第二十章その2 こんなところにも日本人が!
オークランドゼネラルハイスクールとヴィクトリアスポーツアカデミーの試合は、一進一退の互角の攻防を展開していた。そして互いに1トライ1コンバージョンキックを決めた7-7で前半を終える。
我が校の誇る最強メンバーとはいえ、ウェリントン地区王者相手には思うようなプレーをさせてもらえないでいた。
「勝てるかな?」
「まだまだ、相手が疲れてくる後半が勝負だよ」
俺たち4人はぐいっと身を前のめりにさせながら、ハーフタイムを終えて再入場するローレンス・リドリーたちを固唾を飲んで見守っていた。
しかし後半10分、敵陣内で反則を犯したオークランドは相手にペナルティキックを与えてしまう。直接ゴールを狙うには遠すぎるため、相手チームは定石に従い楕円球を大きくオークランド陣まで戻してタッチラインの外へと蹴り出したのだった。
そしてボールがラインを割った位置まで選手たちが移動する。ラインアウトからの試合再開だ。
敵味方それぞれのフォワードが対面する形で列を作り、相手フッカーだけがボールを持ってラインの外に立つ。そして相手フッカーは頭上にボールを持ち上げ、両軍の睨み合うど真ん中にボールを投げ入れた。
このラインアウトというプレーは一見すると公平な再開方法に思えるが、どこの誰にめがけて投げ入れるかをサインで知らせることで投入側が圧倒的に有利になる。
だが我が校は違った。ボール投入と同時に長身キャプテンのローレンス・リドリーがプロップふたりに支えられて大きくジャンプしたと思うと、その長い腕を伸ばしてボールを横からかすめ取ったのだ!
まさかの奪取に会場が沸き立つ。だがそんな大歓声も選手たちの耳にはまるで聞こえていないようで、ボールをつかんだローレンスは身体を捻らせてラインの後方へとボールを落とした。
それを受け取ったのはラインの後ろに控えていたスクラムハーフだ。彼は持ち前の素早さを活かし目にも止まらぬ手さばきでボールをバックスまで回した。
まさかの攻勢からの一転大ピンチに、相手は守備の形成が遅れてしまった。バックスの間をパスされたボールは逆サイドのウイングにより敵陣まで運ばれ、オークランドは楽々2本目のトライを奪ったのだった。
「よっしゃあ!」
「さすがキャプテン!」
俺たちは歓声とハイタッチで得点を喜ぶ。プレーしているのは自分たちではないが、やはり同じラグビー部の先輩が活躍するのは素直に嬉しいものだ。
ここからオークランドは勢いを味方につけたようで、一方的に相手を押し続けた。後半18分にはハミッシュがボールをジャッカルで奪い、そこからトライを決めるという力業を見せつけ、さらに点差を広げる。
その後もオークランドは得点を重ね、最終的に27-10のスコアで全国大会での勝利を収めたのだった。
「やったー!」
「ブラボー!」
コートの上の選手たちも、観客席の俺たちも跳びはねていた。オークランドゼネラルハイスクールの一員で良かった、勝利の瞬間は何度体験しても心の底からそう思える。
そして今日の勝ちによって全国優勝まであと一歩、次はいよいよ決勝戦だ。
まさか自分の所属するラグビー部が地区どころかニュージーランドの頂点に挑むなんて、夢のようなストーリーだなぁ。
近くのバーガーショップで昼食を済ませた俺たちは、またすぐに観客席へと戻っていた。
午後からは南島代表とワイカト地区代表との試合だ。この試合で勝利したチームが、来週の決勝戦でオークランドとぶつかることになる。
「ワイカト地区代表は去年の優勝校なんだぁ」
「そうか、ちゃんと見ておかないとな」
順当にいけばワイカト地区代表との試合になるはずだ。相手がどういうプレースタイルを取るのか、ひとりの観客としても見ておきたい。
やがて試合開始時刻を迎え、選手が列になって入場する。そんな選手たちの背中を眺めていた時、和久田君が「あのさ……」と俺を小突いた。
「あの南島代表の4番、日本人だよね?」
「4番?」
俺はじっと目を細める。
南島代表カンタベリーライオンズ校。4番と言えば左ロック、そのユニフォームにはでかでかと『NAKAO』と書かれていた。
ナカオ……漢字なら『中尾』かな?
