第二十一章その5 出国の日に
「じゃあ行ってきます!」
でっかいキャリーバッグを手にした俺は、庭先でホストファミリーの皆さんに一礼する。
「太一、ちゃんと勝ってくるのよ!」
エールを送るアイリーンに、俺は「もちろん!」と親指を立てて返した。
今日はいよいよ出国の日だ。これからオークランド国際空港で、他のメンバーと合流する。
「あ、それからそれから」
出立の挨拶を済ませたところで、思い出したようにアイリーンがぱんと手を叩く。
「香港では料理の写真撮って送ってね。あとほら、すっごい夜景綺麗って聞いてるからそれも撮ってきて。で、フランスでは――」
「遊びに行くんじゃないんだから」
せっかく意気揚々と旅立つところだったのに。俺は呆れてため息を吐いた。
まあ実際、国際化が進んだ今の時代でも海外なんてそう簡単に行けるもんじゃないからな。特にニュージーランドや日本のような島国なら。俺もヨーロッパに行くのは初めてだし。
ちゃんと自由時間もあるみたいだし、リクエストは聞けるだけ聞いておこうか。
空港まではホストファーザーのオスカーさんに車で送ってもらった。そして車を降りた俺は、出国ロビーへと向かう。
「よう太一、待ってたぞ」
航空会社のカウンターがずらりと並ぶ巨大なロビーで、キャリーバッグに手をかけながら椅子に腰かけていたフルバックのジェイソン・リーが、俺の姿を見て手を上げる。周りにはすでに遠征メンバーの半数以上が集まっていた。
「なんだ、アイリーンはいっしょにいねえのか」
あからさまに嫌そうな顔をするジェイソンに、「残念だったね、デブひとりだよ」と俺は突き出た腹を叩いた。
今日、俺たちはシドニーを経由して香港に向かう。
香港で1週間ほど滞在しながら香港、韓国のチームと試合を行なう。そこからパリのシャルル・ド・ゴール空港へ直行便で飛び、入国後すぐにフランス南部のトゥールーズまで乗り換えるのだ。そこでジョージアとフランスのチームと戦うのが、このワールドツアーの流れだ。
「やあ小森君」
「みんな早いねぇ」
しばらくして和久田君とニカウもキャリーバッグを転がしながら現れた。ニカウははやる気持ちを抑えきれないのか、まだ搭乗まで時間はあるのにもうネックピローを首に巻き付けていた。
「香港なんて久しぶりだなぁ、楽しみだよ」
「あれ、和久田君行ったことあるの?」
「うん、小学校2年の時だったかな。父さんに連れられて、香港セブンス見に行ったんだ」
さすがラグビー指導者だけある。香港セブンスとは7人制ラグビーにおける、世界でも権威ある大会だ。
「俺、香港初めてだから和久田君、美味しい食べ物とか色々教えてよ」
「いいよ、自由時間はみんなで色々回ろうよ」
「お前ら浮かれてるんじゃねえぞ、俺たちはこれから試合に行くんだ。遠征だぞ遠征」
そこに苦言を呈したのはキムだった。彼は母国である韓国のチームと戦うことを誰よりも楽しみにしていた。この遠征に向けて毎日タックルの練習を繰り返し、ハードワークを積んできたのだ。
しかしそんなキムに対し、俺たちは「いや、そんなカッコしてるお前に言われてもなぁ」と言い返せざるを得なかった。
今の彼のコーディネートは、手首にデジカメのストラップを括りつけ、漆黒のサングラス、新品のスニーカーで完全武装している。そして頭には某世界一有名なネズミーキャラの耳を模したキャップが乗っかっていた。そういや香港にもあるんだよな、舞浜にもあるあの世界的テーマパークが。
「よし、全員揃ったなー」
時間になったところでクリストファー・モリスがパンパンと手を叩きながら椅子から立ち上がる。それぞれ話していたメンバー全員が静まり、一斉にキャプテンに顔を向けた。
「じゃあみんなー、ここに帰ってくるのは半月後だぞー。準備は万全かー? ちゃんと歯ぁ磨いたかー? トイレ行ったかー? 宿題やったかー?」
どこの全員集合だよと心の中でツッコミながらも、話し続けるクリストファーを俺はじっと見据えていた。
「ここにいるメンバーのほとんどが海外遠征なんて初めてだろう。正直、俺も不安だー。でも俺たちなら大丈夫、絶対に全勝して、ニュージーランドに帰ってくるぞー!」
腕を振り上げるクリストファーに、俺たちは「おう!」と声を合わせる。
さあ、ワールドツアーの始まりだ!
そして搭乗手続きのため航空会社のカウンターに向かう、まさにその時だった。
ポケットに入れていた俺のスマホが、突如ブブブと振動を始める。見るとアイリーンから電話がかかってきていた。
「もしもし、どうしたの?」
「太一! パスポート机の上に忘れてる!」
「え!?」
いや、リアルで心臓が止まったかと思ったよ。
その後すぐに持ってきてもらったので事なきを得たのだが……まさかの自分の失態によるずっこけスタートで、せっかく盛り上がったこの遠征の出鼻を挫いてしまったのだった。




