第十九章その4 またね!
8月下旬の金曜日のこと。俺は学校から帰宅すると、ホストマザーのマライアさんの運転する車に乗ってオークランド国際空港へと向かった。
「ありがとうございました」
国際線の出発ゲートのロビーで、南さんはぺこりと頭を下げる。
「2週間あっという間に過ぎてしまって。寂しくなるわね」
マライアさんが残念そうにため息を吐いた。
今日、いよいよ南さんが日本に帰国してしまう。俺が学校に行っている間、南さんはずっとマライアさんといっしょにいたそうで、家事を手伝ったりいっしょに買い物をしたりしていたらしい。マライアさんにとってはずっと傍らにいた南さんがいなくなるので、寂しさもひとしおだろう。
娘がもうひとりできたみたいだと心底喜んでいたホストファーザーのオスカーさんも、仕事でこの見送りに来られないのを大層惜しんでいた。
「マライアさん、お世話になりました。帰国したらまた連絡入れます。また会えますか?」
「もちろんよ、いつでも来てね」
そして別れのハグをする南さんとマライアさん。
「亜希奈ぁ、またきてねぇええええ!」
続いて顔をくしゃくしゃにしたアイリーンが、ぼろぼろと涙をこぼしながら南さんにとびかかった。そして彼女の細い身体をがっしとホールドすると、おいおいと人目もはばからずに泣き出すのだった。
「もちろんだよ。むしろアイリーン日本に来てよ、歓迎するから」
南さんはアイリーンの背中に手を回してハグで返す。これじゃどっちが年上なんだか、わかったもんじゃない。
「うん、約束よー」
「アイリーン、時間よ。いつまでも泣いてないの」
ようやくマライアさんがアイリーンを引き剥がす。そして最後に、南さんは俺に向かって顔を向けた。
「太一、冬には絶対、日本に帰ってきてね!」
「もちろん。家族にもスクールのみんなにも会いたいからね。それにハルキん家のサンマーメン、食いたくて禁断症状出そうなんだ」
なんとなく名前出してしまったけど、あいつ今でもまだバカのままなのかなあ?
そうして別れの挨拶を済ませると、南さんは出国ゲートに向かって歩き出す。
が、2、3歩進んだところで再度振り返ると、彼女は満面の笑みを見せて「またね!」と言って手を振った。
俺たちも「またね!」と手を振り返すと。彼女はもう一度にこりと微笑みを見せるとこちらに背を向け、そのまま出国ゲートをくぐってしまったのだった。
見送りはここまで。ここから先は出国審査を受ける人間しか入ることはできない。
その後しばらく、俺たちは空港で時間を潰していた。そして無事成田空港行きの便が飛び立ったのを掲示板で確認すると、ようやく駐車場へ引き返したのだった。
翌日の土曜日、俺は朝から普段は乗らないバスに揺られていた。一緒にいるのは和久田君たち1年生4人組で、全員いつもより心なしか表情が硬い。
本来なら今日は学校でラグビー部の練習のある日なのだが、俺やクリストファー・モリスらU―15地区代表選抜チームに選ばれたメンバーは、オークランド市内の運動場に向かっていた。
いつもとは違う方向のバスの車内は気のせいか緊張感に包まれている。もしかしたらこの中に、俺たちと同じような選抜メンバーが乗っているのかもしれない。
そして目的地の運動場に着くと、コートの上ではすでに数名、ジャージを着た少年たちが準備運動を始めていた。
その中の一人、左右に大きく股を開いて伸脚をしていた少年が俺たちに気付くと、彼は準備運動をほっぽりだして小走りで駆け寄ってきたのだった。
「やあ!」
そして少年はにこりと声をかける。金髪碧眼に、筋肉に覆われたがっしりした体格の少年。
「アレクサンドル!」
「あれぇ、君も選ばれてたのぁ?」
俺とキム、ニカウの3人はまさかの再会に歓声を上げた。
ワイタケレインターナショナル校のフッカーでジョージアからの留学生、アレクサンドル・ガブニアだ。海外からの留学生が多くを占めるチームで、彼はフッカーとしてスクラムを統率してきた実績がある。地区大会ナンバーワンフッカーとも呼ばれていたのだ、選ばれて不思議はまったく無い。
「良かったぁ、君たちにまた会えて嬉しいよ。太一、足は大丈夫?」
彼は俺の足にちらりと目を向ける。準決勝で受けたタックルが原因で足をくじいてしまったことを、まだ彼は気にしているそうだ。
「ああ、もうすっかり治ってるよ」
そう言って俺はぴょんぴょんと跳びはねてアピールする。
「こいつ、食った栄養がすぐに怪我治すのに使われるんだぜ。骨折してもステーキ10キロくらい食ってたらその内折れた骨もつながっちまうんじゃねーの?」
横からキムがいらんことを言うので、俺は「うるさい」と彼を小突いた。
しばらく待っていると、続々と選抜メンバーが運動場に到着する。うちの学校からもナンバーエイトのクリストファー・モリスや、フルバックのジェイソン・リーなどが選ばれている。
そして当然と言えば当然だが、大会ナンバーワンウイングにして得点王のセントラルチャーチ校のエリオット・パルマーも顔を連ねていた。
やがて補欠も含めた30人全員が集合する。オークランド地区大会で活躍した錚々たるメンバーが一堂に会し、俺は身震いを必死で抑えていた。
「えー皆さん、本日はお集まりくださりありがとうございます」
芝の上で固まる俺たちの前に現れたのは、初老の白人男性だった。彼は地区のラグビー協会のお偉いさんだ。
「まずはU-15オークランド地区代表メンバーに選ばれましたこと、おめでとうございます。皆さんのような有望なラガーマンこそ、ラグビー界の発展に欠かせません」
そこで男性は一回咳き込んだ。ここから本題のようだ。
「知っての通り、この場にいるのはニュージーランドにルーツのある選手だけではありません。遠く海を渡ってやってきたラグビー仲間もたくさんいます。将来は母国の代表選手として、ともにテストマッチで戦うことになるやもしれません。昨今、世界のラグビー人気は高まりつつあります。これまでは限られた国だけで競い合っていたラグビー界に吹き荒れる新しい旋風を、私たちは歓迎したいと思います」
男性が話しているのは2019年ワールドカップ日本大会のことだろう。伝統の強豪国の間だけの持ち回りで開かれていたラグビーワールドカップが、日本という極東の地で開催され、さらにベスト8まで進んでしまったという快挙に、世界は驚きを隠せなかった。
日本の躍進は他のラグビー中堅国にも努力すればなんとかなるという空気をもたらし、今世界各地ではラグビーはかつてないムーブメントを生み出していた。
「そこでお若い皆さんには、早い内から世界を体感してもらいたいと思います。オークランド地区としてできることは限られていますが、世界をリードしつつ発展させていくことがラグビー王国の誇りだと私は確信しております」
「世界を……体感?」
男性の言葉に引っかかりを覚え、俺はそう呟きながら首を傾げた。
その声を聞き逃さなかったのだろう、男性は「はい、その通り」とにやっと口角を上げて話し続けた。
「来月の全国大会の後、皆さんには世界各地のジュニアチームと戦ってもらいたいと思います。年末、おもに北半球を転戦していただくワールドツアーを計画しております」




