第二十章その1 長距離バスのしんどさは異常
長期休暇に入った9月末の学校からは、生徒たちの声もすっかり消えていた。
少し前まで部活の練習に来ていた生徒たちも大会が終わってからはすっかり姿を見せなくなり、人の目の無くなった広大な敷地には至る所で野鳥が闊歩していた。
ニュージーランドでは部活は夏季、冬季とそれぞれ別のものに所属するのが一般的だ。たとえば2~9月はサッカーに励み、10~1月は野球を楽しむというようにまったく異なったスポーツをシーズンごとに行なうのだ。ラグビー部員も大会を終えてからは、夏季はどんな部に入ろうかといった話題を頻繁に交わしている。
ちなみにアイリーンもネットボール部の大会が終わったようで、夏季は水泳部に入るらしい。こんな話すればジェイソンとキムあたりが「俺たちも水泳部に入る!」とか言い出しそうだ。
だが残念、俺たちU-15地区代表に選ばれたメンバーには冬も夏も無い。年がら年中ラグビー漬けだ。
「ウェリントンまではバスで行くんだね」
ある日、選抜チームの練習を終えた俺たちは路線バスに揺られながらスマートフォンをいじっていた。背後からは和久田君とキムが液晶画面をのぞき込んでいる。
いよいよ3日後、ニュージーランド最強の学校を決める全国大会がスタートする。ハミッシュ・マクラーセンら学校代表チームの選手たちはすでに飛行機で移動しており、現地で調整に入っているそうだ。
そんな彼らを応援するため、俺たち後輩部員は開催地であるウェリントンまで観戦に行くことにした。
しかし所詮お小遣いに余裕のない学生だ。移動手段はなるべく安く、宿泊もしないで試合見て帰るだけというタイトスケジュールを選ばざるを得ないのが悲しいところだ。前の人生で友人が早朝の飛行機で韓国に遊びに行き、その日の内に日本に戻ったことがあると話していた。それを聞いた時はよくやるよと感心したものだが、まさか自分も同じようなことをする羽目になるとは。
ニュージーランドにも長距離鉄道は設けられているが、運賃を抑えるには夜行バスが一番だ。実際に日本より鉄道の本数が少ないニュージーランドでは、都市間の移動にバスはよく利用されている。
「ねえ、どれくらい時間かかる?」
ふと俺は隣でキャンディを舐めていたニカウに尋ねる。
「うーんとぉ……11時間くらいだよぉ」
聞いて俺はぶっと噴き出した。
「飛行機なら日本まで帰れるじゃねーか!」
「え、こんなもんじゃないのぉ?」
何を大げさなと言いたげに、ニカウは首を傾げる。土地が広くて都市同士が離れている国なら当たり前の時間と距離なのだろう。
一方、後ろの席の和久田君はハハハと乾いた笑いをあげていた。
「ハハハ、東京から博多までの15時間コースに比べたらずっとマシだよ、ハハハ」
そう言って不気味に笑う和久田君の目からは光が失われていた。さすが九州男子、恐れ入ります。
「うう……尻の肉が椅子と一体化したみたい」
バスから降りるなり俺はガッチガチに固まった下半身を手でさすってほぐした。続いてバスから出てきた面々も同じ感想なのだろう、全員同じ疲労と開放感の入り混じった複雑な表情を浮かべ、ずりずりと足を引きずっていた。
「道が揺れて……あんまし眠れなかった」
「俺、将来はいつでも飛行機に乗れるくらいには金稼ぎたい……」
「お腹減ったぁ、BLTサンド食べたぁい」
和久田君、キム、ニカウらもすっかり疲れ切った様子だ。いや、ニカウだけはただ腹減ってるだけか。
冬の終わりの暖かさも感じる晴れ空、今日はいよいよ全国大会初戦なのだが、こんなにも清々しくない朝は久しぶりだった。
