雲
雲を眺めるのが好きだ。
窓を開け、外から聞こえてくる車の走行音やら人の話し声をBGMに、ぼんやりと流れる雲を見る。
ゆっくりと形を変える雲を何かに例えたり、もくもくとした雲の上を歩く想像をしたりして楽しむのだ。
で、そんなことをしていると平気で三十分ぐらい経っていたりする。
怖い。
働き盛りの男がしていい時間の使い方じゃない。
でもやめられないのである。雲が好きだ。
「分かるぞ、大家殿」
作ってやったバナナシェイクをすすり、隣に座る武士はうんうん頷いた。
「其も流れる雲に気を取られ、溝にハマるということが昔何度かあった」
いや、私はそこまでじゃないかな……。
でもまあ、気が合うようで何よりである。
武士は、ゴツゴツとした手で空を指差した。
「あの雲なんかどうだ。しゅうくりむに似ておるぞ」
へぇ、シュークリームか。いつ食べたんだお前。
多分こっそり買ったんだろうな。コイツめ。そろそろ家計簿つけさせてやろうか。
「お、大家殿! あれはなんだ!?」
にわかに騒ぎ出した武士に、また空を見る。
そこにあったのは、その軌跡を一筋の雲として残していく、高く高く飛ぶ飛行機の姿だった。
「すごいぞ! 空に絵を描いておる! あれは誰がやっておるのだろうな。其もやってみたいぞ!」
生まれて初めて飛行機雲を見た武士は、嬉しそうにはしゃいでいた。
……自分にも、いつかあんな時があったのだろうか。
いや、その時には自分は恐らく飛行機というものを知っていたし、飛行機雲のことも分かっていたと思う。
人の手が無いと見ることのできないはずの雲を、武士はまっさらな目で見て感動している。
そんな彼のことが、ふと羨ましくなった。
「大家殿?」
武士が顔を覗き込んでくる。黙ったままなので、心配になってきたらしい。
何と言葉を返そうかと悩んでいたら、武士は勝手に言葉を続けた。
「も、もしや、しゅうくりむを怒っておるのか? すまない、あれは最後の一個だったのでな。今度行った時には大家殿の分も買ってくる故……」
そこじゃねぇ。
いやそこか。
私の金だっつってんだろ。なんでちゃっかり自分を優先してんだお前。
武士を小突く。
雲は青い空を流れていく。
なおも申し訳なさそうにする武士に、彼の見ていた現代とは少しだけ違うだろう江戸の空を見てみたいと、私は思ったのであった。




