不審者
そういや、この間ヤベェ人に会ったよ。
この言葉に、武士はカップ焼きそばの麺を口から生やして振り返った。
「ヤベェ人とはなんだ?」
うん、一週間ぐらい前だったかな、私がスーパーで買い物してた時だったんだけどさ、なんかやたらこっち見てきてたオジサンがいたのね。そんでもまぁ当然無視してたんだけど、そいつが私んとこに近づいてきてさ。
「ほうほう」
で、スーパーって結構狭いじゃん。変に逃げるのも怖くて、できるだけ気にしないようにしてそこに突っ立ってたんだよ。
でも、そいつとうとう私の真隣にまで来て。
「お、おお」
私の耳に口を寄せ、一言、こう言ったんだ。
――“誘拐されろ”……と。
「……」
……。
「誘拐……されろ」
うん。
「……何故他力本願」
いやマジでそうだったんだよ! 私も私で「え、されろ?」って思わず素で返しちゃってさ。
これがね、「誘拐してやる」とか「誰かに頼んで誘拐してやる」とかならまだ分かるんだよ。こっちも「チクショウ、通報!」と思えるんだけどさ。
なんでよりにもよって“誘拐されろ”なんだよ。もうわかんねぇよ。なんて返すのが正解なんだよ、何を望まれてたんだよ。しかもいい年した大人だぞ私は。
だからもう恐怖とか危機感とかよりも疑問が先に来ちゃってさ。「なんで?」って思ってる間にオジサンどこか行っちゃったんだ。
「……ぬぬう。其奴とはその後?」
会ってない。
「……」
武士は神妙な顔をし、腕組みをして何かを考えていた。
なんだなんだ、ボディガードでもしてくれんのか。
「……大家殿が誘拐されたら、某はどうなるのだろうな」
あ、そっちっすか。
知らねぇよ。そこは同居人として、全然帰ってこないことを怪しんで通報してくれよ。
「通報? ……ああ、警察に頼むのだな」
そうそう。あ、そういやお前にそういった類の連絡先を教えてなかったな。
110番が警察で、119番が救急車で……。
……うーん、でも最近なかなか電話ボックスも見なくなったしなぁ。子供用ケータイでも持たせるか?
「案ずるな、大家殿。最悪の事態とあらば、某は友人である警官殿のご自宅に駆け込むと決めている」
そこは交番に駆け込めよ。自宅訪問して事件告げられたら流石の警官殿もびっくりするだろ。恋人といちゃついてたりしたらどうすんだよ。
「そうなったらその者にもしっかりと断りを入れた上で、助けてもらう」
つーよーいー。
なんだよ心臓に毛でも生えてんの?
この分だと私が誘拐されても大丈夫そうである。しかし何者だったんだろうな、あのオジサン。みんなも気をつけてなー。




