石段の落武者
たまには、武士と体を鍛えてみるのもいいだろう。
腹回りが少しだけ気になってきた私は、仕事を定時で切り上げ帰るなりジャージに着替えた。そして念入りな準備体操の後、武士と共に外へ飛び出す。
向かうは、いつも武士が鍛錬しているという無人の神社。
そびえる石段を自分のペースで駆け上がる。
しかし、普段動かさない体ではすぐに息が切れ、足が上がらなくなった。ゼェゼェと膝に手をついていると、折り返してきた武士が隣を颯爽と駆け下りて行った。
多分、ドヤ顔してたんだろうな。
絶対そうだという確信があったから、見ないよう意識していた。
それはそうと、最近、日が暮れるのも早くなってきた。私は顔を上げ、外灯に照らされる石段を見下ろす。
武士はちょうど一番下までたどり着いた所だった。また上がってくるのかなとぼんやり見ていると、突然茂みから飛び出してきた何者かによって、武士は押し倒されてしまった。
……え、何事?
「とうとう捕まえたわよ! 落武者!!」
「ななななななんだお主は!? 無礼ではないか!!」
「幽霊に憂いはあっても無礼は無いわ! 大人しくボクに捕まりなさい!!」
そう言って武士にのしかかり縄で雁字搦めにしようとするのは、黒髪をなびかせたハッとするほど美しい女性である。
いや、やっている事と言っている事でヤバイ人間であるとはすぐに分かるのだが。
「お、大家殿ーーーーっ!!」
武士の助けを求める声が聞こえる。……うん、流石に今回は助けに行くよ。ちょっとだけ逃げようかなと思ったけど。ほんのちょっとだけ。
そう思い急いで駆けつけた私だったが、石段を降りきった時には武士に群がる人間が一人増えていた。
「やめましょう! この人普通の人ですよ! だから、縄は、縄はダメです!!」
美女を必死で止める、おさげで眼鏡の女子高生である。
しかし美女は止まらない。武士はみるみるチャーシューのように縄で縛り上げられていく。
……どういう状況だよ……。
「大家殿! この者に説明してやってくれ! 某は決して落武者ではござらんと!」
転がる武士は涙目である。無理もない。でもお前、縛られてることより落武者の誤解をまず解きたいの?
ならばどう声をかけようかと悩んでいると、女子高生がはたと私に気づいた。私が何か言う前に、彼女は勢いよく頭を下げる。
「本当にすいません! 私達、怪しい者ではないんです! ……実は最近、この神社に敗戦の無念を抱えて石段を彷徨う落武者の霊がいるとの噂があって、その正体を確かめる為に、ここへ……!」
え、マジで?
ゆくゆくは都市伝説になるかなーとは思っていたけど、案外早かったな。
しかし結構陰気な噂になったもんだ。武士のことだから、元気いっぱいに挨拶してくるちょんまげ幽霊ぐらいになるかと思ってたんだが……。
「……その落武者に気づかれたら、元気いっぱいに挨拶され一緒に走らされる……そんな恐ろしい話も聞きました」
やってたー!!!!
通行人引き込むなよバカ! たまになら私も走ってやるから、それだけはやめろ! 警察呼ばれるだろ!
痛む頭を押さえていると、武士を尻に敷いていた美女がスッと立ち上がった。
「ま、そういうワケよ。オカルト雑誌編集者であるボクとしては見過ごせないと思ってね、正体を見極めてやろうと思ったの。……それにしても知らなかったわぁ、幽霊って触れるのね」
や、幽霊じゃないんです、それ。
生きてるんです。
「え、嘘」
美女の顔が引きつる。武士を見下ろすと、うむうむと頷いた。
それでもまだ美女は諦めきれないのか、女子高生の袖をツンツンと引っ張った。
「……ねぇちょっと、寺パワーで本当かどうか調べられない?」
「確かに私は寺生まれですが、そんな力はありませんよ! この人は、正真正銘、断固絶対普通の人です! だから言ったじゃないですか! ほら、謝りましょ!」
女子高生に頭を掴まれ、美女は無理矢理頭を下げさせられた。その頭から、小さく「ごめんなさい……」と聞こえる。
武士を見ると、それで十分だったのか、またうむうむとやっていた。
そして武士は無事解放される。美女に縛られるというなかなか珍しい体験をしたヤツは、サッパリした表情で立ち上がった。
「しかし、やはり暗い内に走るのはいかんな。某もそこは反省し、鍛錬は明るい間だけにしようと思う」
そうしてくれ。
ひとまず、これで一件落着である。幽霊じゃないと分かった美女は少し落胆していたが、そこは仕方ない。
しかし、別れる間際、どうしても気になっていたのか女子高生に一つ尋ねられた。
「……ところで、お友達は何故、その、ちょんまげ頭なのですか……?」
……何故? 何故って……。
……。
……。
……趣味です。
「うむ、趣味だ!」
付き合わせてすまんな、武士。
タイムスリップしてきたマジもんの武士だと、誰が言えるものか。
二度目の武士縛りを見たくないが為についた嘘であったが、納得してくれた二人は、夜に包まれた街に去っていったのであった。




