第十八章その3 オークランドの頂点へ
「クラウチ、バインド……セット!」
相手ボールから行われた本日3度目のスクラム。俺たちは全員足を踏ん張らせ、前方向に体重のすべてをかけて押し込む。
だが投入されたボールを相手フッカーはうまく止めると、巧みな足さばきで後方へと転がしてしまった。俺たちはまたしてもボールを奪い返すことはできなかった。
決勝戦の相手はセントラルチャーチ校。世代ナンバーワンウイングとも称されるエリオット・パルマーを筆頭に、強力なタレントをそろえたチームだ。
予選リーグ開幕前のプレシーズンマッチでは、オークランドゼネラルハイスクールU-15チームは完封負けを喫している。あの時はメンバーに俺が入っていなかったので現在の実力差は不明なものの、超強豪であるという事実は揺るがない。
相手スクラムの後方まで転がされたボールをスクラムハーフが拾い上げる。と同時にスクラムが解かれて俺たちも散らばるが、ボールは既に相手スタンドオフまで回されていた。
「負けるな!」
「ここが踏ん張りどころだ!」
オークランドゼネラルハイスクールの応援団の声援がスタジアムに響く。
今朝も早くから学校には応援団のためのバスが何十台もチャーターされ、すでに敗退している他の年代のラグビー部員や怪我で欠場したフィアマル、別の部活の生徒に教員、近所の皆さんなどなど学校とゆかりのある者は老若男女問わず観戦に訪れていた。
そしてその中にはホストファミリーのウィリアムズ一家と、日本からやってきた南さんも含まれている。この試合、絶対に負けられない!
俺たちの守備ラインがわっと横に広がる。同時に相手チームは素早く横へとパスを送り、やがてボールは大外に控えていたウイングであるエリオットの手まで回された。
エリオットは楕円球を受け取るなり足の回転を何倍速にも上げ、スパイクで芝を蹴り飛ばしながら駆け抜けた。身体の線は細いのに、どこにこんな爆発力を秘めているのだろう。
そんな俊足のウイングを阻止せんとバックスの選手が突進しながら手を伸ばす。が、全速力からの華麗なステップで指先ギリギリをかすめ、エリオットは余裕綽々で切り抜けてしまった。
「させるかよ!」
タッチライン際をひた走るエリオットに、ゴールラインを守る最後の砦、フルバックのジェイソン・リーがとびかかる。
ジェイソンの気迫のタックルにはさすがのエリオットも避け切ることができず、腰の高さに突っ込んできたジェイソンによって身体がぐらりと大きく傾く。だが彼はなおも諦めず、身体をねじらせてボールを突き出し、前のめりに倒れ込んだのだった。
受け身も取れずに顔から芝の上に叩き付けられるエリオット。だが彼が手を前に伸ばしたおかげで、ボールはギリギリでゴールラインを越えてグランディングされていた。
「トライ!」
審判の声に会場は大いに沸き立つ。この試合最初の得点は、セントラルチャーチ校のエリオットによるトライだった。
「くそ!」
あと少しで止められたのに。悔やむ思いを隠すことなくジェイソンは地面を蹴る。
その後、タッチラインギリギリという難しい位置から敵のコンバージョンキックが行われる。トライ後の追加点を狙うこのキックはトライの決まった地点からタッチラインに対して、垂直線上の位置から行われなければならない。そのためゴールポストに近い位置でトライを決めた方がその後のコンバージョンキックも決まりやすく、追加点も見込めるのだ。
キッカーである相手スタンドオフは狙いを定め、キックティーに置いたボールに渾身の一蹴りをぶちこむ。だが彼のキックはH字型のゴールポストを逸れてしまい、虚しくも楕円球はそのまま観客席に蹴り込まれてしまったのだった。
これで相手は5点だ。
「1トライ決まれば奪い返せる、これくらいどうってことないぞー!」
キャプテンのクリストファー・モリスがチームメイトを鼓舞する。
しかし実力の拮抗した相手ほどロースコアゲームになりやすいのがラグビーという競技。この5点の差は数字以上に大きいということを、コートの上に立つ者は誰しもが理解していた。
その後も俺たちは攻め手に欠け、ただ時間だけがいたずらに過ぎ去り、やがてハーフタイムを迎える。
