第二十一章その1 若きワラビーたち
学校代表チームが全国大会で優勝してから、早くも2か月が経った。
これまでの間、ハミッシュら優勝メンバーは凱旋パレードや新聞、テレビ出演にひっぱりだこで、一介の高校生が名を挙げていく様を俺はすぐ近くで見ることができた。当然新たなオールブラックス候補の誕生にオークランドは大いに盛り上がり、ラグビーシーズンはオフに突入しているにもかかわらず学校には頻繁にテレビ局の取材が訪れていた。
一方、U-15地区代表メンバーに選ばれた俺たちは夏の炎天下でもハードな練習を重ねていた。とはいえ気温も湿度もそこまで高くはないので、日本の蒸し風呂のような夏の暑さに比べればはるかに楽ちんだ。
つくづく日本の気候って過酷だなぁ。中東やアフリカからやってきた人が、口をそろえて「日本の夏は母国より暑い」と言うワケが分かる気がする。
そして無事1年生の課程を終え、進級前の長期休暇に突入した12月中旬のこと。
市内のラグビー場で俺たちが練習をしていると、黄色のシャツに緑のパンツを履いた少年たちがぞろぞろと練習場に入ってきたのだ。
「おー到着したなー」
U-15キャプテンのクリストファーが練習を中断させ、俺たちは一か所に集まって来客を出迎える。
「オークランドへようこそー。試合、お互いに全力を出そうなー」
代表としてクリストファーが前に出て握手を求めると、集団の中からひとりの少年が出てきて「こちらこそよろしく!」と差し出された手を握り返した。
そう、今日はいよいよU-15選抜チーム初の国際試合。ワールドツアーでニュージーランドを発つ前に、オーストラリアから強豪チームを招いての壮行試合が組まれているのだ。
オーストラリアから遠征に来たのはオーストラリア南東部ニューサウスウェールズ州のU-15選抜メンバーだ。ニューサウスウェールズの州都はシドニー、人口500万とオセアニア最大の人口を擁する大都市だ。日本人にとっては名所のオペラハウスと、高橋尚子がマラソンで金メダルを取った2000年の夏季五輪が有名だろう。
「エリオット!」
オーストラリアの選手のひとりが小さく手を上げる。
「やあスティーブン、久しぶり!」
陽気に返したのはセントラルチャーチ校ウイング、エリオット・パルマーだった。さすがは幼い頃から才能を発揮していたエリオット、国際試合経験も豊かで外国のチームにもすでに顔見知りがいるようだ。
オーストラリアが世界的なラグビー大国であることは、この場にいる者なら誰もが思い知らされている。
これまでのワールドカップでは優勝2回に準優勝3回。世界のトップを争うニュージーランド、南アフリカと並び称される超強豪で、それぞれが鎬を削り合うライバル関係にある。日本代表も2024年現在未だに1勝もできておらず、まだまだ真の強国にはなれていないことを毎試合痛感させられる相手だ。
ちなみに意外に思うかもしれないが、オーストラリアで一番の人気スポーツはラグビーではない。
2500万とニュージーランドの5倍近くの人口を誇るオーストラリアで一番人気のスポーツは、オーストラリアン・フットボール、通称オージールールズという競技だ。19世紀にオーストラリア国内で独自に生み出されたサッカーとラグビーを足したようなスポーツで、日本ではほとんど馴染みがないだろう。だがオーストラリアではプロリーグも整備され、年間300万人近くがスタジアムに詰めかけている。
他にもテニス、バスケットボール、クリケット、水泳、野球の人気も高く、最近の小中学生の間ではサッカーが一番人気らしい。
そしてラグビーはラグビーでも、世界的にはマイナーな13人制ラグビー(ラグビーリーグ)の方が、日本人もよく知る15人制ラグビー(ラグビーユニオン)よりも人気があるという珍しい国でもある。そのためオーストラリア国内の15人制ラグビー関係者にとっては、13人制に流れてしまう競技人口を増やすことが最大の課題になっている。
スポーツ文化の根付いたオーストラリアは様々な競技において世界の強豪に君臨しており、選手の奪い合いが激しい。13人制に対してプロ化の遅れた15人制ラグビーが人気競技となるためには、とにかくナショナルチームであるワラビーズが他国に勝ち続けなければならない。そのため若い世代の育成に余念がないのだ。
今日ここに来た選手たちも、これからオークランド、ウェリントン、クライストチャーチとニュージーランド各地を転戦する。このニュージーランド遠征だけでも、強化のために労力を惜しまないのが見て取れるだろう。