外見も黒髪と肌の色にアジア系の特徴が見られるので、少なくとも日本にルーツを持つ選手であることは確実だろう。
「うん、にしても……」
だがそんな南島代表ナカオ選手について、俺たちは別の点で目が釘付けになっていた。
「背、すっごく高いね」
和久田君が頷いて返す。
そう、このナカオという4番、他の大柄な選手が並ぶ中でも、さらに頭ひとつ分身長が高いのだ。
うちのローレンス・リドリーも200cm超であるが、そんな彼とでもそのまんまの意味で肩を並べられるほどだ。ざっと195cm……いや、もっとあるかもしれない。
そんなナカオ選手のインパクトに俺たちの意識がすべて持っていかれる中、試合が開始される。南島代表カンタベリーライオンズ校は昨年地区大会ベスト4であり、直近の優勝校であるワイカト地区代表の方が圧倒的有利と目されるカードだ。
だが前半10分を迎えない内に、スタジアムにはどよめきが渦巻き始めた。
なんと、ワイカト地区代表が押されている!
昨年優勝を経験したメンバーも含まれている強豪のはずが、開始3分でトライを決められた後、9分にも再び失点してしまったのだ。
「すご、また奪った」
俺たちは終始唖然とした表情で固まっていた。バックスのスピードやパス回しも脅威であるが、カンタベリーの最も驚くべき点はスクラムやラインアウトといったセットプレーでの圧倒的なボール奪取率だ。
相手ボールから始まったスクラムでは力づくで押し込んでボールを取り返し、ラインアウトでは相手のボールをあっさり奪ってしまう。
……それにしてもナカオって、どこかで聞き覚えある気がするんだよなぁ。
「あ、またラインアウトだ」
ワイカト地区代表ボールで始まるラインアウト。ラインを作った両フォワードに、選手がボールを投げ入れる。
その時、ナカオは両脇の選手に持ち上げられ、さらに高くまで背丈を伸ばした。そして上半身をぐにゃりとひねらせると、なんと空中のボールをいとも簡単に奪ってしまったのだ。
「何だよあれ!?」
まるで曲芸のようなしなやかさ。不安定な体勢でも姿勢を保てるバランス感覚がなければ、あそこまで思い切ったジャンプはできない。
そしてそんな無茶なプレーを目にして、俺はとうとう思い出した。中尾仁といえば、将来の日本代表だ!
年齢はたしか俺より3つくらい上だったと思う。198cmという日本人離れした長身を武器に、日本代表のロックを務めていたのを覚えている。たしかワールドカップメンバーにも選出され、外国出身選手が多くを占めるロックというポジションにおける数少ない日本人として活躍していた。
「そうか、ニュージーランドに来ていたのか……」
これまでの日本代表でも、海外留学を経験している選手は多い。彼もまた多くの先人に倣い、日本から海を渡ってきたひとりのラガーマンなのだ。
その後もこのワンサイドゲームは続き、最終的に40-3という大差でようやく終了する。こうして南島代表カンタベリーライオンズ校は予想を覆して決勝戦に駒を進めたのだった。
「うち、あれと戦うの?」
和久田君がぞぞっと震える。
「こりゃすごい勝負になりそうだ……」
しかし俺は内側から起こる興奮を抑えられないでいた。将来のオールブラックス擁するオークランドと、将来の日本代表擁するカンタベリー。まさかそんな試合が見られるなんて。
その後、帰宅する観客たちに流されるがまま、俺たちははぐれないように一塊になってスタジアムから外に出る。
「来週が楽しみだね」
「ああ、俺たちももっと強くなろうって思えてくるよな」
すごいプレーを見た後は、自分も楕円球を投げたくなるのがラグビー馬鹿というもの。きっとここにいる4人全員、そんな衝動に駆られていただろう。
「じゃあ帰ったら早速練習だねぇ。バス乗り場に行こうかぁ」
ニカウがのほほんと笑顔を向ける。だが『バス』という単語を耳にした瞬間、残るアジアン3人組は全員表情をひきつらせたのだった。
「バスか……」
「腰が死ぬ」
片道11時間。またあのデスロードを行くことになるのか……。