ここは北島南岸にして首都であるウェリントン。国内人口最多のオークランドが経済の中心なら、こちらは政治と文化の中心であり、南島とは海峡を隔てた交通の要衝であるため首都に選ばれたという歴史を持つ。
ここまでの移動は本当に大変だった。利用した2階建ての夜行バスは日本の路線バスよりもはるかに大きな座席を備え、リクライニングも完璧なのだが、やはり俺の巨体には窮屈過ぎた。飛行機なら1時間ちょっとの距離であることを考えると、文明の進歩ってありがたいと感じるよ。
試合会場はウエストパック・スタジアム。3万4500人を収容できる大規模な競技場で、スーパーラグビーの試合やクリケット、サッカーにも使われている。
近くのカフェで朝食を済ませた俺たち4人はどこかに立ち寄る元気もなく、さっさとスタジアムに向かった。
「熱気がすごいな」
まだ開場したばかりだというのに、観客席は既に満員で埋め尽くされていた。この前のオールブラックス戦にも負けない熱狂ぶりだ、日本で例えるなら甲子園での高校野球決勝戦みたいなものだろう。
今日ここには全国4地区を勝ち上がってきた4校が集結し、決勝に進む2校が選ばれる。そして1週間後、敗れた2校による3位決定戦と、勝利した2校による決勝戦が開かれる。つまりここから先、優勝のためには1度も負けられないのだ。
「今日の相手はウェリントン地区代表だよぉ」
他の観客の話し声にかき消されないよう、ニカウはスマホを操作しながら大きな声で説明する。
ローレンス・リドリー率いるオークランドゼネラルハイスクールは午前の試合に出場する。そこでウェリントン地区代表のヴィクトリアスポーツアカデミーと対戦する。その名の通り体育に力を入れる学校で、将来はスポーツ選手や体育教師を目指す生徒たちを受け入れている。
「去年もウェリントン地区代表になって、全国準優勝の強豪だよぉ。うーん、勝てるかどうかは微妙なところかなぁ」
ニカウは画面を凝視しながら眉間にしわを寄せた。この子はおおらかで能天気そうな見た目の割りに、案外現実的でシビアな面がある。
「勝てるよ、うちなら」
だが俺はわざと強い口調で言い返した。
U-15の練習するすぐ近くで、言葉にもしたくないほど過酷なトレーニングを行っていたのを俺たちは見てきた。
あれだけやっていたのだ、勝てないわけがない。そもそも勝利を信じてもいないのに、ケツがもぎ取れそうな思いをしてまでこんな遠くに来て応援する奴なんかいない。
あまり見慣れない俺の様子にニカウもきょとんとした目を向けるが、やがて表情を崩すと「そうだね、きっと勝てるよ」とスマホの画面を消した。
さて、いよいよ試合の時刻となった。
入場ゲートから列になって表れるのは我らがオークランドゼネラルハイスクールの最強メンバーと、ヴィクトリアスポーツアカデミーの選手たち。
「ハミッシュー、負けるな!」
「キャプテーン、カッコいー!」
よく知る顔のはずなのに、コートに立つ選手たちは普段より数段凛々しく見えた。コートの上から見る選手と、観客席から見る選手とはかくも違うものなのか。
試合前の校歌斉唱を済ませ、選手たちはそれぞれのポジションに向かう。試合開始はオークランドのキックオフからで、ボールを手に持ったスタンドオフの選手はすでにセンターライン前まで進み出ていた。
そしてスタンドオフがふうと一回呼吸を整えた時だった。声援に包まれていたスタジアムが、一瞬しんと静まり返ったのだ。
その短い静寂の最中、選手はボールを手から離し、足元で一回跳ね返らせる。そして直後、大きく足を振って楕円球を空高くに蹴り上げたのだった。
たちまちスタジアムは大歓声に包まれる。それに呼応するように、コートの上の選手たちが走り出した。
さあラグビー王国の頂点を決める戦いの始まりだ!




