第一章その1 5歳に戻った!
「こんにちは、ニュースの時間です」
全国区の昼過ぎのニュースで、アナウンサーが原稿を読み上げる。
「今日午前10時頃、横浜市金沢区の金属加工工場で火災が発生しました。火は正午ごろ消し止められましたが、男性ひとりが遺体で発見されました。火災の原因については現在のところわかっておりません。続報が入り次第、詳しくお伝えします」
まだ詳しく報じられるほどの情報が入っていないのだろう、アナウンサーはここまで読み上げると原稿をぺらりとめくり、次のニュースへと移った。
「さて、次のニュースです。南半球6か国対抗戦を終えたラグビー日本代表が、本日帰国しました。2勝3敗と負け越したものの、昨年のワールドカップオーストラリア大会以来のティア1撃破に、大勢のファンが空港に詰めかけました」
「うわあ火事だ、火事だ!」
操作盤から吹き上げる真っ赤な炎。その灼熱から逃れんと、俺は身を悶えさせる。
「太一、どうしたの?」
「火が、火が出てる! 早く消火器……を?」
あれ、熱くない?
汗に濡れた瞼をそっと開けると、そこには心配そうな顔をした母さんが覗き込んでいた。
「かわいそうに、怖い夢見てたのね。安心しなさい、お母さんがついているわよ」
そう言って母さんは俺の身体をそっと抱きしめる。母さんの細い腕にすっぽり収まった俺は、とりあえずほっと一安心した。
しかしいつも見ている母さんの顔ではない、肌にハリがあって白髪染めもしていない、まだ若い頃の姿だ。
おかしいな。たしか俺はさっきまで工場で働いていて、古い機械を操作していたら突然爆発して……。
きょろきょろと周囲を見回す。たしかにここは俺の部屋だ、ベッド、箪笥、ポスター、いずれも見覚えがある。
だがどれもこれも相当の年数使い込んできたはずなのに、まだ傷も少なく新しい。極めつけは壁に貼り付けられたあいうえお表、こんなの小学校の低学年で処分している。
「うん、ありがとう。もう大丈夫だよ」
俺がそう言うと母さんは腕を解き、「そう、じゃあ早く朝ごはんにしましょうね」と部屋を出ていった。
ベッドに残された俺は、自分の手をじっと見つめる。小さく細い、子供の手だった。
しかし親指の付け根に馴染みのあるほくろが見える。間違いない、これは生まれてからずっと使ってきた自分自身の手だ。
俺はそっとベッドから降り、壁のカレンダーに目を向ける。2015年の9月。そこで俺はようやく確信した。
俺、小森太一はどういうわけか、2036年から5歳の頃の自分に戻ってしまったのだ。
「どういうことだ?」
自分の顔をぺしぺしと叩く。痛い、夢ではない。
混乱に頭が追い付かない。しかしそれ以上に、俺は内側から込み上げる喜びに居ても立ってもいられず「よっしゃああああ!」と腕を振り上げた。
よくわからないがこれまでの人生チャラになったのなら儲けもんだ。人生やり直しなんて何度夢に見たシチュエーションだろう。
「水兵リーベ僕の船……よし!」
元素周期表も覚えている。5歳当時の自分がこんなの暗唱できるはずがない。
つまり生前26歳までの記憶をすべて引き継いでいるのだ。こんなの実質、強くてニューゲームみたいなもんじゃないか。
「大人知識で無双できるぞ!」
思えば生前は苦難の連続だったが、それもこれも今日この日すべて報われた。俺は足取り軽く歩き出す。
しかし壁際に置かれていた姿見をちらりと見た瞬間、俺はピタリと動きを止めてしまった。
そこに映し出されていたのは、丸々と太った男児の姿だったのだ。
「身体は……いっしょのままか」
平均的な5歳児の2倍はあろうかという胴回り、付いた肉がぷるんと揺れる腕。
せっかく舞い上がっていたところで突きつけられた現実に、俺はがっくしと肩を落とした。
そう、俺はとにかく太りやすい体質だった。小学校入学の時点で体重40キロを超え、小学6年になる頃には100キロを突破していた。何度食事制限や運動をしても一向に体重は落ちず、ただただ肉が増えていく一方だった。
最終的に183センチ140キロと相撲取り顔負けの数字になったものの、脂肪がブクブクと付いた俺はまるでリンゴが歩いているようで、見ず知らずの人から指を差されて笑われたこともあった。
「人生やり直してもデブのままなんて……」
大人知識で無双って言っても、よく考えたら俺、中学の後半から授業さっぱりだったじゃないか。大学進学とか考えるレベルにも達していなかったから工業系の高校に進んで技術を身に着けて、それで工場に就職したくらいだぞ。せいぜい優れていることと言えば、体格のおかげで腕力が強めというところだけ。
結局同じことの繰り返し、人生ハードモードは変わらないじゃないか。
もう一度あの辛さを味わうと思うと気が重い。それにしても腹減ったな……俺はとぼとぼと部屋を出た。