第二章その4 ストーカーではありません
「おい太一、サッカーしようぜ」
帰りの会が終了するや否や、サッカーボールを持ったハルキが声をかける。しかし俺は急いでランドセルを背負いながら「ごめん、また今度」と答えた。
「ノリ悪いなぁ」
ハルキがむーんと頬を膨らませる。すまんなハルキ、また今度いくらでも相手してやるから。
俺は教室を出ると、きょろきょろと左右に首を振る。
そして目にとらえるは赤いランドセルにカールのかかったくせ毛。南さんの背中だ。
俺は足音を忍ばせ、そっと彼女を追いかけた。
今日、学級会で席替えがあった。そこで俺はなんと南さんと隣の席になってしまったのだ。
南さんがこちらを向いて「よろしくね小森君」なんて言ってくれれば、健全なる男子諸君ならよっしゃあと雄叫びをあげたくなるシチュエーションだろう。
だがこれから起こる出来事を知っている俺は、それどころではなかった。なんとかしなくては。そのことで頭がいっぱいで、「うん、よろしく」と気の抜けた返事しかできなかった。
しかし何とかすると言っても、一体どうやって?
あなた今日襲われますよ、なんて直接言っても信じてもらえるわけがない。なまじ的中させてしまったら、今度はどうして知ってたんだと気味悪がられるし……。
そもそも下校中の出来事とは知っていても、いつどのタイミングで誰に襲われるかまでは俺自身も知らない。たとえ南さんを足止めして帰りの時間をずらしても、通り魔が以前から彼女を狙っていて、家の周りで張り込まれでもしていたら効果が無いし、今日の被害を無かったことにしても後日また襲われる。
結局彼女に襲い掛かってきたその瞬間を、どうにかして妨害することが一番なのだ。
廊下を渡り、昇降口を抜けて、校門をくぐる。
俺はでかい身体を物陰に隠し……切れてないがなんとか気付かれずに尾行していた。案外南さんて鈍いのかな?
南さんの家は昔ながらの住宅街にあるようだ。高い塀と生垣に囲まれた古い家が隙間なく建ち並んでいるので、見通しはかなり悪い。狭い道路がうねうねと褶曲して方向感覚も狂わされてしまうので、地元の人間でないと迷子になってしまう。
尾行する俺にとっては好都合なのだが……あれ、この場合俺の方が不審者じゃね?
そこら中に車一台すら通れない細い道もつながっており、昼間でも薄暗い。そんな小路の前を南さんが通過したすぐ後だった。死角となる路地から、手に長い棒のような物を持った人影がふっと現れたのだ。
そこだ!
通り魔と確信した俺はだっと駆け出し、まっすぐに人影に突っ込んだ。
しかし……。
「ちょっ、危ないわね!」
枯れたハスキーボイスに、俺は慌てて急ブレーキをかけて肉団子のような体を急停止させた。
人影の正体は買い物帰りの中年のおばさんだった。バットのように見えたのは買い物袋に入りきらなかった山芋だったのだ……て、ややこしいわ!
おばさんの「ちゃんと周り見て歩きなさい!」というお叱りを受けながら、ちらりと南さんの方を見る。幸い彼女は俺に気付いていないようで、こちらに背を向けて歩き続けているものの、距離はずいぶんと広がってしまった。
だがまさにその時だった。南さんが通り過ぎた直後、脇の小路からひょろりとした男のシルエットが現れ、そっと彼女を追いかけ始めたのだ。手には細長く黒光りするもの、まさしく金属バットが握られている!
「南さん、逃げて!」
俺は声を張り上げて叫んだ。直後、南さんは「え?」とこちらを振り返ったものの、すぐ後ろにバットを握りしめた男が近付いてくるのを目にするなり、一目散に駆け出した。
男は逃げることも無く、南さんの背中を追いかけ始めた。顔を見られたのをマズイと感じたのかはわからないが、逃げ出さないあたりもうヤる気十分のようだ。
小言を続けるおばさんを残し、俺はその場からだっと走り出した。全身全霊、肉体の限界まで力を引き出しまっすぐに男に向かう。
アスファルトを蹴る足が、いつもの何倍もの速さで回転している気がする。対する男はバットを握っているせいもあるが走るのは思ったよりも遅く、俺でもすぐに追いつくことができた。
そして俺は男の背後から飛びかかった。腰にしっかり腕を巻きつけ、タックルの要領で肩をぶつける。
男は俺よりも20cmほど背が高いが、細身なので体重は10キロ以上軽いだろう。弾丸のようになった俺の身体に、男はなすすべもなく地面に叩き付けられてしまう。
一瞬の静寂。しばらくして聞こえてきたのは、男の「い、いでー!」という痛々しい唸り声だった。
うつ伏せになった男は俺がしっかり腕を回してバインドしているのでこちらに反転することもできないが、手や顎をすりむいているのだろう。芝の上でも倒されれば痛いんだ、それがアスファルトの上なんて想像もしたくない。
「ちょっと、何やってん……!?」
先ほどのおばさんが怒鳴りながら俺を追いかけてきたが、俺が男を押し倒しているのを見て言葉を失った。
カラカラと転がる金属バットに、走って逃げていく赤いランドセルの背中。事情を察したおばさんは「通り魔、通り魔よ、誰か出てきて!」と大声で周囲の家に呼びかけた。




