにはまっている。夫婦そろって息子のラグビーを応援している間に、ラグビー熱に冒されてしまったようだ。
特に父さんはすでに何度か俺といっしょに日本代表戦をスタジアムで観戦している。ワールドカップでも高額なチケットを既に買ってくれていて、日本戦だけでなく海外同士の好カードも観戦する予定だ。
「違うよ父さん、日本は勝てるよ」
俺はすかさず反論する。だが返ってきた父さんの声には「そうなるといいな」と期待はまるでこもっていなかった。
ラグビーは格下が格上になかなか勝てないという性質のおかげで、各国代表同士でも明確な力の差が生まれる。
そんなラグビーで世界のトップグループを形成する国々を『ティア1』と呼び、それ以外とは異次元の力を見せつけている。
具体的には南半球の強豪ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ。ラグビー発祥地のイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドに、海を隔てたフランス。そして新興勢力のイタリア、アルゼンチンの合計10か国だ。
ラグビーの世界ランキングはこれら『ティア1』に上位を占められている。これらの国は実力もさることながらラグビーが国民の生活に根付いており、その差を覆すことは容易ではない。
日本のグループリーグの相手はアイルランド、スコットランド、サモア、ロシア。決勝トーナメントに進めるのは5か国の内2か国のみ。
戦力で言えばアイルランドの1位抜けは確実。大会直前の世界ランキングで1位に輝いた優勝候補だ。
ゆえに日本はスコットランドと2位を争うことになるが、地力と経験で勝るスコットランドが日本をはねのけるというのが大方の予想だった。
それがあんなことになるなんて、この時は地球上の誰しもが予想していなかっただろう。