控え室に戻った俺たちはがぶがぶとドリンクを飲み干し、そして堪らず「くそ!」とゴミ箱にドリンクを強くぶち込んだ。
セントラルチャーチ校相手には、真正面から突っ込んでも敵わない。これまで通用してきたフォワードの力比べでも、モールやスクラムでトライを狙えるほどの差はついていないのだ。そうなると俺たちは必然的にバックスの足に賭けるしかなかった。
だが相手の守備は堅い。バックス陣はいずれも当たりが強い上にランニング能力も長けており、仮に抜けたとしても追いつかれてしまうのだ。
「みんな、頼みがある」
メンバーが焦りを露わにしているところで、大きく切り出したのはジェイソンだった。
「次、敵陣まで入ったら……俺にボールを回してくれ」
全員の時間が止まる。フルバックである彼も攻撃に参加するということは特段珍しいプレーではない。だがそれには大きなリスクが伴う。
「お前がフルバックから離れている間に敵が裏に回ってきたらどうするんだよ!?」
メンバーの一人が反論する。この僅差の試合、物を言うのは攻撃の強さよりも守備の堅さだ。そんな何が起こるかわからない展開で、守備力を大きく削ぐような真似はできない。
「それならちゃんと考えている。クリストファー、もしチャンスになったら、一時的にフルバックの位置まで下がってくれないか?」
ジェイソンはそう言ってじっとU-15のキャプテンに視線を送る。クリストファーは相変わらずの無表情で睨み返したものの、2、3秒の間を置いて「わかったー、任せろー」と頷き返したのだった。
そして後半、試合が再開される。
押されがちのまま攻めて守ってを幾度となく繰り返していた俺たちだが、とうとう敵陣の中までボールを運ぶことに成功する。
楕円球を抱えたキムは猛獣のように芝の上を突っ走り、それをセントラルチャーチ校の面々が迎え撃つ。
一列に形成された相手守備陣は堅牢そのもの。いくら身体の強いキムであっても、このまま突破できる保証は無かった。
それでもキムは勢いを殺さず、全速力で相手選手にぶつかっていく、その寸前だった。
「ジェイソン!」
ボールを抱えたキムはくるっと身体をひねらせ、斜め後ろへとパスを送ったのだ。
受け取ったのは15番、フルバックのジェイソンだった。
いつの間に、フルバックがなぜこんな高い位置に!?
相手選手が戸惑いを顔に出したその一瞬。ジェイソンは手にしたボールを前に突き出し、そして自分の足元に落として軽くバウンドさせた。
「うっりゃああ!」
そして足を大きく振って、全ての力をボールに叩き込んだ。まさかのドロップキックだ。
ここからゴールポストまでは40メートル近く離れているだろうに、ジェイソンのボールは回転しながらもまっすぐに2本のポールの間へと吸い込まれていった。
誰がどう見ても文句なしの、ドロップゴール成功だった。
「ドロップゴールで3点だ!」
何が起こったのか理解するのに時間がかかったのだろう、一瞬の間を置いてから会場はこの日一番の歓声に包まれた。
高難度ゆえ滅多に決まらず、プロでも避けるドロップキック。そんなハイリスクなプレーを大一番で決めたジェイソン・リーという男に、5万の観衆は惜しみない称賛を送った。
「いいぞジェイソン!」
「へへん、もっと拍手してくれよ!」
「まだ負けてるんだー、調子に乗るんじゃないー」
クリストファーからお叱りを受けるジェイソンだが、彼の得点は値千金、いやそれ以上の価値がある。これで相手とは2点差、俺たちはペナルティキック1本でも逆転で勝利することができる。
「さっすがジェイソン!」
俺はジェイソンに駆け寄る。
「へへ、この試合はでっかい目標のための通過点。そう言ったのは俺なんだから、俺がきっちり決めないとな」
彼は強がりながらも、顔にはずんと疲れた表情を浮かべていた。1本のキックのために相当精神を削ったのだろう。
「だけど、次から相手はジェイソンにボールが渡らないように妨害してくるよ。同じ手を2度使わせるほど甘い相手じゃない」
「そんなもん百も承知だ。だから太一、お前がいるんだよ」
不安を隠せずつい口にした俺の肩に、ジェイソンがポンと手をのせる。当然、俺は「へ?」と目を点にした。
「あのキックの猛特訓、忘れたとは言わせねえぞ」