「みんな強そうだったね……勝てるかな?」
挨拶を終えて荷物を置きにベンチに向かう相手選手たちの背中を眺めながら、和久田君が苦笑いを浮かべる。オーストラリアのチームには、うち以上に身長の高い選手が多かったのだ。
「安心しなって、勝ち負けは身体のでかさだけで決まるものじゃないよ」
俺は和久田君の背中をどんと叩く。それが聞こえたのか、近くに立っていたロックのサイモン・ローゼンベルトもふふっと笑みを漏らすのが見えた。
実際に俺たちはここ数か月間毎日個人練習を重ね、週に2回ほどチームで集まっては連携を確かめてきたのだ。毎日毎日へとへとになるまでラグビーに打ち込んできた俺たちが、そうあっけなく負けるはずがない。
さて、試合開始まであと少しだ。非公式の試合なので会場はわずかな観客席しか設けられていない運動公園だが、いつか世界で活躍する金の卵を見極めんと多くの新聞記者や地元住民が観戦に訪れていた。なおここは観客席との隔たりが無いので、知人がベンチまでずかずかと乗り込んでこられるのが気楽なところだ。さっきから各校のラグビー部員が続々と同じ学校のメンバーを訪ねてきては激励していく。
「ようゼネラルハイスクールのみんな、応援に来たぞ!」
そんな中、俺たちのに顔を見せに来たのは全国の頂点に輝いた我が校代表ロックのローレンス・リドリーだった。
「ローレンス! ありがと……う?」
緊張が高まった中で頼れるキャプテンの登場に俺たちは目を輝かせるが、俺たちは200cm超の彼の背後に立つもうひとつのごつい影を目にすると、驚いて言葉を失ってしまった。
「ローレンスから聞いたんだけど、君たちが小森君と和久田君?」
そうにこやかに話すのは、なんとローレンスが決勝で火花を散らした198cmの日本人ロック、中尾仁だった。
どうもローレンスと中尾のふたりは、試合後のアフターマッチファンクションでロック同士意気投合してしまったそうだ。大会後も交流は続いており、今では島の南北を越えて互いに家を行き来し合う仲になっている……とまでは聞いていたが、まさかここに連れてくるとは。もし高身長の漫才コンビとして売り出したら案外受けるかもしれないな。
「同じ日本人として応援しているよ! 今日の試合、頑張ってね!」
「はい、頑張ります! 中尾さんは僕たちの憧れです、Rリーグでも大活躍してください!」
まさか将来の日本代表と声を交わすことができるなんて。俺は興奮を抑え切れず、ついつい早口でまくし立ててしまった。
中尾さんはもうすぐ帰国して、日本のプロリーグであるRリーグの静岡マウンテンズに加入する。ここからは俺の記憶が正しければ、日本人離れした身長を武器に空中戦で無類の強さを発揮し、2027年のワールドカップから早くも代表メンバーに選ばれるはずだ。
そして同じく我らがローレンス・リドリーも今年で学校を卒業し、地元チームでプロ選手になる。彼はMiter10カップのオークランド代表チームに加わることになっている。
ニュージーランドで有名なプロリーグといえば南半球4か国をまたいだスーパーラグビーだが、その下部リーグに位置付けられるのがMitre10カップだ。ニュージーランド全土を14の地区に分け、それぞれが代表のチームを結成する。そして8月から10月までリーグ戦とプレーオフを行って優勝を争うのが例年のレギュレーションだ。
プロになったばかりの若手選手は、多くがこのリーグからキャリアをスタートさせる。ここで活躍が認められた選手はスーパーラグビーに抜擢され、さらに実力が評価されればニュージーランド代表オールブラックスにも召集される。
つまりローレンスは世界最強チームへ至る階段を一歩、踏み上がったのだ。
ちなみにこのリーグは地元の出身選手でなければ所属できないというルールは存在しないため、日本人をはじめ多くの外国人選手も参加している。
「あ、ところで仁、これ返し忘れてたわ」
不意にローレンスが持っていたカバンにごそごそと手を突っ込む。
「サンキューな」
そして取り出した物を中尾さんに渡した。
それは可愛らしい女の子の絵がでかでかと描かれた……まあつまり萌えアニメのブルーレイだった。
「良かっただろ?」
受け取った中尾さんが期待するような目をローレンスに向ける。
「ああ、8話目は特に」
ローレンスが答えると、中尾さんは「だよなぁ」としみじみと返した。
そうか、日本のオタク文化ってこうやって伝染していくんだな。




